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スマホ脳2022/10/08

先月のある土曜日でした、お昼12時ちょっと過ぎ。

マンションに住んでいるのですが、「お届け物です」というドアホーンからの声でマンション入り口のドアを解除。宅配便の届け物かな、と思っていた。


しばらくしてピンポーンと玄関の呼び鈴。すぐにドアを開けるも誰もおらず、ドアのそばにマクドナルドの紙袋がポツンと置いてあった。頼んだ覚えはない。


すぐに外を見るとエレベータに乗りかけている後ろ姿の若い女性がいた。「部屋、間違っていますよ」と声をかけると戻って来てくれた。


コロナ感染防止のためか、デリバリーの支払いはネット上で決済し、対面で受け渡しはせず玄関先の置いていく決まりになっているのでしょう。


女性は「ここ、〇×▽号室ですよね」とスマホを私に見せながら言う。スマホのオーダー内容が書かれた画面を見ると確かに部屋番号は合っている。が、マンション名が違う。

道を挟んだ隣のマンションだった。


翌日の日曜日。外出から帰るとドアの横にビニール袋が置いてある。妻に聞くと「昼頃、ピンポーンの音で出たら、かつ丼が入ったビニール袋が置いてあった。また間違ってる」と言う。


配達者はすでに去った後だったのでどうしようもなくそのまま放置。2日連続同じ間違いするか?と思ったのと同時に注文主さん、今週の土日のお昼は連続デリバリーなんだな、と。


しばらくすると「ウーバーイーツです。間違ってすみません」と若い男性が訪ねてきた。なぜ同じ間違いするのか聞くと、スマホの地図上の住所設定が間違っていたとのこと。


今やいろんな手続きや情報伝達がスマホの画面の中で行われますが、便利な一面、頼りすぎると上記のような弊害も出てきます。


読んだ本の感想が続きますが、覚えているうちにということで紹介したいと思います。

「スマホ脳」、スマホへの依存症について書かれたものです。



著者はスウェーデン人なのでスウェーデン国内の実情を述べていますが、世界中の国々で同じような状況だということです。

特に若者は、一日に平均4~5時間もスマホでSNSなどに費やしている。なぜ、スマホに夢中になりやめられないのか?


根本原因は人類の脳のしくみにあると著者は断定しています。

脳内で情報を伝えるドーパミンと呼ばれる神経伝達物質があります。


 やる気を引き出し行動を起こすと活性化され、そして目的を達成すると幸福感や快感を得られます。この幸福感や快感にはエンドルフィンというこれまた別の神経伝達物質が寄与しています。

これらは人間が生存するために本能的に備わっている物質なのです。


数十万年もの間、人類は狩猟と採集で暮らしていました。このドーパミンを原動力に狩りで獲物を捕らえ、食べられる果実や木の実などを探し回っていたのです。手に入り空腹を満たすことができれば達成感を感じる。


でも、近代社会では自ら狩りをしたり果実を採集したりする必要はありません。衝動が娯楽や嗜好に向けられます。酒、ギャンブル、ドラッグなどへの依存症はよく知られたところです。


そしてスマホが普及し出すとスマホが対象になります。フェイスブック、インスタグラム、ツイッターなどのいわゆるSNSです。


また人間には、他人に認められたいという承認欲求が誰にも備わっています。「いいね」はそれをくすぐるわけです。

さらに「自分の事を語りたい」という欲求もあります。

スマホは人間の本能と欲求に応えてくれる手軽で便利なツールなのです。


アップル創業者のスティーブ・ジョブズはじめ、IT企業のトップは自分の子供たちにはデジタル機器の使用をきびしく制限していたと言われています。


つまり与える側はスマホなどのデジタル機器には依存性があることをよく知っているのです。利用してもらうためにそう作っているから当然ですね。


著書の後半には対策が書かれていますが、個人の意志の力だけではどうにもならないようです。

この本の翻訳者はスウェーデン在住の日本女性なのですが、子供の学校ではスマホは朝、学校に預けて教室に持ち込み禁止にされているそうです。


実は使わなくてもスマホを机の上に置いておくだけでも理解力や記憶力が落ちることが実験で検証されていて、単に使用禁止にするだけでは十分ではないのです。完全に隔離しないといけない。


これはなんとなくわかります。ダイエット中、買い置きのお菓子がテーブルの上や冷蔵庫の中にあると物事に集中できない、そしてちょっとだけならいいかと我慢しきれず食べてしまう。

 でも一切買い置きがないとあきらめがつく。夜、パジャマから服に着替えてコンビニに買いに行くか、とまではならないのでは。


実は一度、スマホを落としたことがあります。

自転車で帰宅後、ないことに気づきましたが、走ってきた路上のどこかで落としたようです。幸い、拾った人が警察に届けられていて、翌日には手元に戻りました。


時々持ち忘れて外出するくらいなので私にはスマホ依存症はありませんが、もしこれが依存症の人だったら紛失したりするともうパニックでしょうね。


私の場合は、誰の電話番号も憶えていない、紙の電話帳さえないという事実、これではスマホなしでは緊急時に連絡の取りようがないなという現実に愕然としました。

データのスマホ依存という別の意味で依存症があったわけです。妻の携帯番号くらいは憶えておくか。

ばってんT村でした。


英仏を巡って2022/09/25

 前回、パリにあるアメリカ図書館にまつわる小説を紹介しましたが、その物語の中にダンケルクというフランスの地名が出てきます。
 聞き覚えがあり「そうだ、同名の映画があったな」と思い出しました。まだ観ていなかったのでさっそくアマゾンビデオで視聴。


 第二次大戦時の話です。
 ダンケルクはフランス北端にある沿岸都市でドーバー海峡を挟んで対岸はイギリス本土です。北フランスまで勢力を延ばしたドイツ軍がダンケルクまでイギリス・フランス連合軍を追い詰めます。

 まともに対戦したら惨敗すると判断した連合軍は対岸のイギリスへ撤退することに。
でも30万人もいる兵士を運ぶ船舶はどうするのか?
1940年の史実を基にした映画です。

