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インド今昔2021/04/05

 これまでインドには7~8回行ったことがあるのですが、すべて仕事の出張でした。 
仕事とは言え、空いた時間や休日を利用して観光もしましたが、印象に残る国です。 
今でも記憶に残っている出来事を書いてみました。 

・両替でジャブ 
 最初にインドに行ったのはもう30年ほど前のこと、一人の出張でした。到着したニューデリーの空港でさっそくジャブを浴びます。 

 両替窓口で円と引き換えに出された大量のインドルピー札を、私は職員の目の前で1枚1枚数えて金額を確認していました。 
 この当時、1ルピーが5円程度だったと思います。例えば数万円を両替すると、ルピー紙幣が分厚い札束で渡されます。 

 あと少しで数え終わるぞという頃、職員が札束をもう一かたまりそっと出してきました。最初から一定額を抜いていたのです。 
 素知らぬ顔をしていましたが、ばれたかという表情でした。 

 一番最近インドへ行ったのは2018年ですが、すでに両替えに紙幣カウンターが使われていました。もう今はごまかしようがありません。 

 さてその2年前の2016年、1,000ルピーと500ルピーの高額紙幣が使えなくなったということを日本のニュースで知りました。突然だったのでインドは大混乱になったそうです。 
目的は偽札や不正蓄財などの現金を使えなくすることでした。 
 
 それまでのインド出張で残ったルピー札は再両替せず次の出張で使おうと保持していた私はえっ!と思いました。大した額ではないけれど旧札は紙屑になったのか…と。 

で、2018年に行ったとき、ダメもとで残していた旧紙幣を両替窓口で出して「新札に交換できない?」と聞きましたが、やっぱりだめでした。 

      もう使えなくなったガンジーさん 


・インドの夜明け 
 インド国内の移動に寝台列車を利用したこともありました。列車内で一夜明け、「インドの夜明けだ」と朝焼けを車窓からボ~ッとながめていたら、遠くに見える草原のあちらこちらで間隔をあけてしゃがみこみ、瞑想でもしているのかと思わせる人々が目に入りました。 
 しばらくして、あ~、朝のトイレタイムか、と気づいた次第。 
 
・駅の赤帽 
 大きな駅だと列車が到着するホームに赤帽が待機しています(チップをもらって荷物を運ぶポーター)  
 停車するなり数人の赤帽がドッと乗り込んできて、荷物を持っている乗客に寄っていきます。大きなスーツケースを押して降車しようとしている私にも、赤帽が3人ほど寄ってきました。 

 こちらの都合におかまいなく仲間内で何やら言い争って、争奪戦に勝ったそのうちの一人が勝手にスーツケースを手にして「どこまで行く?」と聞いてきます。 
 勢いに押され、いまさら「自分で運ぶからいい」とも言えない状態となるのです。 

・値切りはほどほどに 
 とある出張の時、ニューデリーで日曜日を過ごすチャンスがありました。一度は見てみたいタージマハル、この時しかないと思い、一日タクシーを貸し切ることにしました。タージマハルがあるアグラまで片道3~4時間かかる距離です。 

 ホテルで前日の土曜日、事前に交渉したのですがさすがに遠いので料金が高かった。そこで値切りたおしました。 

 だいぶ値下げに応じてきたのですが、もう少しと言うと「わかった。でもその金額だとクーラーが付いていない車になるけどいいかい?」という返し。 
 ハッタリかもしれないが、さすがに猛暑の時期のインドでは耐えられないのでほどほどの料金で妥協。 

・インド人も暑い 
 某顧客の工場で仕事したときの事。エアコンのない現場では周囲温度は40℃以上になっていました。 
 いっしょに仕事をしながら見ていると暑くてつらそうな表情。そして数十分ごとに「暑いから休憩しよう」と言ってきます。インド人が必ずしも暑さに強いわけではないことがこの時わかりました。 

 そしてクーラーの効いた部屋で涼んでいると、出てきたのは熱くて甘~いチャイ。どうせなら冷たい飲み物がほしいな、と思った休憩時間でした。 

・VIP待遇 
 ニューデリーで、お土産にカシミアのマフラーかショールでも買っていこうと思い専門店に立ち寄りました。買いたかったのはパシュミナという、越冬するヤギのあご部分の極細毛だけで編んだ高級品。 
 普通のカシミアより高価だけど、それほどでもないだろうと高を括っていました。 

