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蚕と戦争と日本語2020/08/02

 最近読んだ本の紹介です(と言っても図書館にリクエストして借りてですが)

 歴史上、どんな動機や思惑で他国が日本語という言語を学ぼうとしたのかが述べられています。

 キリスト教の布教のため、あるいは貿易や外交のため、戦争で日本の情報を得るためであったりと様々で、それらを各章ごとにまとめて書いてあります。



 戦争と日本語との関係は想像がつきますが、蚕と日本語にはいったいどのような関係があるのか?不思議に思いました。

 

 実はこういうことだったのです。

絹を産出する蚕は大昔から中国、日本などのアジアやヨーロッパで飼われていました。 ところが19世紀の中ごろに、ヨーロッパで蚕に伝染病が蔓延したのです。当時は不治の病とされヨーロッパ種の蚕は絶滅の危機に見舞われます。

 

 この時に日本産の蚕が注目され、フランスやイタリア、スペインに輸出されたのです。蚕の飼育法などが書かれた養蚕書がフランス人やイタリア人によって日本語から各国語に翻訳されたというわけです。

 

 さらに明治政府は品質を証明する手段として、商標を作成し商品に添付するように指示しました。当時、会社名はほとんど漢字なので商標も漢字になります。

ヨーロッパの養蚕業者は漢字の知識も必要になったわけです。

なるほど、知らなかった~

 

 では、他の時代ではどのようなきっかけで外国は日本語を学ぼうとしたのか?

さかのぼって16世紀、ポルトガル・スペイン・イタリアからキリスト教の宣教師たちが日本で布教活動を始めます。宣教師たちはこの時に日本語習得の必要性を感じました。

 

最初にキリスト教の伝道を始めたザビエルは、宣教師が自らその土地の言語を習得し布教していく「適応主義」を選択しました。

わかりやすい言葉(日本語)で教理を説き教徒の告解を聞き取ること。自らも仏教や死生観を知るため、またその国の支配者に布教の許可を得るためにも現地語を学ぶことは必須だったわけです。

 

サビエルの通訳をしたフェルナンデスは日本人並みの日本語能力だったと言われています。

 

その後、日本に来た巡察師のヴァリニャーノは宣教師たちに1年間は日本語の勉強、上級者にはさらに12年の勉強期間を義務づけました。みっちり勉強させたわけですね。

日本語の習得能力によって宣教師たちをレベル分けしたそうです。まるで日本語能力試験みたい…

 

宣教師の学習書のひとつとしてローマ字で書かれた「平家物語」があったそうです。あの「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」ですね。

 

大英図書館所蔵の書物の画像が下記で見られます。

https://dglb01.ninjal.ac.jp/BL_amakusa/


 表紙に、日本の言葉と…(NIFON NO COTOBA TO…)と書いてあります。

 

 

 

一方、ロシアが生の日本語に触れたのは偶然の出来事によるものでした。17世紀の江戸時代、日本の近海は地方と江戸や大阪を行き来する商船が行きかっていましたが、嵐による難破や漂流でロシアに漂着する日本人が少なからずいたのです。

 

記録に残るだけでも300人以上の漂着者がいたといわれています。その日本人らを保護し日本語の教師としたのです。日本語学校もつくられました。

この当時、ロシアは東方への進出、開拓、日本との通商のため通訳を必要としていたのです。

なお、この時ロシアで作られた日露辞書には漂流民たちの出身地方の方言の特徴がみられたそうです。

 

当時のロシア女帝、エカチェリーナ2世に帰国を懇願し、漂流から9年後に日本へ帰還した大黒屋光太夫は小説、映画でご存知の方もいるでしょう。

 

 さて江戸時代、鎖国していた日本で唯一門戸を開いていた長崎出島、唯一の交易国はオランダでした。地元長崎でよく知られた人物としてシーボルトがいます。

出島のオランダ商館付け医務官として来日したドイツ出身のシーボルトは、日本語以外にも日本の動植物や鉱物など自然科学の分野でも情報収集を行いヨーロッパに紹介しました。

お滝という日本女性と結婚し、本人は日本をいったん追放されたり、子孫も数奇な運命をたどることになります。

 

 この長崎で編集された辞書も、やはり長崎方言が見られたそうです。

 例えば、Waruka (わるか)…「悪い」の意味、ftoka(ふとか)…「大きい」の意味、comaka(こまか)…「小さい」の意味。

 

長崎出身の私ですが、出島のオランダ人が長崎弁を話していたのかと想像するとなぜか笑えてしまいます。「今日は暑かばい」とか言っていたんでしょうか。

 

 標準語が制定される明治以前、外国人は習った先生(日本人)の出身地の方言で話していたのかと思うと、おもしろいなと感じます。

  

話変わって、学校で勉強したローマ字ですが、ヘボン式ローマ字と言っていませんでしたか?

このヘボンとは人名で日本での通称名。正確にはカーティス・ヘップバーンというアメリカの宣教師の名前です。

 

ヘップバーンは日本の鎖国開港後まもなく派遣され、聖書の翻訳や辞書をつくるため日本語を精力的に勉強しました。

 当時、各国は日本語を自国独特のつづりで表記していました。日本をNIFON、京都をQuot、椿をTsubakyというように。

 このつづり方を統一したのがヘップバーンで、これをヘボン式と言うようになったとのことです。

 

このように、そうだったのか~、知らなかった、ということが本書にはたくさん盛り込まれています。各章は以下の目次のような内容です。





 

 興味を持たれた方はご一読を。ばってんT村でした。

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