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アウシュヴィッツのタトゥー係2020/02/01

 トルコの続きを書く予定でしたが、おもしろい小説を読んだのでそれを先に紹介します。

 

 2017年7月のブログで「アウシュヴィッツの図書係」という小説を紹介しました。

よく似たタイトル「アウシュヴィッツのタトゥー係」も同じくアウシュヴィッツの強制収容所を舞台にした実話に基づく物語です。

 

 日本での出版は昨年2019年。世界300万部突破の国際的ベストセラーとあるからには読んでみなくては、と思い図書館から借りてきました。

 


 

 一気読みしました。ラブストーリーとなっていますが、どうやって生き延びるかというサバイバル的要素もあり展開がおもしろい物語です。2020年にイギリスのBBCでドラマ化されるのもさもありなん。

 

 著者は史実と本人から長年かけて聞き取った実話を基にした「フィクション」だと注釈に書いています。多少の脚色はしてあるわけです。

 

 あらすじは…

 ユダヤ系スロバキア人の青年ラリは収容所に運ばれ、新入の収容者の腕に識別番号を刺青する係を命じられます。

 ある日、刺青を彫った一人の女性に心臓が止まるくらいの一目ぼれをしてしまう。

その女性ギタと知り合いになりたいラリは親しくなった親衛隊員に手紙を託してきっかけを作ります。

 …というストーリーの始まりです。

 

 ラリが生き延びたのは若いこともあったのですが、意志力とサバイバルのため常に頭を働かせていたことです。

 重労働は強いられず比較的楽な刺青を彫る仕事に就けて生き残れたのも、彼の人間的魅力と多言語が話せたためです(自国チェコ語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、ポーランド語が話せた)

 

 要領の良さでは、収容所に建設などで働きに来る外部者と親しくなり、食料や薬などを入手できるようになりました。その薬で恋人ギタの命を救ったりします。

 

 紹介はこの程度にして、興味ある方は読んでみてください。巻末には二人の写真や息子さんの言葉も掲載されています。

 

さて、物語の中の強制収容所はポーランドにあるのですが、アウシュヴィッツとビルケナウという2か所が出てきます。アウシュビッツだけでは収容しきれず、ビルケナウに収容所を増設したわけです。

 

 

こんな位置関係で、実は4㎞ほど離れています。

数年前、現地ツアーで見学に行った時はもちろん車で移動しましたが、ラリは仕事でこの距離を徒歩で往復するわけです。

 

この強制収容所は世界遺産になっていますが、言わば「負の遺産」です。


アウシュヴィッツ入り口 



ビルケナウ 貨物列車で運ばれそのまま収容所内へ


敷地は広大

  

話変わって。

ここの博物館公認のガイドさん達はポーランド人で言語別(ポーランド語、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語など)に複数人待機していて、見学者は言語を選びそのグループに入ります。

 

アウシュヴィッツの公認ガイドは専門知識を問う国家試験を合格しないと資格は取れないので知識は驚くほど豊富。説明してもらいながら巡ると、歴史、建物や設備、展示物、廃墟などの意味がわかり現実味を感じることができます。

 

補足ですが、この公認ガイド国家試験(ポーランド語)に合格された唯一の外国人として日本人男性がいらっしゃいます(常駐ではなく事前予約が必要)

 

 また、日本語で説明してくれるガイドさんが案内するツアーもあるようです。

 実はポーランドも親日国家でして、外国語として日本語は人気で、日本語学校や大学にも日本語学科があったりします。このようなところを卒業した人たちが日本語ガイドをするわけですね。

ばってんT村でした。


飛んでイスタンブール2020/02/15

親日国トルコの話の続きで、イスタンブールへ行った時のお話をしたいと思います。


昔、「飛んでイスタンブール」という歌がありましたね(もう知らない人の方が多いか) トルコの首都はアンカラですが、知名度が高いのはイスタンブールの方です。


 1923年にトルコ共和国となりアンカラに遷都されるまではイスタンブールが首都でした。ボスポラス海峡を隔てて西洋と東洋が混在する魅惑的な都市です(このボスポラスという名称もいい響き)

 

こんな位置関係

 

スピーカーから街中に朗々と流れるアザーン(イスラム教徒への礼拝時間のお知らせ)が聞こえると異国に来た、ということを強く感じます。

 

イスタンブールには旧市街と新市街があり、見どころは旧市街に固まっています。歴史地区として世界遺産にもなっているところです。

 

旧市街


必見はブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿の3つではないでしょうか。

 

 一つ目のブルーモスクですが、正式名はスルタンアフメット・ジャーミー(ジャーミーはトルコ語でモスクのこと)と言います。オスマン帝国のアフメットという名のスルタン(王様みたいなもの)の時代1616年に建造されました。

 

 この頃は日本だと江戸時代初期ですが、トルコではこんな巨大なモスクを作っていたのですね。

 

 

