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中欧の魅力2018/09/08

K川さんがハンガリーのブダペストへ転勤で日本を離れられましたが、この中欧付近の国々の位置、見慣れていないのでちょっとわかりませんよね。地図で見るとこのような位置関係です。

 

 

この中欧から東欧にかけてはスペイン、フランス、イタリアなど西ヨーロッパ諸国に比べ観光客数や知名度・人気度では低いかもしれませんが、魅惑的な都市のある国々だと思います。

  

さて、このハンガリーから2つ隣りのチェコにいったことがありますが、首都プラハは美しい町並みとたくさんの見どころがあり訪れるに値する都市です。

(隣国スロバキアと1993年に分離してチェコ共和国となった)

 

 落ち着いた雰囲気があり中世に迷い込んだような雰囲気のある景観が印象的です。プラハ歴史地区は世界遺産にも登録されています。

 

 市内にはトラムと地下鉄が走っており、主要観光地へは徒歩とこれらの交通機関でアクセスも簡単。地図を片手にのんびり街歩きが楽しい都市です。

 


こんなおしゃれな地下鉄駅もありました。電車もきれい。


  さて、必ず観光客が訪れる名所と言えば、市内を流れるヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の石橋、カレル橋でしょう。両側の欄干には30体の聖人像が建立されています。

 歴史的な聖人、英雄がモデルになっているのですが、日本に初めてキリスト教を布教したフランシスコ・ザヴィエルの彫像もあります。

 



 このカレル橋は大勢の観光客で賑やかですが、日本の社寺でも見かける、触ったら願いが叶うという祈願成就ものが欄干にあるのです。

 聖ヤン・ネポムツキーと呼ばれるカトリック教会の聖人のレリーフががそれで、幸運を祈って長年にわたり触れられたであろう箇所だけが黄金色に光っているのがよくわかります。


   由来は知りませんが、他にも同じように一部金ピカ状態になっているモチーフがいくつかありました。これは愛犬家がなでていったのでしょうか?


 また、この聖ヤン・ネポムツキーの下のほうに「愛の南京錠」がたくさん掛けられているのを見つけました。

 「愛の南京錠」とは恋人2人の名前を彫った錠を永遠の愛の象徴としてこのような橋や門扉、フェンスなどにかけたものです。

 世界各地に同じような場所があるらしいのですが、「ああ、こんなところにも」という感じでした。

 

 さて、プラハの町並みの景観を間近で見るなら、カレル橋のたもとにある塔に登られることをおすすめします。

オレンジ色が映える屋根が並び色彩的にも統一感のある美しい建築群を見ることができます。またプラハは「百塔の町」とも言われ、町並みの中にたくさんの尖塔が林立しているのです。

 


 ちなみに、ハンガリーと国境を接する、スロベニア(ユーゴスラビアの連邦解体で独立した1国)にもかなり昔、出張ですが行ったことがあります。

知名度はほとんどない国ですが、最近ではあのトランプ米大統領夫人の出身国で少しは知られるようになったのではないでしょうか?

 首都リュブリャナも中世を感じさせる、落ち着いてこじんまりした都市でした。

 

ハンガリーのブダペストは「ドナウのバラ」あるいは「ドナウの真珠」と形容されているそうです。

 国境を接する隣国クロアチアのドゥブロヴニクは「アドリア海の真珠」と言われるほどの美しい町並み(写真や映像でしか見たことはないですが確かに)

 

このように何かに形容されるところには、想像をふくらませて行ってみたくなりますね。

ばってんT村でした。

中欧の魅力22018/09/24

前回のチェコの続きになりちょっと長文ですが、おつきあいください。

過去のブログやオリーブ通信で少し書いた部分もありますので、一部内容が重複するかもしれません。

 

チェコのプラハ観光の後、夜行寝台列車で隣国ポーランドへ移動しました。

目的は一度列車で国境越えをしてみたかったこと、Manggha Museum」(マンガ博物館)を見学すること、

映画「シンドラーのリスト」にもなったシンドラーの工場跡地(博物館)とアウシュヴィッツ強制収容所を訪ねることでした。

 

 プラハの鉄道駅から乗った寝台車は清潔で快適、21室のコンパートメントになっていて、同室の男性は若いポーランド人でした。

 



 寝るまでいろいろ英語で会話しましたが、彼も例にもれず日本のアニメが大好き、サッカーアニメ「キャプテン翼」で日本を身近に感じるようになったそうです。

 