次にフランスつながりで見た映画が「男と女 人生最良の日々」



一作目、1966年のフランス映画「男と女」のあらすじは、
 スタントマンの夫を事故で失った未亡人アンヌと、妻を自殺で失ったレーサーの男ジャン・ルイの二人がドゥーヴィルにあるそれぞれの子供の寄宿学校の送り迎えで知り合い、一目惚れのかたちで惹かれあう。 
 しかし突然失ってしまった愛する人への想いも未だに断ち切れず・・・という、大人のラブストーリー。

 この一作目は観ていないのですが、この題名とあの「シャバダバダ、シャバダバダ~」のテーマ音楽にはなじみがあります。

 今年の6月、ジャン・ルイ役の男優の死亡記事が新聞に載っていたのをきっかけに「男と女」を観てみようと思いたちアマゾンで検索したら、「男と女 人生最良の日々」も出てきたのです。2019年の制作。

 53年後の続編になります。老後の二人を描いているところに興味を惹かれこちらを観てみました。53年前と同じキャスト、スタッフで撮られているところが監督のこだわり、子役まで同じ俳優が演じているのです。

 ジャン・ルイは老人ホームで暮らしていて、認知症ぎみで記憶も定かでなくなってきています。この姿を見た息子は過去を思い出してもらおうとアンヌを探し出し、会ってくれるよう頼みます。

 訪問時、アンヌは名前を明かさず「いい施設を探している」という口実で彼と話しをします。
ジャン・ルイは彼女のしぐさなどを見て似ていると感じながらも本人だとは思っていません。
ほぼ会話で進行するゆったり静かな映画です。

  男優の名前は役名と同じジャン・ルイ、フルネームはジャン・ルイ・トランティニャンと言います。
私の生徒さんに映画好きのフランス人がいるので、彼にこの名前を発音してもらいました。
フランス語だと鼻に抜ける独特の発音でなんか優雅に聞こえますね。

 ちょっと蛇足、映画は最後のエンドロール(キャストやスタッフの名前の表示)まで観る習慣があるのですが、メイクは日本人でした。
Maquillage  Mina MATUMURA と出ていたのです。

マキアージュって日本の某化粧品メーカーの商品名にもなっていますが、化粧の意味のフランス語。それにしてもフランス語、読まないアルファベットが多い。

 さて話題は変わってもうひとつ、今月エリザベス女王の逝去で思い出した映画があります。エリザベス女王の父ジョージ6世にまつわる実話です。

「英国王のスピーチ」、再度観てみましたが、なかなかおもしろかった。


 ジョージ6世(即位前アルバート王子)には吃音症があり、演説などではその症状が出て聴衆をも落胆させます。
 そこで吃音症を克服するために言語療法士を雇って治療を行うことにしたのです。
この二人のやり取りや治療法がおもしろい。

 実はジョージ6世(アルバート王子)には兄がいて、その兄がエドワード8世としてすでに新国王で即位していたのです。
 ところが彼が結婚を望んでいた女性が離婚歴のあるアメリカ人、結婚を強行したためイギリス国内で国王として不適格だとされ1年ほどで退位。
それでジョージ6世に王位が回ってきたというわけです。

 1939年、イギリスはドイツに宣戦布告します。第二次大戦の始まりです。
宣戦布告の同日、開戦にあたりイギリス国民を鼓舞する演説をジョージ6世が行うのですが、これがこの映画のハイライトとなります。

 それにしても、エドワード8世のスキャンダル話って今の王室のヘンリー王子の境遇とよく似ているな~、歴史は繰り返すのか、と感じます。

 エリザベス女王はフランス語を話し、フランス料理や文化を好んだと言われています。
かつて、フランス大統領府で晩餐会の席上「女優になってみたかった」と話すと、当時のオランド仏大統領が「ご立派に女優でいらっしゃいます。」と言い、どんな国を訪れても皆の心をつかんでいる、とたたえました。
 それを聞いた女王は「そうですね、いつも同じ台本ですけれど」と答えたといいます。

 映画でその国の歴史、人物、地理などを知るのもいいものです。
「男と女」で二人が知り合ったドゥーヴィル(Deauville)という町、この映画で初めて知りました。
フランスのノルマンディー海岸にあってリゾート地らしいですが、夕日を観に行きたくなります。

ばってんT村でした。

アメリカ図書館2022/09/11

最近、図書館で借りて読んだ本です。



 私の下手な文より、本のカバー裏に書かれた紹介文がわかりやすいと思いますので転記します。

 1939年パリ。20歳のオディールは、アメリカ図書館の司書に採用された。
 本好きな彼女は水を得た魚のように熱心に仕事に取り組み、女性館長や同僚、そして個性豊かな図書館利用者たちとの絆を深めていく。
 やがてドイツとの戦争が始まり、図書館は病院や戦地にいる兵士に本を送るプロジェクトに取り組み始める。しかしドイツ軍がやってきてパリを占領し、ユダヤ人の利用者に危機が訪れ……。

 1983年アメリカ、モンタナ州フロイド。12歳の少女リリーは、“戦争花嫁”と呼ばれる孤独な隣人、オディールと知り合いになる。
 リリーはオディールの家に出入りしてフランス語を教わるようになり、二人の間には世代を超えた友情が芽生えていく。リリーは、しだいにオディールの謎めいた過去が気になりはじめ……。

人々にかけがえのない本を届け続けた、図書館員たちの勇気と絆を描く感動作!

