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時の流れ2016/06/05

 1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、と言われるように年初の過ぎ行くのは早く、4、5月は花見だ、ゴールデンウィークだと言っているうちにもう今年も半分近くが終わろうとしています。
 光陰矢のごとし-----齢を重ねるにつれ実感するようになります。

 子供の頃はもっと年月の流れは緩やかだったように思います。振り返ると小学校の6年間は長かった。でも成人して以降の4、5年などはそれこそアッという間。えっ、今年はもうオリンピックの年だったか?というような感覚です。

 これは単なる感覚的なものではなくちゃんと科学的根拠があるそうです。専門用語で言うと「充実時程錯覚」じゅうじつじていさっかく、と言います。
 変化が多いと時間を長く感じ、変化が少ないと短く感じる、脳が本来持っている錯覚とのことです。

 テレビ番組の中でやっていましたが、実験でも検証できるそうです。
同じ動作を通常の速度とスローモーションの2種類で同時間だけ見せるという実験でしたが、確かにスロー映像(変化が少ない)の方が短く感じます。

 つまり子供の頃は初めて経験することが多く変化の多い生活を送りますが、人生経験を重ねると徐々に変化が少ない生活になってくる。従い年齢とともに年月の経過を早く感じるという理屈です。

 でも、ちょっと待てよ、と思う方もいるでしょう、そう…私も思いました。
楽しい時間はあっという間に過ぎるではないか。楽しい時間というのは、変化があり充実した時間だ。例えば旅行に行ったら観光地をめぐり買い物をしておいしいものを食べて、というように。
 逆にすることもない変化のない退屈な時間は長く感じる。例えばケガで入院して寝てるだけだと毎日何と退屈なことでしょう。

 先の充実何やらという学説と矛盾するのか?
たぶんですが、上記のような特定の出来事だけで比較すると、楽しい場合は時を忘れる、あるいはもっと時間がほしいとなり、退屈な時は早く時間よ過ぎてくれ、というように期待が入るためそれが大きく感覚に影響しているからではないでしょうか。

 さて視点を外部に向けて、時間の流れがゆったりしている、時間の流れが違う、とか言われる国や場所があります。国名や地名を取って○×時間(タイム)なんて聞かれたことがあるでしょう。
 概して生活様式がゆったりしている、あるいは時間におおらかな国や地方を指して言います。確かにその中に身を委ねると見事にその国、地方のローカルタイムに馴染んでしまいます。

 もう昔ですが、中国のとある地方に出張で4日ほど滞在した時のこと。その工場は昼休みがなんと2時間もあって従業員は昼になると一斉に徒歩や自転車で自宅に帰ります。自宅で昼ごはんを食べ休憩して再び2時間後に戻ってくるのです。ほとんどの従業員が工場近くの住民なのです。

 これは予定通りに仕事が進まないぞ、当然残業もしてくれないし、とあせりましたが、しかたなく我々もこの昼休み習慣に倣い、一旦ホテルに帰って昼食、その後に昼寝したり散歩したりして午後から再度出勤としました。
 季節はちょうど春。回りには菜の花畑が一面に広がりそれを見ていると、あせってもしょうがないね、と現地時間に徐々に染まっていくのでした。

 インド出張ではこんなこともありました。早朝6時発の列車で移動するためニューデリー駅に来たところ、列車の出発時間が遅れる、とのアナウンス。
 どの程度遅れるのか聞くと「3時間ほど遅れるそうだよ」としばらくして知らされる。多少の遅れは予想していたが、そんなに~、ここは始発の駅ではないの?列車の姿も見えません。
 でも周りを見ても、騒ぎたている人や文句を言う人はなく、皆平然として待っています。日常茶飯事なのでしょう。

 待合室は混みあっていて立錐の余地もありません。じゃ、しばらく散歩でもするかと荷物を同行のインド人に預け駅を出て付近をぶらぶら散策することにしました。
 路上でチャイ売りの少年からチャイを買って飲んだり、通りを小走りに駆ける野良牛を眺めたりと人間、動物ウォッチング。

これがインディアンタイムか・・・
列車は予告の時間通り?3時間遅れの9時ごろに無事出発しました。

 思うに、何もせず過ごすとなると耐えられず一番に脱落するのは多分日本人が世界一早いのではないでしょうかね。
ばってんT村でした。
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