 店内を一通り見てもそれらしきものが見当たりません。そこで店員に「パシュミナはありませんか?」と聞くと、急に丁寧な態度になり「こちらへどうぞ」と奥へ案内されました。 
 案内されたのは別室。テーブルとソファがあり「お座りください」と言われ、紅茶が出てきました。 

 すぐに細長い木箱をいくつか携えた店員が入ってきました。おもむろにその木箱を開け「パシュミナです。どうぞご覧ください」と見せてくれました。 

 一つを手に取り真っ先に値札を見ました。正確な金額は忘れましたが、日本円換算で5万円以上したと思います。   

 とても気軽におみやげとして買える価格じゃないなと思案していると、気に入らなかったと思われたのか、「では、これはいかがですか?」とさらに他の柄のものを薦めてきます。 

 もう正直に言うしかないと思い「こんなに高いとは知らなかった。申しわけないが買えません」と謝って早々に店を出たことがあります。冷や汗ものでした。 

・ボンベイのシーク教徒運ちゃん 
 ボンベイ(現ムンバイ)で宿泊していた出張中の日曜日、市内観光しようと思い立ち、ホテルの前で客待ちしていた1台のタクシーの運転手と交渉し一日貸し切ることにしました。 

 運ちゃんは頭にターバンを巻きひげを蓄えた、日本人が想像するであろう典型的インド人の風貌そのものでした。 
 実際は、ターバンを頭に巻いているのはインド全人口の2%しかいないシーク教徒なのですが、インド人のイメージとして強く定着しています。 
 ちなみにインドのタクシー運転手にはシーク教徒が多いらしいです。 

 やはり地元地理をよく知っています。普通の観光だったら行かないようなところも行きました。 

 「昼食はあなたが日頃行くような食堂に連れて行って」と頼みました。連れて行ってくれたのは、彼がよく通っているという地元の大衆食堂、そこでカレーの定食。皆、器用に指先を使って食べています。 

 彼から食べ方を教わり指ですくって食べてみましたが、ボロボロこぼして難しかったので、あきらめて途中からフォークとスプーンをもらいました。 

 一通り観光地を巡った後、 「ゾロアスター教の墓地も行ってみるかい?」と言われて行った所は市街中心部から少しはなれた小高い丘にありました。 

 ゾロアスアー教の葬送方法は鳥葬です。敷地内は教徒しか入れないのでゲートの外から眺めるだけで中の様子は見えませんでしたが、上空には鳥が多数舞っていました。 

・インドのお弁当 
 インドにもお弁当があります。丸い形のアルミ製でお重になっています。 

 この写真のような形です。 
       (インド映画「めぐり逢わせのお弁当」から)
 

  お弁当を作る食堂もあるのでしょう。あるお客さんのところでお昼にこのお弁当が出てきました。初めて見たので物珍しくもあり、興味深い体験ができました。
 メニュー内容はもう憶えていませんが、おいしかった記憶があります。 

 レストランで誤って生水を飲んでお腹を壊したり、路上の物乞いやお土産売りにしつこくつきまとわれたりしたこともありましたが、ハプニングも含めインドはいい思い出として残っています。  

 もし観光で行くなら、ピンクシティと呼ばれるジャイプール、18禁じゃないかと思われる彫刻に覆われた寺院遺跡群があるカジュラホでしょうか(それにしても、宗教は奥が深い) 
ばってんT村でした。 