以上、引用でした。



 原題はThe Paris Library、物語に出てくるアメリカ図書館と言うのはパリに今も実在する図書館です。

 アメリカは第一次大戦時にヨーロッパで戦うアメリカ軍隊に本国から本を送るサービスを行っていました。それらの本を元に1920年パリにアメリカ図書館は設立され、アメリカ人のみでなくさまざまな外国人が利用していました。

 2人の主人公オディールとリリー、そしてストーリーは著者の創作ですが、女性館長など他の登場人物の多くが実在だった人々で、本を送るプロジェクトという出来事も史実を基に書かれているそうです。

 パリに住んでいたオディールがアメリカに渡ったいきさつが、急展開すぎてちょっと唐突感が否めませんが(・・・あくまでも個人の感想)、読み応え十分な内容です。

 フランス語を習うきっかけとなった、リリーの視点で書かれているこんなシーンも印象的でした。

 ママは好きなだけクッキーを食べさせてくれたけど、オディールは二枚だけだった。もっと食べようとしたら、オディールは言った。「二枚でお腹はいっぱいになる。それ以上は心がほしがっているんでしょう。心を癒すのには、別の方法があるわ」
オディールは一冊の本を差し出した。「お菓子ではなく文学よ」

以上、引用

 そして読んだ『星の王子さま』、当然英語に翻訳されたものですが、原書を読みたいと思ったリリーはオディールにフランス語を教えてくれるよう頼むのです。

訳者のあとがきに

 パリのアメリカ図書館は、2020年に創設百年を迎え、今日でも多くの利用者に愛されている。
 ふたたび海外旅行を楽しめる状況になって、フランスのパリを訪れることがあったら、ジェネラル・カムー通りのアメリカ図書館に行ってみたらどうだろう。
 そこで短いあいだでも静かな時間を過ごしたら、観光名所を巡るのとはひと味ちがった、貴重な思い出ができるのではないかと思う。

 あとがきの日付けが2022年3月と書いてあったので、コロナ禍の最中。今の時期らしい表現です。
また旅心をくすぐる内容ですね。
ばってんT村でした。

言葉の小ネタ集22年前半の巻2022/08/27

言葉に関するおもしろネタに結構出会ったので紹介したいと思います。

●誤読
 これは、SNSで見たものですが、最近一番笑った投稿だと思います。
オーディブルと言ういわゆる「聴く読書」、小説などを読み上げてくれる機能ですがアマゾンのKindleや他のアプリでも使うことができます。

 読み上げソフトがたまに読みを間違える時がある、というある人の体験談。
「エリザベス一世」を「エリザベスカズヨ」と読むのだけは勘弁してほしい、頻出するから毎回笑う、という内容でした。
どんな小説なのでしょうね?

 こういうのもありました。「ノアの方舟」を「ノアのカタフネ」、 この人が読んで(聴いて)いた本は「謎解き 聖書物語」

●誤訳
 逆に音声データを文字に起こしてくれるソフトもあります。会社の会議で議事録代わりに使っている人もいるようです。
 人手でパソコンのキーボードをパチパチは私も経験ありますが、確かに書記はたいへんです。頼る気持ちはよくわかります。

 こんな人の投稿を見ました。
Web会議で文字起こしを使うと、相槌で「なるほど」と言ったすべてが「あほ」として議事録に残ってしまいました。

 私の会社でも経験者の話を聞くと、聞き間違いは少なくないようで、結局人間がチェックしないといけない、と言っていました。

 この文字起こし、YouTubeやテレビの字幕でもよく使われているようです。同音異義語の間違いがあると、文字起こしソフトを使ったなというのがわかります。

 ある時、鉄道関係の動画でナレーションと同時に字幕も付いていたのですが、「海藻列車」という言葉が表示されました。
 最初は海産物でも運ぶ専用車両?でもそんなもん聞いたことないな、と思っていました。解説を聞いているうちに、これは「回送列車」のことかと気づきました。
イマイチだぞ、AI がんばれ。

●記事の見出し
 記事の見出しは目を引き付けるため、簡潔かつ強調表現が使われることがままあります。助詞が省かれることが多いので誤解もしやすいです。

かなり前ですが、こんなニュースの見出しがありました。
「小学校教諭が椅子蹴り、児童むちうちに 静岡県教委が懲戒処分」

 この見出しにサッと目を通した瞬間、すごい虐待、児童を鞭打ちしたのか?と思いました。
見出しに続けて本文を読むと、教諭が生徒のイスを蹴ったため、生徒がむちうち症になった、というものでした。
そりゃそうだ、鞭を持った先生がいるはずないよな。

 ここまで想像が飛んだのは、昭和世代の私の小・中学校時代には、先生が竹刀(体育系)や授業で使う指し棒(細い竹みたいなものでよくしなる)を持った先生にお尻を叩かれる、というのはざらにあったからです。
 今だったら体罰行為で一発アウトですね。

 さらに鞭打ちを連想したのは、シンガポールでは犯罪者への鞭打ちの刑が今もあってイギリスかアメリカか忘れましたが、自国民が鞭打ち刑にされると決まった時に政府が抗議した、というニュースを昔読んだ記憶があったためです。

●食品問題?
 これは私の会社での体験です。部品の不良が見つかり、海外のメーカー担当者に英文メールて知らせた時のこと。

 相手からの返事のメールの冒頭に
This is not such a food news.
と書いてあり、続けて、その不良品を送りかえしてほしい、こちらで調査する、という旨の文章が書かれていたのです。

 冒頭は「これは食べ物のニュースではない」という意味不明?の一文。機械の部品なのでもちろん食品ではないのはあたりまえ、何かのジョークかな?とも思いましたが、わかりません。

 仕事そっちのけでこの意味をしばらく考えていました。途中、なにげなくキーボードに目を落としてハタ!と気づきました。
 そう、FとGのキーは隣り合っているのです。goodをfoodと打ち間違えたに違いない。正しくは
This is not such a good news.(そりゃいいニュースじゃないね)だったのです。

●おいしかった
 そういう自分も危うく誤入力しそうだった件について。
知人に連れて行ってもらった和食のお店。後日、おいしかったという感想をメールで出そうと、発信する前に文面を読み返していたら「あの料理、おしかったです」になっていた。

危ない、危ない、「い」が抜けていた。
意味が通じるだけにえらく失礼なことになるところでした。

やっぱり、書いた文章は出す前に確認が必要ですね。ばってんT村でした。

沖縄と滋賀2022/08/14

 猛暑の今夏ですが、過去30年で猛暑日(35℃以上)が一番多かったのはどこかご存じでしょうか?
 確かにと思われるでしょう、京都市です。過去30年間で591日、ざっくり年間20日です。大阪市は3位でした(すべての市町村ではなく、あくまでも都道府県庁所在地という条件です)

