モロッコの旅 ― 2020/12/28
昔の曲なので中年以上の方ならご存知かと思います、ヒットしました「異邦人」
この歌詞の2番は
「市場へ行く人の波に 身体を預け
石だたみの街角を ゆらゆらとさまよう
祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき…
・・・
ちょっと振り向いただけの異邦人」
中東から北アフリカの砂漠地帯や旧市街などがイメージされる、今聴いてもエキゾチックさを感じる歌です。
歩いているとこの曲が頭の中でBGMとして流れる国がモロッコでした。
マラケシュ、フェズというエキゾチックな都市名に想像が膨らみ思い切って、もう7~8年前になりますが、正月休みを利用して2都市を訪れてみました。
これらの都市の位置関係はこのようになっています。
見てのとおり、アフリカ大陸の西端なのでホント遠いのですが、お尻が痛くなるまで飛行機に乗って行く価値はあります。
モロッコ国内は主要都市間に鉄道が通っているので個人でも移動は難しくありません。もっと手こずるかと思いましたが、駅の窓口で目的地を言えば簡単に切符は買えました。
到着したカサブランカ空港にも鉄道が通っていて、入国後さっそく駅に移動してマラケシュ行きの切符を買いました。
マラケシュへ行くには途中で乗り換えが必要なことを知らなかったのですが、窓口の駅員さんが「どこそこの駅で降りて、どこそこ行きに乗り換えて」と英語で親切に教えてくれました。
その国の第一印象は入り口で決まると思っている私には、歓迎されているようでチョット嬉しかったことを憶えています。
この切符売り場でのやりとりの最中に、一人の女性が横から「ここでマラケシュ行きの切符は買えますか?」と、私を日本人と見てのことでしょう、日本語で話かけてきました。
ここで偶然にも道連れができました。それも幸運なことに、この一人旅の日本人女性IKさんはフランス語ができたのです。
フランスの植民地だったモロッコではアラビア語・現地語の他にフランス語がたいてい通じます。
後々、道に迷った時IKさんのフランス語に助けられたことが何度もありました。街中へ出てしまえば、英語よりフランス語が通じるのです。
移動中の電車の窓から見るモロッコの大地は以外にも緑が多いな、という印象を受けました。勝手に砂漠の国のイメージを持っていたのですが、実は大西洋沿岸、地中海沿岸には農耕地が広がり国土の20%は農地らしいのです。
車窓からは緑の大地が
4時間ほどかかったでしょうか、マラケシュ鉄道駅に到着。
マラケシュはかつての王朝があったところで、その時代に張り巡らされた城壁が残された中世都市。ユネスコの世界遺産にもなっています。
新市街と旧市街に分かれていて、もちろん散策していて楽しいのはメディナと呼ばれる旧市街の方です。
随一の見どころは、屋台や大道芸で賑わう「ジャマエルフナ広場」でしょう。無形文化遺産にも登録されています。
ホテルに荷物を置いて、真っ先にこのジャマエルフナ広場へ出かけました。
この広場では毎日がお祭りです。蛇使いやマジシャン、民族舞踊のグループや水売りのおじさんなど見ていて飽きることがありません。
ジャマエルフナ広場
水売りのオジサン、写真撮るだけでもしっかりチップを請求してきた
夕方になると屋台のテントが次々と設営されていき、そして夜からは広場全体が広大な屋台群になるのです。
多数の店が軒を並べるテント内
夕食時、テントの中を一回りして食べるものを決めます。材料を指さしして注文し近くのテーブルに座って待っていると料理が運ばれてきます。
肉料理が中心。酒飲みには物足りないかもしれませんが、イスラム国ゆえアルコール類は一切おいてありません。
これはエスカルゴ(カタツムリ)の屋台。フランスの影響でしょうね。
ジュース屋台。その場で絞ってくれる。一杯10DH(ディルハム)、日本円で100円程度。
こちらは翌日、昼食に食べた典型的なモロッコ料理、串焼きに野菜のタジン。日本でもあの独特の形状のタジン鍋は一時ブームになりましたね。 日本人の口にも合います。
見どころのもう一つは「マドラサ」です。マドラサとは「学校」の意味ですが、主にイスラム教を子供に教える神学校のことで、このベン・ユーセフ・マドラサと言うマドラサの2階には生徒の寄宿舎も備えています。
学校と言っても単なる建築物ではなく、壁や内装が非常に凝っていて、美しいタイルの装飾や木壁の精密な彫刻など芸術的な面も併せ持っています。
アラビア文字が読めない者にはこの文字すら模様に見えます。
もう少し滞在していたい、と思わせるマラケシュはブラブラ散策が楽しい街でした。
メディナ(旧市街)の中を右へ左へと歩いていると迷子になりそう
マラケシュに3日ほど滞在した後、もう一つの目的地フェズへも電車で移動しました。この続きは次回に。
ばってんT村でした。
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