Theyが単数? ― 2020/01/03
明けましておめでとうございます。
さて新年1回目ですが、年末に読んだおもしろい記事からの引用で始めたいと思います。
ブログのネタ拾いも兼ねてよく複数の週刊誌を斜め読みするのですが、以下は週刊文春の記事内容を引用しています。
前回の英会話ネタに続いて英語の話題です。
日本では年末恒例の「流行語大賞」がありますが、アメリカでも似たようなものがあります。
英語辞書の老舗Websterが年末に発表するワード・オブ・ジ・イヤー(今年の言葉)というのがあるのですが、2019年は「They」でした。
これはオンライン辞書でもっとも多く検索された単語というのが選考基準なので、まさに客観的に選ばれたものと言えます。
あの三人称複数を指すThey。
なんでThey?と思いながら記事を読んでいくとアメリカのLGBTが背景にありました。
LGBTとはLesbian,Gay,Bisexual,Transgenderの頭文字を取ったもので性的少数者のことです。
最近、アメリカではさまざまな申し込み手続きの性別選択欄にMale(男性)、Female(女性)以外にNon-binary(男女に分けられない)が追加され3つの選択肢になっているものが増えているそうです。
身体の性だけでなく心の性、好きになる(相手の)性と多様化してきたための選択肢の追加なのでしょう。
その男女どちらでもないNon-binaryの人をどう呼ぶか、ということが10年以上前から論じられてきたそうです。
HeでもSheでもなく代名詞をどうするか? EとかEyとか、ZeやZieなどが検討されてきましたが、Theyが有力になり著名人や一般の人も使いだし普遍化したらしい。
Websterも辞書に「男女に分けられない三人称単数の代名詞」と意味を加えたそうです。
まさに言葉は生きていて時代と共に変化していく、ということなのでしょうか。
ただ文法上、Theyを単数に使うのには違和感ありますよね。
でも記事の中にも書いてあったのですが、その昔、王家では自分のことをIではなくWeと言っていたと。
これ、実はちょっとわかる気がします。会社勤めの方なら経験があると思いますが、顧客など社外の人と交渉事で話すとき「我々の考えは…」などという言い方をするときがあります。
たとえ、こちらが自分一人の時でもです。「私個人の意見ではなく会社の総意なんですよ」という思いが背景にあります。
よく言われる「外に出れば会社を代表している」ってやつです。全然レベルは違いますが、組織に属している人の発話、王族の発言もこれに近いのでは。
(以上は私の想像です。やんごとなき王家ですからもっときちんとした理由があるのかもしれません)
この代名詞や呼称で言えば、日本にも独特のものがあります。
夫婦が息子、娘の前で配偶者のことを「(お)とうさん」「(お)かあさん」あるいは「パパ」「ママ」と呼びあい、親のことを「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶ(さすがに「グランパ」「グランマ」は聞かないが)
さらに、子供がその場にいない自分たちだけの時でもこの呼び方が定着してしまっている家庭もあります。
これは家族内での呼び方が一番小さい子供を基準に決まるから、というはっきりした理由があります(チコちゃん、観ていると役立ちます)
日本語を勉強した外国人が聞いたら不思議に聞こえるでしょうね。
それともうひとつ、これは関西限定だと思いますが、相手のことを「自分」と言う。二人称に使っているわけです。
一人称が二人称化するというのは、思い出すと他にもあり、「おのれ」「われ」「てまえ」などがありました。ただ、これらが二人称で使われる時というのは特別な時のような感じがします。特に「おんどれ」「てめえ」などと語感が変化したら尋常じゃない時です。
一人称の「僕」も「僕、いくつになったの?」なんて小さい子供に向かって言いますよね。
Websterは、2019年にこのTheyの意味以外に新しく533もの単語を追加したそうです。
Vacation(ヴァケーション)の短縮形Vacay(ヴァケイ)、Inspiration(インスピレーション)の短縮形Inspo(インスポ)などがあります。言葉を略しようとするのはどの国も考えることは同じなのでしょう。
さて東京オリンピック絡みで流行語ができそうな今年、どんな言葉が来るのでしょうか。
ばってんT村でした。
日本と親日国 ― 2020/01/18
世界に親日国(地域)はいくつもあります。
雑誌や調査データ、旅行ライターの体験談など複数の中から、ほぼ出てくるのが台湾、タイ、インドネシア、インド、トルコなどです。
アニメや日本文化に接して好きになった、というような理由以前に歴史的に親日になった国家があるのです。
特にトルコとの間には次のような実話があります。さまざまなテレビ番組でもとりあげられているのでけっこう知られていると思います。映画化もされました。
「エルトゥールル号遭難事件」がきっかけでした。
明治時代の1890年、親善使節団を乗せたトルコ軍艦エルトゥールル号が帰路、和歌山県串本沖で台風によって遭難、座礁してしまいます。
串本村の村民たちは乗組員を救助し死亡した乗組員を丁重に弔い、生き残った乗組員には貴重な食糧を提供し手厚い看病をしました。
そして日本政府は2隻の軍艦で生存者をトルコのイスタンブールに送り届けたのでした。
さてそれから95年後、トルコが恩返しをしてくれます。
1985年、イラン・イラク戦争の最中のことです。当時のイラクのフセイン大統領がある日時からイラン上空を飛ぶ航空機はすべて撃墜する、と布告しました。
その時点で退去できずにイランに残っている日本人がまだ200人以上いましたが、日本の自衛隊機、民間航空会社機とも紛争地には飛行機が出せずタイムリミットが迫ったままテヘランの空港に取り残されていました。
万事休すと思われたその時、なんとそこにトルコ航空機2機が飛来してきて、日本人を救出したのです。タイムリミットまで2時間を切っていたとのことです。
救援機は日本政府がトルコに要請したのですが、のちに駐日トルコ大使が産経新聞に次のような発言を寄稿しています。
『エルトゥールル号の事故に際して日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです』
このトルコ航空機を操縦したパイロットは自ら志願して飛んだそうです。
ツーリズムEXPOジャパン大阪会場にて
トルコ航空CAさん(エキゾチックです)と(右端の長友選手は二次元ね)
変わって台湾です。
この方の名前も憶えておきましょう。台湾で尊敬される日本人の一人、八田與一(はったよいち)
日本統治時代に、八田が設計し台南に建てた烏山頭ダム。1930年の完成当時、東洋一の規模でした。このダムによる灌漑設備により不毛の大地だったダム周辺は台湾最大の穀倉地帯になったのです。台湾の教科書に載るくらい尊敬されているお人です。
こちらはご存知の方も多いでしょう。
第二次大戦中、リトアニアの領事館に赴任していた杉原千畝(すぎはらちうね)。ドイツの迫害から逃れてきた難民(主にユダヤ人)に大量の通過ビザを発給して救ったことで知られています。外務省の注意に背いてビザ受給資格のない人々にまで発行し続けたとのことです。
このように日本、あるいは日本人に感謝している親日国家が世界中にあるということ、当事者の日本人として知っておくとよいのではないでしょうか。
次回は話題に挙げたトルコのイスタンブールについて書いてみます。
ばってんT村でした。
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