 さて、映画でよく見た国際列車で国境越えの儀式、乗務員がドアをノックして「パスポート、プリーズ」のシーン。これを経験してみたかったのですが同室の彼曰く「今はそんなチェックしていませんよ」とのこと。確かにパスポートチェックはなし、ものたりなく残念…

 

翌朝、到着したのはポーランドのクラクフ(Krakow)という都市です。

日本で言えば京都に相当するところでしょうか。事実、17世紀にワルシャワに遷都されるまではポーランド王国の首都だったところです。落ち着いた雰囲気の町並みが残る古都です。

 


列車で同室だったポーランド人男性が、親切にも私が予約したホテルまで連れて行ってくれて、別れ際には「何かあったらここに電話して」と自分の携帯番号まで教えてくれたのでした。



最初から親切な人に出会えたようで、さっそくポーランド人に好感を持ったのは言うまでもありません。

 

ホテルにチェックイン後、すぐ近くにある観光案内所に立ち寄りました。

相手をしてくれたのは若い女性だったのですが、こちらが行きたいところを伝えると観光地図をくれて懇切丁寧に書き込みまでして降りる駅や道順を教えてくれました。

これがまた愛想よくニコニコと応対してくれ、さらにポーランドの好感度アップ。

 

クラクフ市内にはトラムが走っていて、主な観光地は徒歩とこのトラムでカバーできます。

最初に行ったのは「Manggha Museum」(マンガ博物館)。日本美術に魅せられたポーランド人のお金持ちが収集した数千点もの浮世絵、掛け軸、刀剣、陶器などを展示してある美術館です。

 


う~ん、こんな大量の文化遺産が海外に流出したのか(いやいや、買い取られて大事にされているというべき)、と複雑な心境になりました。すべて出せないので随時入れ替えて展示されているとのこと。


 

この収集家が好きだったのが葛飾北斎。北斎漫画が博物館の名前Manggha Museumの由来です。この博物館の入った建物の中には日本語を教える教室もあるのです。

 

翌日、アウシュヴィッツ博物館へ。アウシュヴィッツがあるオシフィエンチム市は50kmほど離れたところにあるので、事前に現地ツアーを申し込んでいました。

現地ツアー会社のワゴン車がホテルでピックアップしてくれるので車に乗っているだけで楽ちんに移動。

途中、もう一カ所別のホテルへ寄って同じくツアー客をピックアップ。

 

アウシュヴィッツ博物館へ到着したら、見学の要領の説明があり、その後ガイドしてくれる人の言語を選びます。

各国語を話すガイドが待機していて、言語を選んでそのガイドに付いていくしくみになっているのです。当然ポーランド語そして、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語など20数か国の言語に対応しています。

 

このアウシュヴィッツ博物館の公認ガイドになるには試験に合格しないと資格が得られないのです。試験はポーランド語で実施され、実はこの難関の試験に合格した日本人ガイドが一人いらっしゃるのですが、事前予約が必要。

 

もちろん、ガイドなしで自由に見学もできますが、この広大な敷地の中の見るべきところに的確に連れて行ってくれて細かい説明までしてくれるガイドはここでは必須です。

 

じつは強制収容所は2か所あって、よく聞くアウシュヴィッツともう一カ所ビルケナウという収容所が別の敷地にあります。


こちらがアウシュヴィッツ。オーディオのマイクに向かってしゃべっている白い半そでシャツの女性がガイドさん。



 こちらがビルケナウ。広大さがわかると思います。こちらの方がアウシュヴィッツの数倍規模が大きいのです。  



ガイドさんは、まァ事細かに説明してくれました。途中、休憩を入れて3時間程度。説明も具体的出来事や、年代、数字が次々に出てきてその知識の豊富さに驚きます。

 

それもそのはずです。彼、彼女らは単なる観光地のガイドではなく、収容所であったことを知ってもらう、次世代へ継承するという役割を担っているのです。

難しい筆記試験と実技試験に合格した後も専門教育を受けなければならないそうです。

 

一部を除き内部は写真撮影もできるのですが、残留品などあまりの生々しさに私はさすがに内部の写真を撮る気にはなれませんでした。こここそ、百聞は一見に如かずの場所だと感じます。

 

