関宿 ― 2020/10/10
東海道が通っている滋賀県、三重県には宿場町が多く、地元の草津もその一つなのですが、当時の面影を色濃く残している宿場町として三重県亀山市に関宿があります。
街並みが美しいということを聞き、初めて行ってみました。
なるほど、1.8Kmほど続く街道の両側一連の建物が「重要伝統的建造物群保存地区」…長い名称 に指定されているためか家屋に統一感があって、確かに江戸時代を彷彿させる一帯です。
電線は地下に埋設されているので電柱はなく頭上もすっきり、その相乗効果もあるようです。
こんな宿に泊まるのもいいかも
また、ほとんどの家屋には今でも地元の人が居住されているため、無人の保存建築や復元とは違い、より現実味があります。
まず興味深かったのは、深川屋という老舗の和菓子屋さん。
頭上高くここの名物の看板が掲げてあるのですが、京都側から見ると「関能戸」とすべて漢字、江戸側から見ると「関の戸」とひらがな混じりで書いてあります。
これは当時の旅人が方向を間違えないようにするための工夫だと言われています。
京都側から
江戸側から
さっそくこの名物「関の戸」を買って外の長椅子で食しました。サザエさんも食べたらしい。
その後、「伊藤本陣址」へ行って見ていると、おばちゃんが「どこから来たの?」と話しかけてきた。
「同じ宿場町の草津からですよ」と言うと「そう、草津は本陣が内部まで残っていていいですね。ここはね、表だけが残っているの。あそこが当時の入口で…」と本陣の説明を丁寧にしてくれた。
しばらくすると、そこにもう一人別のおばちゃんが来て世間話が始まった。本陣のおばちゃんが「この人ね、あそこに丸っこい屋根があるでしょう、そこの人」と道路を挟んだ数軒先を指さした。
豪商が建てた起り屋根
事前に予習していたが、丸みを帯びたこの屋根は「起り屋根(むくりやね)」と呼ばれ社寺によく見られる造り。
江戸時代、両替商を営んで豪商だった橋爪家が作った自宅。この屋根、手間がかかる造りなので相応のお金がかるのです。
そこで、そのおばちゃんに「じゃ、あなたがお金持ちの橋爪さんなんですね?」と聞いたら「そうよ。でもね、それは昔の話。今はお金ないの」と笑いながら起り屋根の自宅へ戻っていった。
やっぱり今でも現役の家なんですね。
もう一軒、老舗の和菓子屋さんで前田屋というお店があるのでそこにも行ってみた。ここの名物は「志ら玉」と呼ばれる餅菓子。
お餅の白と表面の三色の点で四季を表現していると言う。
店先まで行くと、ここでもお店のおばちゃんが話しかけてきた。コロナで観光客も少なく暇なのか。
「静かでいいところですね」というと、「観光の人は静かでいいかもしれんけど、私たちはもっとにぎやかになってほしいわ。いつもの年なら観光バスで大勢来てくれるのに。」と現実的なのでした。
家屋は当時のままなのか聞いてみると、老朽化した太い柱などは交換したがほとんどは当時のままだと言っていた。
さらに、二階の格子を指さして「いつ壊れるか心配。規制があるので勝手に改築もできない」とも。
観光客の立場で見る側は風情があっていいな、と思うものでも保存する立場、それもそこの住民には苦労の種なのでしょう。
街道を西から東まで散策すると、見どころに地元のいろはかるたが書かかれたプレートが併設してあるのがユニークです。
中に資料館もあります
鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の時に移設されたものです。20年毎なので、下の部分が台座になっていてその都度、そこに載せるかはめ込むかするのでしょうか。
関には京都の祇園祭りや長浜の曳山まつりのように山車を曳くお祭りがあるのですが、これが「関の山」の語源になっていると言われています。これも今回初めて知りました。
興味を持たれた方、行ってみてはいかがでしょうか?
電車だと草津からJR草津線で柘植まで行き、関西本線に乗り換えて「関」で下車、そこから徒歩で10分ほど。
柘植駅では伊賀忍者が迎えてくれます。
ばってんT村でした。
泰緬鉄道 ― 2020/10/31
以前書いたラッピング電車ネタの鉄道つながりでタイのことを書いてみました。
タイのバンコクから北西へ130Kmほど行ったところにカンチャナブリという県があります。バンコクから日帰りでも行ける観光コースでアユタヤと並んで人気のスポットです。
今でこそ観光地になっていますが、ここは第二次大戦中、日本軍がタイからビルマ(ミャンマー)までの鉄道を敷いた拠点になったところです。ビルマ戦線への物資輸送が目的で、泰緬(たいめん)鉄道と当時呼ばれていました。
連合軍の捕虜やタイ、ビルマ、マレーシアなどの現地人合わせて20万人ほどを動員し400Kmほどの距離を1年4か月ほどで完成させました。
これを題材にした「戦場にかける橋」という映画でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
「戦場にかける橋」のシンボルとして観光で真っ先に行くのが市内の近郊にあるクウェー川に架かった鉄橋ですが、この橋は戦後に再建したもので、実際の捕虜収容所や映画の舞台になった橋があったのはもっと奥のミャンマー側になります(今は跡地だけで残っていませんが)
この写真はネットから引用
線路は切り立った断崖ぎりぎりに建設されたり、岩場を切り開いたりして敷設されています。建設機械もろくにない戦時中、相当困難な工事だったとのことです。
さらに奥まで行くと当時敷設された鉄道路線の跡地や枕木、レールなどが所どころに残っています。
その後、別の年にこのカンチャナブリ市からさらに200Kmほど奥にあるミャンマーと国境を接しているサンクラブリーというところに行きました。
ここにある全長450mほどの世界で二番目に長い木造橋を見に行く、という他愛ない目的です(ちなみに世界一長い木造橋は日本にあります)
この辺にはミャンマーのモーン族が移り住んでいて、橋はモーン・ブリッジと呼ばれています。橋を渡ると民族衣装の巻きスカートを着用したミャンマー人も見かけます。
ピンクの僧服を着て托鉢しているのは、ミャンマーの女性修行僧。この日は元旦でした。
そのサンクラブリーから乗り合いバスに乗って、さらにミャンマーとの国境まで行ってみました。
シンボルのスリーパゴダ
国境の検問所のすぐ横で偶然見つけたのですが、そこにも泰緬鉄道建設時の線路が一部残っていたのです(展示用に移設されたものかもしれません)
この国境の検問所ではタイ、ミャンマー人以外の外国人は行き来できないらしいのですが、念のため職員に聞いてみたがやはりダメ。
ちょっとした歴史を知って行ってみるのも旅のおもしろいところです。
ばってんT村でした。
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