 では、猛暑日が最も少ない都道府県庁所在地はどこか?最北の札幌市と思いきや、最も南、沖縄の那覇市です。過去30年間で札幌が7日、那覇が5日なのです。意外でした。
 これは沖縄が海洋性気候で極端に暑くも寒くもならないという理由かららしいです。
もちろん、30℃を超える真夏日になると、圧倒的に那覇市が最多、札幌は最少。

 さて3年ほど前に沖縄旅行のことをブログに書きましたが、今年は沖縄がアメリカから返還されて50周年の節目の年でもあり、この機会に加筆して再度ご紹介を。

 沖縄は1879年に沖縄県となるまでの約450年間、琉球王国として存在していました。観光スポットになっている世界遺産のあの首里城は沖縄本島を統一したときに建てられた王宮です。
 残念ながら2019年に焼失して現在再建中ですね。その前に見学できて幸いでした。

 那覇市中心部から東海岸方向に歩いていくと「波の上通り」というおもしろい名称の通りがあります。そこを海岸まで進むと「波上宮(なみのうえぐう)」というこれまた珍しい名前の神社があるのです。


 その神社からの帰路、波の上通りを歩いていた時のことでした。途中、コーヒーのいい香りがしてきて思わずその香りをたどっていくと、そこはコーヒーの焙煎所でした。

 店内におじゃましてコーヒーを飲ませてもらい、そこのご主人としばし世間話をしていました。
 私が滋賀県から来た、と言うと「そうですか、沖縄と滋賀とは意外な縁があることをご存じですか?」と問われました。全く知らないと言うと、こんな話をしてくれました。
 
 一言で言いますと、旧彦根藩主の井伊家にこの琉球王国の国王の子孫が嫁いでいたのです。
 明治政府の廃藩置県で琉球王国は沖縄になったのですが、最後の国王、尚泰のひ孫が井伊直愛(なおよし)と結婚したのです。

 調べてみると、結婚されたのは昭和12年(1937年)のことでした。ちなみに井伊直愛はあの井伊直弼のひ孫にあたります。
 1953~1989年の長年、井伊直愛さんは彦根市長でした。琉球王国の末裔で奥様となられた井伊文子さんは歌人、著作家でもありました。
  
 それにしても、これほどの関係があるのに彦根と那覇は姉妹都市あるいは友好都市の関係にはないのです。残念ですよね~、とこのことを知る沖縄の人も言っていました。

 ちなみに、沖縄を旅行するなら寒さで一番縮こまって生活している真冬の1~2月が個人的にはオススメです。この時期、沖縄だと昼間は20~25℃くらいでちょっと暑いかな程度で快適です。
 オリーブのN先生の故郷でもある北谷(ちゃたん、と読みます)はリゾート気分が味わえますよ。

ばってんT村でした。

トロッコ問題2022/07/31

  言葉のトピックが続きましたので、今回は少し視点を変えて倫理的あるいは論理的選択問題について書いてみました。

 イギリスの倫理学者が提示した思考実験に「トロッコ問題」というのがあります。ご存じの方もいらっしゃるでしょう。

 図のように石を満載したロッコが暴走していて、その先に5人の作業員がいます。5人はトロッコに気づかず、このままだと5人ともトロッコに轢かれて死んでしまいます。


 たまたま現場にいたあなたはこの暴走トロッコに気づきます。近くに線路の切り替えスイッチがあり、線路を切り替えてトロッコの進路を変えることができます。
しかしその先にも1人の作業員がいて、トロッコの進路を切り替えると今度はこの作業員が死んでしまいます。

 作業員はトロッコに気づかない、トロッコを止める手段はなく、大声をあげても作業員には聞こえない。あなたができることは線路を切り替えることだけ、という前提です。

 あなたはスイッチを切り替えますか、それともそのまま何もしないですか?という問題です。

 複数の統計データによると、85%以上の人が「スイッチを切り替えて1人を犠牲にし5人を助ける」でした。多数派の考えは、5人を救うために1人を犠牲にするのは許される、というものです。

  一方、切り替えないという少数派の考えは、元々5人は事故に遭う運命だった、無関係の1人を巻き込むのは間違っている、人の運命を変える操作を自分がすることに抵抗を感じる、というものです。

 この思考実験にはどちらが正解ということはありません。私だったら迷っているうちにトロッコが切り替えポイントを通過してしまった、となりそうです(結果的に5人が犠牲になる)
 まず、それ以前に、こんな場面には遭遇したくないですよね。

  でも、実際にこのような選択を強いられる人たちが世の中にはいます。医療従事者です。
一昨年のコロナ感染で重症者が大勢出た時期のニュースで、トリアージという言葉を聞くことがありました。トリアージ(triage)とは、患者の重症度に基づいて治療の優先度をつける、という意味です。

 人工呼吸器ECMO(エクモ)残り1台の前に、高齢の重症者と若者の重症者が同時に運ばれてきた。どちらに人口呼吸器をつけるか、という選択を迫られた、というケースもあったそうです。
  
 さて、重い話題はここまでにして、次はオモロイ問題に変えましょう。アメリカの人気テレビ番組の中で行われていた、とある駆け引きのゲームです。

 A,B,C3つのドアがあります。1つのドアの裏には賞品である高級車が隠れています。そのドアを当てたら車がもらえます。あとの2つのドアはハズレです。

 ゲームの進行ははこうです。
 まず、あなたは1つのドアを選びます。Aを選んだとしましょう。
次に司会者モンティが番組をおもしろくする演出としてCのドアを開けます。モンティはどのドアに車があるかは事前に知っています。当然、開けるのはハズレのドアです。