思い出のタクシードライバー2021/04/25

前回のブログではインドでチャーターしたタクシーのことを書きましたが、他の国でも印象深いタクシードライバーと遭遇したことがあります。そのお話です。


・カンボジアで2日貸し切り

 ずいぶん昔で19年前のこと、盆休みを利用してアンコールワットを観にいきました。アンコールワットはカンボジアのシェムリアップという地方にあります。


到着したシェムリアップ空港でホテルに行くためタクシーに乗りました。ドライバーを見ると若い男性です。


 車中、彼が英語で「アンコールワット観光ですか?」と話しかけてきます。そして私が日本人だと知るとこんな提案をしてきました。

 「私の妹はガイドで日本語も話せます。私が車の運転、妹がガイドで同行して観光案内できますがいかがですか?」


 願ってもない事でした。アンコールワットはあの有名な寺院だけでなく、その他にも複数の遺跡が広範囲に点在しています。車で移動できたら便利です。

高額だったら断ろうと思っていましたが、それほど高くなかったのでOKして2日貸切ることにしました。


記念に残していたアンコール遺跡群入場パスの3日券。これで3日間、遺跡群の出入り自由、当時40ドルだった。


 1日目はひとりでじっくりアンコールワットのみ見学。翌日朝から車で来てもらって他の遺跡も巡ってもらいました。

 ただ、妹さんの日本語は簡単な日常会話には不自由しなかったのですが、遺跡の歴史など細かい説明ができるほどのレベルではありませんでした。

 今の尺度で言うとN3レベルというところでしょうか。


「明日はアンコールワットに日の出を見に行きましょう」と提案してくれて2日目は夜明け前にホテルに迎えに来てくれました。

残念ながら雲が多くて朝焼けは見られなかったのですが、3人で共にした2日間は楽しいものでした。

ちなみに小高い山に夕日の絶景ポイントもあり、そこにも連れて行ってくれて、夕日は拝めました。


・バンコクの隻腕ドライバー

タイのバンコクのタクシーは料金が安いこともあり、仕事でも観光でもよく利用しました。


バンコク滞在中のとある夕方、別のホテルに泊まっている知人に会うため、通りでタクシーを拾い乗り込みました。運転手は気さくな感じの中年男性でした。

乗った後に気づいて驚いたのですが、運転手にはなんと右腕がなかったのです。


タクシーはマニュアル車(日本と同じ右ハンドル)だったので、左手でギアシフトを操作する間、一瞬手放し運転になります。大丈夫かよ、と少し不安になりました。ハンドルには片手で握るためのグリップが取り付けてあります。


しかし運転を見ていると、瞬時にシフトチェンジし手放し運転になることを微塵も感じさせません。F1かラリードライバー並みの素早いシフト操作と巧みなハンドルさばきに感動すら覚えました。

 あとで右腕がない理由を聞くと、バイクに乗っていて交通事故に遭い失ったとのこと。


しばらく走ると夕方のラッシュ時のためか渋滞にはまりました。すると、メーターをやめて定額にしてくれないか、とその料金額を言ってきました。


これ、バンコクのタクシーだと時々やられます。渋滞でかせぎが悪くなりそうだとなると、メーターを使わず高い定額料金を要求してくるのです。

そら来た、と思った私はきっぱりと「ダメ、メーターで行って」と言いました。彼は渋々「わかった」と言いそれ以降要求することはありませんでした。


 外国人観光客を乗せる機会が多いので英語は少し話せると彼が言い、車中では英語とタイ語のチャンポンで雑談していました。

そのうち「日本語を教えてくれないか。日本人も乗ってくるので憶えたいんだ」と言います。そこであいさつやお礼など簡単な一言日本語をいくつか教えたのです。


そして渋滞や信号で停止中、「いつもメモを取って覚えているんだ」と器用に片手でメモ帳を取り出してきて、教えた日本語の発音を反復し書き留めるのです。これにも感心しました。


そんな最中に彼の携帯電話が鳴りました。通話中の会話はタイ語で意味はわかりませんが、漏れ聞こえてきたのは女性の声です。


通話が終わった後、「奥さんか?」と聞くと「そう。今日は早く帰ってきて。いっしょに晩御飯を食べよう、と言ってきた。あなたをホテルで降ろしたら今日は仕事は終わりだ」と照れた表情で言います。


渋滞で時間はかかったけれどやっとホテルに到着。メーターの示した料金に多めのチップを足して「チップは奥さんの分ね」と言って手渡しました。

彼は受け取りながら「ありがとう。これで何か買って帰るよ」と笑顔で応えました。


しかし私が降車したその直後、ホテルから出てきた欧米人カップルが入れ替わるように彼のタクシーに乗り込んだのです。

私は「残念、もうひと仕事だね」と一人ごとを言って、タクシーを後にしました。


記憶に残る一期一会の出会い。ばってんT村でした。


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