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海の祭礼2022/02/13

 前回のブログは通訳や翻訳に関する話題でしたが、それに関連するような小説を読みましたので今回はそのトピックを。


 1853年にペリーがアメリカから軍艦を連ねて来航し開港を迫ってきたことは歴史の授業で習いました。
 「来年、ええ返事期待してまっせ」と去っていき、ペリーは翌年再来日します。

 このペリー来航時や前後のできごとを、交渉時に首席通訳を務めた森山栄之助という人物を軸にして書かれたのがこの小説です。実話で、出てくるのは実在の人物です。
 著者がもう一人スポットを当てた人物が、森山に英語を教授したラナルド・マクドナルドというアメリカ人です。

 ペリーが来航する以前からアメリカ船は日本に頻繁に来ていました。それらは捕鯨船です。
 石油が発見されるまで、灯火や機械の潤滑油などには鯨油が使われていました。アメリカやイギリス、フランスなどは盛んに大西洋で捕鯨を行い、そのうち乱獲で鯨が激減したため太平洋に進出してきます。

 捕鯨船は鯨が多く回遊する日本の近海にまで来るようになったのですが、その際に日本に立ち寄って食料、飲料水や薪などの物資の補給を要請してくることがありました。
 鎖国政策をとっていた江戸時代の日本でしたが、外交問題にならないよう物資を与えて早々に出て行ってもらっていたのです。

 さらに捕鯨船の難破で船員が漂流民として日本にたどり着くこともたびたびありました。彼ら漂流民も雑に扱うわけにはいきません。
 まず長崎の出島まで護送し、貿易相手国だったオランダの船に乗せて第三国経由で本国に送還していたのです。

 また中国(清)ではイギリスとの間でアヘン戦争が勃発したのもこの時期、1840~1850年代です。
 イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの強国がアジアに食指を伸ばしていた時期で、江戸幕府も欧米の脅威を感じ始めていました。

以上がこの小説の時代背景となります。

 そうだったのか~と読んで初めて知ったことがあります。
ペリー一行との交渉は当然英語だろうと思い込んでいたのですが、実は(英語―オランダ語―日本語)とオランダ語を介して行われたのです。

 長崎でオランダ相手に交易していた日本にはオランダ語を話す通詞(通訳)が元々いました。
 その中でも森山栄之助はオランダ人より正確できれいなオランダ語を話す、と出島のオランダ人も舌を巻くほどの語学の才能の持ち主でした。

 一方、アメリカは日本がオランダと清とのみ交易していることを知っていたので、オランダ語の通訳、中国語の通訳を各々1名ずつペリーに同行させていたのです。

 実は森山は英語も一応話せたのですが、国の行方を決める重要な会談なので翻訳の正確さを期すためオランダ語でやることになったというのが理由でした。
 ただ、雑談ではペリーらと英語で直接会話していたそうです。

 このペリー来航の5年ほど前に、ラナルド・マクドナルドが北海道(当時、蝦夷)の利尻島に漂流民として流れ着きます。
 彼は以前から日本にあこがれていて、乗っていた捕鯨船が日本近海まで来たときに、漂流民を装って船から離脱したのです。

 森山は長崎に護送されてきたマクドナルドに出会います。熱心にメモを取って日本語を覚えようとするマクドナルドを見て、英語を教授してもらうことにしたのです。
 小説ではここからの経緯が興味深くおもしろいシーンです。

 森山がマクドナルドのメモを見ると、例えば次のような英語と聴き取ったり教えてもらった日本語が対比して書かれていました。

Ears    Memee
Mouth Quich
Water  Meze
Hair     Kamee
Hand   Tae
Head    Adame
Paper  Kame
Pen    Fude
Lantern      Andon
Tea cup     Cha wan
Thank you  Aringodo

 全く未知の外国語で何の参考書もないのですから聞こえたままをメモしたようですね。
PenがFude(筆)やLanternがAndon(行燈)なんてその時代ならではです。

 このメモから、彼が頭をさげて「アリンゴド」と言っていたのは礼を言っていたということに森山は気づきます。
 彼の勤勉さに感心してGoodと言うと、マクドナルドは日本語で何と言うのかを聞いてきました。
「良か」と森山が答えるとマクドナルドは紙に「Youka」と書いたそうです。

 さて、森山は選抜された優秀な通詞数名を率いて座敷牢に入れられたマクドナルドのところへ日参し、牢の格子ごしに英語を学ぶ毎日が始まります。

 授業メニューを考えるのは森山の役目でした。
まず、体のパーツの英語名を覚えることとしました。頭、耳、目と指さしで発音してもらいその発音をまねて覚える。その後は周囲の身近な物に広げていく。

Headはヘートと発音を覚えていたが、マクドナルドの発音はヘッとしか聞こえない。今まで覚えていた発音がまちがっていたことに森山は衝撃を受けます。
 座って、と英語で「セット トウン(Sit down)」と言ってもマクドナルドは首をかしげるし、英語を習いたいという意味で「レルン(Learn)」と言っても通じなかったのです。

 そこで次に行ったのが、英和辞典の発音の訂正でした。この頃には6,000語ほどを収めた英和辞典はすでにあり、それにはカタカナで読みが書かれていました。

 それまでオランダ人から英語を習っていたので、辞典に書かれていたのはオランダ語なまりの発音だったのです。
例えば、体のパーツでは
Hear  ヘール
Neck  ネッキ
Hand  ハント
Finger ヒンゲル
Eye  エイ
Mouth  ムース
Nose   ノース
とカタカナで読みが書かれていました。

 これを見ると、rをはっきり発音するんですね。
それとちょっと調べてみると、オランダ語では語尾のdは無声音のtとなるそうです。なるほど、それでHeadがヘート、Handがハントになるんですか。

中には同じものもあったそうです。
Room   ルーム
Desk    デスク
Belt    ベルト
Book ブック
など。

 次に実用面では、異国船や漂流民の取り調べ時の質問事項を英語で言ってもらいそれを覚えることとしました。
どの国の船か?
船名は?
来航の目的は?
船員は何人か?
 など。

場面シラバスで練習していたのですね。

 オランダ語の文法をマスターしている森山は文法のセンスもあり、マクドナルドも驚くほどの上達ぶりだったとのことです。

 ちなみにオランダ語は語順が英語とは少し違いますが、よく似ていますね。
ネットでとちょっと見てみると、例えば
Ik kan Nederlands niet spreken.「私はオランダ語を話せません。」
 ※ Ik「私」 kan「できる(助動詞:1人称単数現在)」、niet(否定詞)、spreken「話す」

英語、ドイツ語にロシア語っぽい用語も混在しているような多様な言語だな、と思います。

 その後、アメリカとの通商交渉やイギリスとの開港交渉など通訳業務で引っ張りだこになった森山ですが、諸外国や幕府の信頼も得た森山は単なる通詞ではなく、外交官としての役割を担うようになっていくのです。

      帰国後、マクドナルドは回想録も書いています

 ハンバーガーのマクドナルドが日本に進出する遥か昔に、日本で初めてネイティブ英語を教えたマクドナルドが上陸していたとは、まだ自分が知らない歴史があったりしておもしろく読みました。

 ちなみにハンバーガー伝来の地も長崎県。佐世保の米軍基地のアメリカ人からレシピが伝わったと言われています。

ばってんT村でした。

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