 イラストのハズレドアにヤギがいるのは、これも演出で実際にそうされていたようです。しかしヤギが鳴いたり物音をさせたりしたらハズレがわかってしまいそう・・・

 この時点で、車はAかBのどちらかのドアにあることがわかりました。そして彼はこう言います「Aでいいですか?今ならBに変えてもいいですよ」
さあ、あなたなら選択したドアを変えますか?という問題です。


番組では最初の選択を変えない人が多かったのです。
「司会者に言われて選択を変えてはずれたら悔しい」
「自分の直感を信じる」
「当たる確率は2つに1つでどちらを選んでも同じでしょう」
と言うのが理由だったそうです。

 確かに選択を変えても変えなくても同じじゃないの、と私も思いました。

 この問題を会社で後輩に話したことがあったのですが、すると彼は「これ、小学生の息子が学校で出されて、家に持ち帰ってきて俺に話した問題ですよ」と言ったのです。
 
  この問題の解答、結論から言いますと、「選択を変えた方がよい」になります。当たる確率が2倍になります。
 選択を変えなければ、3つあるドアからひとつを選ぶのだから当たる確率は1/3ですが、ハズレのドアをあけてもらって選択を変えると確率は2/3になるのです。

そんなことあるわけがない、と最初は思いました。

 確率の数値ウンヌンは置いといて、直感的にわかりやすいのはこの説明です。
ドアが100個あります。あなたはその中から1つ選びます。
司会者が98個ハズレのドアを開けます。
残ったのは2つのドア、司会者は「今なら選択を変えてもいいですよ」と言います。

 絶対変えますよね? (いやいや、私は100本のくじの中から1本を引き当てる霊感を持っているから最初の選択は変えない、という人は別ですが)

A,B,Cの3つのドアに話を戻してちょっと確率の話に。

Aのドアに当たりがあるとき、司会者がどう言おうが選択を変えないと
A当たりの時、Aを選ぶ⇒〇当たり
A当たりの時、Bを選ぶ⇒×ハズレ
A当たりの時、Cを選ぶ⇒×ハズレ
当然、当たる確率1/3です。

今度は選択を変えた場合、
A当たりの時、Aを選ぶ⇒司会者がB(orC)を開ける⇒C(orB)に変える⇒×ハズレ
A当たりの時、Bを選ぶ⇒司会者がCを開ける⇒Aに変える⇒〇当たり
A当たりの時、Cを選ぶ⇒司会者がBを開ける⇒Aに変える⇒〇当たり
当たる確率が2/3にアップしました。

 Bが当たりの時、Cが当たりの時も同様になります。このように発出するパターンを網羅してみるとなるほど確かに、と思います。

 この問題は番組司会者だったモンティ・ホールの名前を取って「モンティ・ホール問題」と言われています。興味のある方はネットで検索してみてください。さまざまな解説がされています。

 さて自分が日常生活で遭遇するのは「スーパーのレジ、どこに並ぶか問題」くらいでしょうか。行列の人数だけでなく各人のかごの中の量も見て、レジを選択します。はずすとくやしいですが、行列が一つのセルフレジをもっぱら利用するようになって解決です。
ばってんT村でした。

蜂が魚類?2022/07/16

 自分ではけっこうニュースは読んだり観たりするほうだと思います。興味深いニュースや笑える(他人事だからだが)ニュースがけっこうあります。
いくつか紹介しましょう。

●トマレ
 信号のない交差点や見通しの悪い交差点で見かける一時停止を示すため、路上にペイントされた、トマレの表示。

 広島市の住宅地の市道で表示が「トマト」になっているという連絡が住民から役所にあった。白いテープを貼ってレをトに書き直してあった。
急きょ、表示は「止マレ」と漢字交じりに改めたそうだ。

 小学生並みのイタズラです。ネットを見ると、違う場所の写真がいくつも出てきたので、多分おなじようなイタズラが全国各地でやられているのでしょう。



 以下は原文のままです。
担当者は「事故が起きやすいところにこのような標示をしている。本来は一時停止をしてほしいが、誤った解釈をする人がいないとも限らない」と語る。

 これを読んで、車でここを通った人が「トマト」の表示を見てどんなことを思うのだろうかに興味がわきました。

●軽自動車用?
 ガソリンはハイオク、レギュラー、軽油の3種類があるのですが、とあるセルフのガソリンスタンドで軽油の注油ホースの近くに「軽自動車に入れないでください」という意味の貼り紙がしてあったそうです。

 セルフスタンドが普及し始めた数年前から、軽油=軽自動車用のガソリンと誤解して注油する人が増えているそうです。(軽油はディーゼルエンジン専用で、軽自動車でディーゼルエンジン車はない。誤って入れてしまうとエンジンが故障する)

 え~信じられない勘違いだと思ったのですが、セルフスタンドが普及する以前は店員さんが注油してくれていたから何ら知識がなくても間違えることはなかったのですね。

●勘違いと言えば、一度ブログでも書きましたが今でも覚えている落語で聞いたマクラ話。
 友人宅に電話をした男性、幼い子供が電話口に出てきた。そこで
「こんにちは。パパ、いる?」と聞いたら
「パパ?う~ん、いらない」と返ってきた。

携帯、スマホで電話が個人持ちになった現在だと成立しない会話ですな。

●蜂は魚類?
 カリフォルニアの環境団体がミツバチの一種であるマルハナバチの保護を訴えたところ、裁判所がマルハナバチは絶滅の危機に瀕した「魚」であると認め、保護される資格があるという判決を下した、というのが記事の冒頭部分でした。

いったいどうしたら、蜂が魚の一種になるのか? ちょっと長いですが、こんな内容でした。

 ミツバチは年々個体数を減らしており、一部の種は絶滅の危機にひんしています。
カリフォルニアの環境団体は、カリフォルニア州絶滅危惧種保護法(以下、CESA)のもとでマルハナバチを保護対象とするべきと訴えます。

 一方、農業団体はマルハナバチが絶滅危惧種リストに登録されると農薬の使用が困難になるので、これに反対しました。
農業団体は、CESAで保護対象として明示しているのは「鳥、哺乳類、魚、両生類、ハ虫類、植物」のみで、昆虫は保護対象となっていない、ということを指摘したのです。

