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ツーリズムEXPOジャパン20192020/05/09

まだまだ旅行もできない状態が続いていますが、気分転換をと思って書いた今回の話題です。

昨年2019年の話になりますが、10月に大阪で「ツーリズムEXPOジャパン2019」という催しがありました。

 

 この催しは一言で言うと、旅の総合イベント(世界各国、地域の観光プロモーション)です。100以上の国あるいは地域から出展があり、様々な手段で自国の観光PRを行っていました。

 

この3か月後にはコロナウィルス感染が広がり、旅行どころではなくなるとはこの時点ではまったく想像もしなかったことです。

 

 ここが会場の入り口。インテックス大阪と言って、各種展示会などが行われる場所で、仕事ではたびたび行ったことはあります。

 


 

 入ってすぐ、旅心をそそる看板がいくつも。


 イタリア


   

 グアム  

 

 関空はるか


  

アジア各国の民族衣装が目を引きました。

 

ウズベキスタンの衣装は鮮やかな色彩


   

ブータン 

 

 

フィリピン 

 

 

ベトナム 民族楽器の演奏も 

 

 

カンボジア 

 

 

トルコ

中央の白い衣装の人からトルコのお菓子をいたただく


 

エジプトのブースでは民族楽器ウードの演奏が聴けました


 ウードは中東、北アフリカを代表する弦楽器、この楽器が日本に伝わり琵琶になったとも言われています。

  

 聴いているとアラブ世界を彷彿とさせます。私の場合はエキゾチックなベリーダンスを連想しました。

 

空飛ぶマレーシアのパン、ロティ・チャナイってなに?

行列が長くてあきらめました。



ボリビアの踊り(…踊りの名前、わすれた) 


  

お酒飲みにはワインや日本酒の試飲もありました 

 

  

イタリアのブースではオペラをちょっとだけですが生で聞くことができました。この三人はシチリアのパレルモにあるマッシモ劇場のほんまもんのプロです(って通訳の人が言っていた)


2020 6月に日本で公演をする予定でしたが、その後コロナウィルスのせいで中止(公演会場にはびわ湖ホールも入っていました)

 

 




興味深かったのは地元大阪。

文楽発祥の地でもあります。文楽の方々が人形の仕組みやあやつり方を解説してくれていました。

 文楽はユネスコの無形文化遺産になっています。3人のコンビネーション、人形がまさに生きているかのよう。



 馴染みがないだけに、ここはほんとうにおもしろかった。人形使いの黒子さんとのコンビネーションはまさに阿吽の呼吸です。 

 


 

一方、ステージではインドネシアの民族舞踊が披露されていました。

それにしても派手な衣装…と言うか装飾、最後は舞台を降りて観客を巻き込んでのダンス、皆盛り上がっていました。


 

 

 

日本に居ながらにして世界各国の雰囲気を味わえる楽しいイベントで1日では観きれませんでした。

 

今回は写真中心でしたが、再び国内外を自由に旅行ができるようになる時期が待ち遠しいですね。

ばってんT村でした。

食べてイスタンブール2020/03/01

前回のイスタンブール観光の続きです。

 

世界三大料理といえば中華、フランス、トルコと言われています。トルコ料理のことは詳しくはありませんが、現地で食べた料理を紹介します。

 

まず、ぜひ食べてみたかったのは鯖サンド、トルコの代表的ファストフードとも言えます。200300円で値段も手頃です。

焼いたサバの切り身とレタス、タマネギなどの野菜をバゲット状のパンに挟んだサンドイッチです。

 


 滞在中、毎日のように通ったのがガラタ橋と言われる有名な橋近くの広場。

ガラタ橋周辺では接岸された船の上でサバを焼いている店があって、岸側から代金と引き換えに鯖サンドを受け取ります。近くの簡易テーブルに置いてあるレモン汁をちょっとかけてかぶりつくとこれがうまい。お昼によく食べました。

 