 世界でもっとも美しいモスクと言われています。いわれのとおり、内部に入ってみると天井のドーム内面の模様と色彩には目を見張ります。首が痛くなるくらい長い時間見上げてしまうほど。

 


 ステンドグラスを通して入る太陽光に青い装飾タイルが映える様子からブルーモスクと呼ばれています。

 礼拝の時間以外は一般人も絨毯を敷き詰めた礼拝堂の中まで入って見学することができます。

 神社、教会、モスクなどへ入ると宗派を問わずなぜか神聖な気持ちになるものです。

 


  

次のアヤソフィアは一種独特なイスタンブールを象徴する建築物です。ローマ帝国時代はキリスト教会として、その後オスマン帝国に征服されてからはイスラム教のモスクとして使われました。

その際、モスクに改装するためキリストや天使の絵画の上に漆喰を塗るなどしてキリスト教を想起させるものは目に付かないように隠したのです。

 

1923年にトルコ共和国になってからアヤソフィアは無宗教の博物館になっています。漆喰をはがしたりして当時のキリスト教の絵画が再び見られるようになり、キリスト教とイスラム教の象徴が混在する不思議な空間になっています。

 


内部は広大で観る者を圧倒します。ここは2階へ上がることができて、そこから階下を見るのがオススメです、壮大さがより一層感じられます。

 



三つ目のトプカプ宮殿は1519世紀中ごろまで、オスマン帝国の君主が居住した宮殿です。

 

 ゆっくり見学しようと朝早めにいったにもかかわらず、このトプカプ宮殿への入り口は観光客で長蛇の列でした。長時間を覚悟で待っていると、日本語で「日本人の方、いませんか?」と言いながら行列の横を歩いている人がいました。

 

 そしてそばに来た時に私に気づいて「日本人ですか?私がガイドで日本人を団体で案内するので来ませんか?団体入り口から入るので待たなくてすみますよ」と流ちょうな日本語で誘ってきたのです。

 

こりゃ胡散臭いボッタクリガイドじゃないのか?とためらっていると見透かしたかのように「安心してください、私は公認のガイドです」と首から下げたガイドの身分証を見せるのです。

名前はアルタンさんといい名刺までくれました。

 

列を離れついていくと、日本人観光客が数人集まっている団体入り口付近に連れていかれました。

 

 さらに数人の日本人を集めてきて10人程度になったところで彼の引率で中に入りましたが、団体入り口からだと確かにほぼ待ち時間なしでした。

 

 さすがに公認ガイドでそれも日本語で話してくれるので説明がよく理解できました。ここの青いモザイクタイルの美しさも圧巻です。

 




さらに宮殿内にはあのハレム跡もあり案内してくれました。日本で言えば大奥の間みたいなものですね。

 

ガイド料はもう忘れましたが皆が支払い終わって解散した後、アルタンさんにどこで日本語を覚えたのかを聞いてみると、大阪に住んでいたことがありその頃に勉強して覚えたと言っていました。

 


 なぜ今日のような勧誘をしたのか聞くと「仕事は他にあるのですが、せっかく覚えた日本語とガイドの資格があるのでこうやって休日に時々日本人の方を案内しています」ということでした。

思わぬところで日本語に遭遇したひと時となりました。

  

さて、旅行へ行けばお土産です。知り合った別のトルコ人に「友人のお店があるから紹介するよ」と言われ、とあるおみやげ屋に連れて行ってもらいました。

あらかじめ「絨毯には興味ないから買わないよ」とことわっておきました。

 

が、店へ入るとまずお茶が出て、やはり絨毯のセールスが始まりました。そこでも「興味ないから買わない」とはっきり言うと「OK、わかった。見るだけでいいよ。トルコの絨毯のすばらしさを説明するから」と意に介せず。

 

そして何枚か絨毯を出してきて「これどう?見る角度で光沢や色合いが違って見えるんだ」とか、「このサイズならどう。丸めれば持って帰れるよ」とかさかんに売りこんできます。


確かに光沢のある見事なじゅうたん、値段も相当…


しかし、私がまったくその気を起こさないのを見てほんとうに買う気がないと思ったのか、ついに売り込みをあきらめてその後は日本の話題も交え世間話になってしまいました。

親戚が東京でもお店をやっている、と写真も出してきます。ある1枚の写真にはその親戚数人とベ〇ツの高級車が写っていて(こりゃシコタマ儲けているな)と内心思いながら見ていました。

 

何も買わずお店を出る時には「観光の途中で疲れたら寄って休憩していいよ。また話をしよう」と言ってくれたので額面どおりに受け止めて、後日2度ほど立ち寄ってトイレを借りたりお茶をごちそうになったりしました。

何も買わずとも「日本人は友達ね」などと言いながら愛想はいいし、やはり親日家なのか、商売上手なのか?

 

さすがに悪いと思って、最後は日本で配るおみやげ(モザイクタイル模様の鍋敷きなど)をいくつか買いましたが。

 

一度に書ききれませんでしたので続きはまた次回、お話します。ばってんT村でした。

 

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