 CESAの中では「魚」とは何かが定義されていませんが、CESAの上位にあるカリフォルニア州漁業狩猟法では、「『魚』には軟体生物、甲殻類、無脊椎動物が含まれる」と定義されており、裁判ではこの「魚」にマルハナバチが含まれるかどうかが争点となりました。

 2020年、カリフォルニア州のサクラメント郡上位裁判所は、カリフォルニア州漁業狩猟法にある無脊椎動物には水生動物のみが含まれ、マルハナバチの絶滅危惧種リストへの登録は認めないという判決を下しました。

 しかし、環境保護団体はこの判決を不服として控訴。
次のカリフォルニア州控訴裁判所では、判事が「『魚』は水生動物を指すと一般的に理解されているが、法律ではそこまで限定されていない。カリフォルニア州漁業狩猟法の『無脊椎動物』は陸生および水生動物を含むと解釈できる」と述べ、マルハナバチは陸生無脊椎動物であるから絶滅危惧種に指定することができるという判決を下しました。

 農業団体の主任弁護士は「失望しました」とコメントし、さらに上告するかどうかは今回の判決から判断したいと語りました。

 以上が記事の概要です。
生物学上の分類と、法律上での解釈は違う、ということが基になった判断がされたわけですが、読んでいて無理っぽいこじつけがすごくアメリカ的だな、と感心しました。
 
●キラキラネーム
 子供に個性的な名前をつける、いわゆるキラキラネーム。
名前の漢字はどう読んでもかまわないことから行き過ぎた命名が増えてきたため、戸籍法を見直す検討が今年から行われています。

 読みをどこまで許容するかがポイントになっているようですが、漢字と読みの意味が合っていれば許される方向とのことです。

 例えば 騎士(ナイト) 大空(スカイ)などは認められる可能性あり、太郎(じろう)はダメ、という具合。
 さらに認められるであろう例として挙げられていた光宙(ピカチュウ)ですが、実は既に私たちは「光」をピカと言っているのです。

 光一と書いて、ピカイチと読みます。
「彼女の日本語能力は教室の中ではピカイチだ」などと言ったりします。

 多くの中でひときわ優れているという意味ですが、花札から来た言葉とのこと(私、花札は知らないので語源については初耳でした)
ただ、ピカイチなんてもう死語でしょうね、若い人は使わないし、まず知らないでしょう。

 最後に、思わず感動してしまったチクワの包装紙に書かれた注意書き。こう書いてあります。
※原料になる魚は、「えび・かに」を食べています。



 ちょっと笑ってしまいましたが、甲殻類アレルギーの人のことを考えて書かれたのでしょう。ちなみにこの志岐蒲鉾という会社の練り物おいしいんですよ。
ばってんT村でした。

アホ・バカ分布図2022/07/02

 現在も続いている長寿番組「探偵!ナイトスクープ」、私も毎週観ていましたが、30年ほど前に「アホ・バカ分布図」という企画が放送されました。

 これは、ある大阪生まれのサラリーマンの男性が、東京出身の妻と言い争う際に、自分は「アホ」妻は「バカ」と言いあった経験から、「ふと『東京と大阪の間に「アホ」と「バカ」の境界線があるのでは?』と思い、「東京からどこまでが『バカ』で、どこからが『アホ』なのか調べてください」と番組に依頼してきたことで始まった企画でした。

 当時の番組プロデューサーだった松本修さんは、その後30年の歳月をかけ他の言語にも調査を展開して分布図を作り上げました。

 これが今年出版された「言葉の周圏分布考」という本です。ちょっと紹介しましょう・・・
と言っても、図書館からの借りものですが。ちなみに松本さんは滋賀県出身の方です。











 「アホ・バカ分布図」を作成してわかったのは、アホ・バカと同義の20ほどの方言が京を中心点として同心円を描いて分布しているということだったのです。

 この結果から方言は原則として京都を中心に同心円上に分布したのではないかと考えました。この仮説を証明するため、全国の市町村に方言アンケート用紙を送付し回収結果から分布図を作成していきます。

 さかのぼること昭和の初め、柳田國男が32語の方言で独自に調査を行い、その中の「カタツムリ」の呼び名の方言分布を分析して「方言周圏論」という考えを打ち立てています。
 古語は首都であった奈良・京など近畿を中心にして、段々にいくつかの圏を描くであろう、と論文に表しました。
 松本さんはこの説に忠実に従い、コンパスで同心円を描いていったのでした。

 専門家の研究によれば、マスコミもなかった時代、京から地方へ言葉が「口伝て」で伝わる速度は直線距離で1年間930mとのこと、約1Kmです。東京までは400年、東北・九州の端っこまでたどり着くのに700~800年の言葉の旅となります。

 でも言葉だけが旅をするのではなく、人が移動や移住したらもっと速く伝わるのではないか、と思いますよね?その辺のことも書いてあります。                                                        

 いくつか例を見ていきましょう。

●ありがとう

 オーキニは大きに、ダンダンは段々のことで、ありがとうの頭に付く副詞だったのが、それ単独でお礼の意味に変化したものです。

 ご存じ関西発の「オーキニ」、西日本側に広く伝搬していますが、東北の日本海側、岩手県の太平洋沿岸へも飛んでいます。
 これは江戸時代、大阪から商品を積んで出帆した日本海周りの北前船が「おおきに」も積んで東北地方へ航海し、津軽海峡を抜けて太平洋側へ渡った証しとのこと。

 ダンダンは、主に島根、愛媛で使われています。
島根県が舞台のNHKの朝ドラ「だんだん」、同じくNHKでドラマ化された「坂の上の雲」は愛媛県が主人公たちの出身地、これで聞き覚えがあったのですが、熊本県の一部でも使われていたとはこの地図で初めて知りました。

 愛媛県出身の知人に「”だんだん”って、今でも使われている?」と聞いたところ「今の人は使わないですね。若い人は”だんだん”の意味すら知らないと思う。いなかで地元の人が使っている程度かな」
という答えでした。
 