さて、ポーランドでその地の文化に触れてみたいと思うのであれば、クラシック音楽があります。音楽家ショパンの母国ポーランドですが、教会で室内楽や建物内の一室でピアノの独演など気軽にクラシックが聴けるようなミニコンサートをあちこちで連日やっていました。

コンサートは1時間程度、日本円で入場料1,000円ほど。

 


私もこのコンサートが予定されているとある教会へ行ったのですが、受付けの場所がわからず付近をうろうろしていると、一人の若いポーランド女性が「お助けしましょうか?」と話しかけてきました。


 聞くと、大学生でこの教会のボランティアをやっている、とのこと。教会の中まで親切に案内してくれて、チケット売り場も教えてもらいました。



  元々チェコ、ポーランドあたりは美女率が高いな、と思っていたのですが、まァ、この女性も典型的な中東欧系美女でした。

 せっかくだからこの際ちょっとお話をと思って、おしゃべりしました。短時間でしたが、東洋から来たオッサンの会話にもニコニコして付き合ってくれたのです。

 

 いゃ~、私のポーランドへの好感度はこれで確定的。その国を好きになるかどうかは人によるところが大きいな、と感じました。

 

教会でのミニコンサートに話を戻すと、クラシックと言っても聞き覚えのある有名な曲を次々に演奏、肩肘張らず聴衆を楽しませるような演出でした。

聴衆は教会のずらっと並んだ木製の長いすに腰掛けて聴くことになります。これもまたおもしろい異文化体験となりました。

 


ボランティアの女子大生との話の中で、「おすすめのポーランド料理は何?」と聞いていくつか教えてもらったのですが、ひとつ覚えたのが、ピエロギ(pierogi)。

挽き肉や野菜を入れた包みをゆでたり焼いたりしたもので、ポーランド版ギョウザといったところです。

このピエロギ、ポーランドやスロバキア、ウクライナでは国民食とされているそうです。

 

 

ホテル近くのレストランでピエロギを注文して出てきたのがこれ。これだけで腹いっぱいになりました。美味で日本人にも合います。

 

さて、ドイツ軍の占領下にあったクラクフで、収容所行きのユダヤ人を救うためオスカー・シンドラー自らが経営している工場に労働者としてかくまう、という実話に基づいた映画が「シンドラーのリスト」です。

興味深いのはシンドラーがチェコ出身のドイツ人だったということ。最初は金儲け目的の工場だったのですが、ユダヤ人の危機を救うような心境の変化が生じます。

 

その工場跡地が博物館になっているのです。

シンドラーの執務室が再現され、当時の工場の写真や映画のロケ写真が展示されていたりするコーナーがありますが、ドイツ占領下のクラクフの歴史を伝える展示の方が多かったです。

アウシュヴィッツ強制収容所と合わせて見学すればより理解が深まると思います。

 

実は、この博物館については思い出があります。

あの黄色い表紙のガイドブックに博物館への行き方がわかりやすく記載されておらず、本に添付の市内地図範囲からも外れていました。(事前に観光案内所で行き方を聞いていたので迷わずには行けましたが)

 

さっそく帰国後、行き方を箇条書きして「歩き方」の編集部にメールしたのです。

出版社は読者の旅行情報を常に受け付けていて、有用な情報は翌年版に搭載されるようになっています。投稿は実名でもペンネームでも可。

 

数か月後、忘れた頃に翌年の「歩き方」が1冊送られてきました。投稿が採用されるとお礼として掲載本がプレゼントされるのです。

今でもこの1冊だけは記念に残しています。出版物に自分の書いた文章と実名が載ることなんてあまりないですからね。

 

そんなこんなで帰国してからも印象のたいへんよかったポーランドでした。

 

実はその後、さらに印象を深くした出来事がありまして… 翌年ローマに観光に行った際、バチカン市国のバチカン美術館に入場するため数百メートルの長蛇の待ち行列に並んでいたときのことです。


私が行列の最後尾に付いてしばらくすると、一人の若い女性が「ここが行列の最後ですか?」と聞いてきたのです。

待っている間、暇なので格好の話し相手ができたと思って聞かれたのをきっかけに2人で雑談をしはじめたのですが、どこから来たかを聞くとポーランドでした。なんという偶然。


ポーランド語、日本語を教えあったり、おかげで話題には事欠かなかった思い出があります。はい、彼女ももちろん美女でしたよ。

 

以上、ばってんT村でした。

 

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