パンデミックと「ロミオとジュリエット」 ― 2020/03/14
コロナウィルスの感染拡大でパンデミック(感染症の世界的流行)が宣言されましたが、過去の歴史上でも人類がパンデミックに襲われたことは何度もありました。
よく知られている最大規模のものはペスト菌によるものでしょう(ネズミなどを宿主としたノミを媒介してヒトに、その後はヒト→ヒトで感染していった)。
古代エジプトのミイラから痕跡が発見されていますから紀元前から存在していたことになります。
もちろん、エジプトの人々は原因も何もわかるわけがありませんが、伝染することはわかっていました。石切り場で大流行した時は、その場を隔離して中の者が全員死亡するのを待った、といいます。
パンデミックの1回目は6世紀の東ローマ帝国から発生しヨーロッパ、近東、アジアへ伝搬していき、3,000万とも5,000万人ともいわれる死者が出たといいます。
次の大流行は11世紀の十字軍遠征、14世紀のモンゴル軍の大移動が引き金といわれています。
特に14世紀の2回目のパンデミックでは全世界で8,000万の人口が失われ、ヨーロッパだけで2,000万から3,000万人が死亡したと推定されています。
この当時、貿易船が行き来するベネチア共和国では、この疫病が東方から来ることに気づき、すぐ乗員を下船させずに潜伏期間の40日間、強制的に船を停泊させる法律をつくったのです。
空港でよく目にする表示「検疫」は英語でquarantineと書かれていますが、これはイタリア語のquarantenaおよびquarantagiorna(40日間の意味)が語源となっています。
横浜港やサンフランシスコ冲でクルーズ船内に乗員乗客を留めおいたのはベネチアのやり方とまったく同じです。医学的な検査方法があったか、なかったかの違い。
歴史は繰り返されるのですね。
その後もペストは何度も流行するのですが、1665年イギリスでのこと。リバプールから80kmほどのところにあるEyam(イーム)という村に悲劇が襲います。ロンドンから届いた布地に付着したノミのペスト菌によって村中に感染が拡がりました。
事態を重く見た2人の牧師の指示の下、村人がやったことは自発的に村を封鎖することでした。「村の外に出て行かず、外からは誰も入れない」としました。
それ以外にも、
死亡者の埋葬は家族だけで行い、その家の敷地内にすること。
集会は教会で行わず、村はずれの広い原っぱでやる。
という3つのルールを作り、それを村人全員が犠牲的精神で守り外部への拡散を防いだのです。
事情を知った近隣の村から食料などが届けられました。村はずれの平原に救援物資を置いて立ち去り、イーム村の住民が取りに行きお金を置いていく、というやり方です。
この封鎖方式も中国でやられていたウィルスの拡散防止方法と同じですね。ここでも歴史は繰り返されています。
3回目のパンデミックは1894年、香港で発生しました。この時は細菌学者の北里柴三郎が香港に渡り、原因であるペスト菌を発見したのです。これにより予防法や治療法の確立されるようになります。
さて、話が変わり唐突ですがシェークスピアの作品に「ロミオとジュリエット」という物語があるのはご存知だと思います。
『舞台は14世紀イタリアのヴェローナ。ロミオとジュリエットの両家は敵対していて相思相愛の二人の仲は引き裂かれ、ジュリエットは他の男と結婚させられることになる。
ジュリエットの相談を受けた修道士は数時間だけ仮死状態になる毒薬をジュリエットが飲み死亡したと見せかけ、ジュリエットが目覚めた後に二人で駆け落ちする案を持ちかけた。
計画どおり、結婚式前夜に薬を飲んだジュリエットは仮死状態になる。葬儀で死亡したジュリエットを見てロミオは悲しみのあまり自殺する。その後、目覚めたジュリエットは自殺したロミオを見て自分も後を追った。』
というのが超簡単なあらすじです。
でも、なぜ死んだふりをする芝居のことをロミオは知らなかったのか?
実はこのことを書いた手紙を修道士の使者がロミオに届けに行っていたのです。しかし、途中の村で病人に出くわし使者はその家に立ち寄ることになります。
直後、病人がペストであることを知った村人たちが感染を防ぐため、病人といっしょにその使者も家に閉じ込めてしまったのです。
このことで伝言がロミオに伝わらなかったのですね。
シェークスピアが「ロミオとジュリエット」を書いた1590年ごろもペストが流行っていた時期で、この伝言が伝わらなかった部分はそこから着想を得たのではないか、といわれています。
何の偶然か、今イタリアではコロナウィルスが蔓延し都市ごと封鎖されるような事態になっています。ここでも繰り返される歴史。
さて記憶に新しいところでは、2002年~2003年ごろにSARS(サーズ)と呼ばれる感染症が流行した時期がありました。
今年のコロナウィルスほどの拡散規模ではありませんでした。医療用に使われるレベルの高性能のマスクを支給してもらい注意して出張もしていましたから。
この時期に上海出張に行った時のことです。上海か関空のどちらの空港かは忘れましたが、到着してゲートに駐機後、「降りずにしばらく座席にいてください」という機内アナウンスが流れました。
しばらくすると頭から全身を白い防護服で覆った人間が数人、機内に入って来て、赤外線式の測定器なのでしょう、それで順番に一人一人の体温を測定していったのです。
この時はドキドキしました。自分に熱はなくとも近くの乗客に発熱者がいればまとめて隔離です。
無事に出られてホッとした記憶があります。
他国ごと、他人ごととは思えない今年のコロナウィルスのパンデミックですが、もう自粛疲れやストレスが出てくる頃ではないでしょうか?
ここまで話題が暗かったので、最後に全く関係ない話に変えて。
日本語教室も長く休講が続き、引きこもり気味のこの頃、このような本でも読んで気分転換されてはいかがでしょう(まあまあおもしろい)。
ばってんT村でした。
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