●けど

「兄はあほやけど、弟はかしこいね」という文例でアンケート調査がされました。
 私の故郷、長崎では「ばってん」と言います。これは地図にも出ているように佐賀、福岡、熊本の西九州側で広く使われます。
 長崎はバカ使用分布圏なので上の例文だと「兄はバカばってん、弟はかしこか」と言いますね。

  バッテン及びバッテは「~ばとて」から来ているそうです。その語源から見ると青森でバッテが使われているのは周圏分布していることの証しのようです。

●いいえ

 また私の地元の事例で恐縮ですが、九州、山口などでは「ウンニャ」「インニャ」と言います。
中部地方や東北地方の一部でも言うんですね。これも地図を見て初めて知りました。

 「ウンニャ」は万葉集の時代からある、いいえを意味する「否(いな)」が変化したものという説があります。 「いな⇒いんな⇒いんにゃ⇒んにゃ⇒うんにゃ」
 語頭の母音は脱落しがちで、「んにゃ」になり、さらに「んま」が馬(うま)となったように「うんにゃ」になったのではないでしょうか。
ということが本には書いてありました。

●たいそう
 程度の大きさを表す副詞ですが、これで思い出したのが「ばさらか」と言う方言、地図にはバサレ(バッサロ 等)と書かれていますが、使われているのは福岡県の筑後地方と大分県の一部のみのレア方言。

 これまた自身の体験ですが、実は母の実家は筑後地方の大川市にあり、私が子供の頃、夏休みや冬休みのたびに行って、いとこたちと遊んでいました。
 そのうちに自然と方言も覚え、たくさんという意味がある「ばさらか」も記憶に残っていたのです。

 数年前、テレビ番組「秘密のケンミンSHOW」で筑後弁のこんな例文が紹介されました。
「こがしこ ばさらか すらごつ ゆうて にやがりよると くらすぞ」

うん、これはわかります。
たぶん、東北、沖縄の方言なみの難解さだと思います。知らないと外国語に聞こえるかもしれません。

単語を対比させて翻訳すると
「これだけ たくさん うそ 言って 調子に乗っていると なぐるぞ」
という意味です。

 話変わって、東日本方面は疎いので知らなかったのですが、東海、関東地方では「ゆで卵」を「うで卵」と言うんですって?
 語頭のYが脱落してこうなった、ゆだる暑さが「うだる暑さ」と言うようになったのと同様と書いてありました。

 「いらっしゃいませ」は、京阪では「お出でやす」「お越しやす」どちらを使うのか、この議論のページもおもしろい。
 越すと越えるの違いに発展し、さすが滋賀県出身の著者、逢坂越、小関越まで話が広がっています。

 ちょっと専門的なところまで深堀されていますが、この本、確かに「たいそう」いやメッチャおもろいです。
ばってんT村でした。

あこがれの小堀2022/06/18

 外国に関心を持ったり、その国の言葉を勉強するようになった動機は人それぞれにあると思います。
 もう10年も前のブログに書いた内容ですが、ちょっと加筆し改めて紹介します(え~、正直に言うとネタを考えるのがけっこうたいへんなので、時々この思い出路線を活用したいと思います・・・)

 昔、タイ語に興味を持ち、週一で語学教室に通って勉強していた時期がありました。タイ語の先生をしている人達は、日本人と結婚したタイ人や日本に留学している大学生など多様でした。
 私のクラスの先生は大阪外国語大学に留学中のタイ人女性、このW先生に日本に留学して日本語を勉強しようと思ったきっかけを聞いたことがあります。

 こんな内容でした。
その昔、タイで「メナムの残照」(タイ語原題はクーカム)という小説が大ヒットしました。
 内容は、第二次大戦中にバンコクに駐留していた若き日本海軍大尉とタイ人女性との悲恋を描いた物語です。タイではこれまでにテレビドラマや映画で何度もリメイクされていて、一時は大ブームになったとのこと。

 「メナムの残照」というのは日本語翻訳後の小説のタイトルですが、メナムとは「川」を意味するタイ語で、メ―(母)とナーム(水)の合体語。タイにはチャオプラヤー川という本土を貫く大河が流れています。

     映画化された最新版は2013年、クーカムは「運命の相手」と言うような意味


 男の名前はコボリ(漢字では「小堀」)といい、男らしく誠実で女性にはやさしい軍人として描かれています。要するに凛々しい日本男児のイメージなのでしょう。
 この小説を読んだ若かりし頃のW先生はコボリのような男性がいる日本にあこがれを持つようになり、高校時代に交換留学先に日本を選択して応募しました。

 晴れて選考試験に合格し日本の高校に通うことになりましたが、日本の生活に慣れた頃、W先生にわかったのは「今の日本にはコボリみたいな男らしい人はいない~」でした。

 もちろんコボリはいなくてもW先生が日本を好きなことには変わりなく、熱心に日本語や日本文化を勉強して日本の大学まで出たのです。
 W先生は大学卒業後タイへ帰国し、この「メナムの残照」を書いた小説家の出身大学で日本語を教えています。

 習った肝心のタイ語はかなり忘れましたが、少しでも話せたり聞き取れたりすると現地で役立ちますし、現地の人とのコミュニケーションも片言ながらできたりします。

 「△△をください」「○○はありますか?」「お勧めの料理は何ですか?」「辛くしないで」など、食に関した会話は真っ先に覚えました。なにせ旅の楽しみに関わることですからね。

 現在だと有名人といえば芸能人やアニメの登場人物だったりするかもしれませんが、「メナムの残照」が流行していた当時タイで一番有名な日本人は「コボリ」だったと言われています。

 一方、私はタイで今も昔も一番有名な日本人は「アライ」さんではないかと勝手に思っています。まぁ、正確に言えば、日本人名に聞こえる、日常よく使われるタイ語という意味なのですが・・・。

 タイ語で発音する「アライ」は日本語で「なに」という意味、英語で言えばWhatです。
「名前は何ですか?」「仕事は何していますか?」とか、先ほど出した「お勧めの料理は何ですか?」、出てきた料理の素材が知りたいときは「これ何ですか?」とか。
 相手の言ったことが聞き取れなかったりした時も「アライ ナ?」と聞き返します。日本語でも「えっ、なに?」って言いますよね。

皆さんが海外に興味を持ったきっかけは何でしょうか? ばってんT村でした。

勘違いのことば達2022/06/05

 前回ブログの冒頭、本屋さんの店員が「手帳」と「店長」を聞き間違えた話をしましたが、外に出ると図らずも面白い目に合うことがあります。

 私はよい意味で、犬も歩けば棒に当たる、と勝手に解釈しています。


 初めて読む人もいらっしゃると思いますので、以前ブログで書いた同じ話もあって恐縮ですが改めて私の経験を。

 言葉に関することなので、チョット参考になるかもです。


●コピーをください

 若い頃は、仕事の出張で頻繁に韓国に行っていました。

単独で電車やバス、タクシーで移動したり、街中の食堂でご飯を食べたりする機会も多かったので、最低限必要な韓国語を事前に勉強したり、現地で憶えたりしていました。


 1980~90年代、日本に追いつけ、追い越せで韓国では日本語の勉強熱が高かった時代です。

 それもあってか、仕事先では一定の職級以上の人は日本語が問題なく話せたので業務上の会話は日本語でした。


 ある顧客の会社で打ち合わせをやっていた時のことです。使っていた資料のコピーが必要になり、近くにいた女性社員(日本語は話せない)に自分の手元の資料を指さして「コピーチュセヨ」とお願いしました。


韓国語でチュセヨ、とは「ください」の意味です。


 女性は「ネ~(はいの意味)」と言ってそのまま部屋から出ていきました。

 しばらくすると、その女性は紙コップに入ったコーヒーを持ってきて、私の前に置いたのです。

 コピーを頼んで、なぜコーヒーが出てきたのか私はわけがわかりませんでした。


 これを見て、打ち合わせに同席していた人が笑いながら「T村さん、coffeeは韓国語でコピと言います」

「では複写する意味のコピーはどう言うんですか?」と聞くと「それはカピと発音します」


 日本語と同様、韓国語では外来語をそのまま使うことが多いのですが、韓国語特有の発音になります。

 例えばスポーツのゴルフは韓国語ではコルプと発音します。これなど、さらにわかりにくいと思いますね。


●グラスをください

 これはフランスに出張した時のことです。

フランス語が堪能な日本人の商社員を含め数人でレストランに入りました。


 飲み物を含めた注文後、ガラスコップが一つ足りないことに気づき、ウェイターに「One glass please」と英語で言いました。

 しばらくしてウェイターが持ってきてテーブルに置いたのは、アイスペールに入った氷だったのです。氷をつかむトングも付いていました。


 氷は注文していないけど、と不思議に思っていると商社員の方が笑いながら

「あ~、たぶん英語のglassを誤解したのだと思います。フランス語でグラスと言うとアイスクリームや氷を意味します」

 あとで調べてみると、言われるようにフランス語にglaceという単語がありました。


●ホテルの名前はアルベルゴ

 これははじめてイタリアに出張した時のことです。

現地の商社員の方にミラノの空港でピックアップしてもらい、郊外の小さな町のホテルにチェックインしました。

 翌日、顧客先で仕事の終了後、相手をしてくれた人が「車でホテルまで送っていきますよ。ホテルはどこですか?」と聞かれました。

会話は英語です。


 ホテルの表の看板に「ALBERGO」と書いてあったのを覚えていたので「アルベルゴに泊まっています」と答えました。


  これ、しっかり記憶していたんですが



 すると「OK、それでホテルの名前は?」と再度聞いてきます。

私が困惑していると、彼がわかった、というような表情で「ホテルをイタリア語でアルベルゴと言うのですよ。」


 日本語で言えば、単に「旅館」とだけ書いた看板がかかった宿みたいなものなのでしょう。

 私が泊まったこの「アルベルゴ」は食堂もあって、夕飯時になると主人が部屋のドアをノックして知らせてくれるような小さな宿でした。


 ドアを開けると、「マンジャーレ」(イタリア語で「食べる」の意味)と言って私に向かってジェスチャーで食べるしぐさで準備ができたことを教えてくれるのでした。


●ちょっと待って

 アメリカの顧客先工場で日本人の現地駐在員と一緒に行った時のこと。

顧客と打ち合わせをやっている最中、要所要所でこの駐在員と二人で日本語だけで話すことがありました。

 相手に返事する前に見解を合わせておく時や聞かれたくない内容の時です。


 すると後から「チョットマッテ、はどういう意味ですか?」と聞かれたのです。我々の会話の中から聞き取ったみたいです。

 この「チョットマッテ」、拗音と促音が入る日本語、発音的にアメリカ人にも印象に残ったのでしょう。


 確かに会話でちょくちょく使うと思います「調べるからちょっと待って」とか「ちょっと待って、考えさせて」とか。


 意味を教えた後は、一緒に作業などしている最中、そのような場面が来たら嬉しそうに「チョットマッテ」と日本語で言ってくるのでした。


 日本に来る外国人観光客だと、「アリガトウ」の次によく聞く日本語は「イラッシャイマセ」ではないでしょうか?


 これはどこで聞かれたかは忘れたのですが、「エートはどういう意味ですか?」という質問もありました。

 うん、確かにしゃべっている合間に挟むな。「えっ~と、それはね・・・」、当時は説明できませんでした。


「え~」とか「あの~」はFiller(フィラー)と呼ばれる発話の合間に挟む、それ自体意味を持たない言葉です。

 内容を発話前に頭の中で思い出したり、整理したり、また相手にこちらが考え中だということを認識してもらうためにも有効なものです。


 多用すると聞き苦しくなるのでなるべく使うなとも言われますが、これやらないと発話の途中で沈黙ができます。

 特に顔が見えない電話の時はなにかあったのか?と思われたりします。


コミュニケーション、おもしろくもあり悩ましくもあり、ですね。

ばってんT村でした。


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