なぜか船上で鯖を焼く


魚好きの日本人にも合うので日本でやっても流行ると思うのです(日本だと鯖寿司になってしまうか)

 

この広場には他にも屋台がさまざま出ていて、その場で果実からしぼってくれるジュース屋さん、ごまパンの店、焼き栗の屋台なども試してみました。

 

ゴマパン

 

焼き栗(うーん、これは日本、天津甘栗の方がおいしい) 


このようなファストフードのつまみ食いも楽しい広場です。

 

さて、晩ご飯にはトルコ語でロカンタといわれる大衆食堂に通いました。


ロカンタが軒を連ねる通り



これはキョフテと言って、羊肉を玉ねぎ・パセリ・スパイスとともに練った棒状の小型ハンバーグです。 美味。

 

ピデ(トルコ版のピザ、イタリアのピザの原型ともいわれている)


  

そしてヨーグルト、トルコはヨーグルト発祥の国で「ヨーグルト」の語源もトルコ語なのです。当然、消費量も多く、デザートと言うより料理の一部になっています。

飲むヨーグルトでちょっと塩味。何も入れないプレーンや甘いヨーグルトに慣れた日本人だと「なに、これ?」って予想外の味に感じます。

 

 

酒類を飲まないイスラム教のトルコですから、食事中の飲み物代わりにもなっているようです。

 

海沿いですから魚もあります。


 魚フライの定食


食後はチャイを注文

 

 あるロカンタに入り注文を頼んで待っている間のこと。店員にガイドブックのその店を紹介しているページを見せて「これを見てここに来たんだ」と言うと、それを見た彼がオッ?と言う顔で「ちょっと見せて」と言って本を取り上げ奥に向かって何かトルコ語で言っています。

 

 直後、数人が本の周りに寄ってきて嬉しそうにワイワイやっています。見ているとだいたい状況がわかりました。

 「おい、おまえがガイドブックに載っているぞ」という意味のことを言っています。料理の写真と一緒にこのロカンタの料理人の男性の姿があったのです。

 

そして「日本にはこんな詳しいガイドブックがあるのか?」と感心していました。あの「○○の歩き方」という黄色い表紙の本です。

お互い片言の英語で会話していてトルコ語も交じっているのですが、なぜか言っていることが不思議とわかります。その場の状況や相手の表情やしぐさが言語を補っているのですね。

 

飲み物はチャイが一般的ですが、飲んでみたかったのがトルココーヒー。

トルココーヒーは水の中に直接コーヒー粉を入れて煮立てて作ります。従ってカップの底にはコーヒー粉が沈んでいるので、上澄みだけを飲むことになります。

 

濃い味です


ちょっといいお店だと、器が違うし、お菓子付き

 

2013年にこの「トルココーヒーの文化と伝統」はユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、これは日本の和食が伝統的食文化として無形文化遺産に登録された同じ年なのです。

 

食べ物の話はこれくらいにして、さらに観てみたかったものについて。まずはヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡。


アジアとヨーロッパを結ぶ橋


クルーズ船が出ていてこれに乗りました。折り返し地点で接岸し、ツアー客は上陸して小高い丘を徒歩で登ります。

  

上からの眺めは絶景です。


 アジアとヨーロッパを隔てるこの海峡、フェリーや道路橋で行き来できていましたが、2013年からは完成した海底トンネルに鉄道が開通しました。

このトンネルの建設工事には日本の建設会社が2004年から関わってきましたが、このようなところにもトルコと日本の深い関係が垣間見えますね。

  

次に視点を変えて、中東、北アフリカのアラブ文化圏と言えば一度は観てみたいベリーダンス。

 

市内にあるHodja Pasha Culture Center(ホジャパシャ文化センター)というところで観ました。ダンス専門の劇場でベリーダンスだけでなく、トルコ各地や周辺国の民族舞踊などバラエティに富んだ内容で見応えがありました。

 

円形の劇場の周りを観客が囲む


妖艶かつダイナミック

 

 途中、エッ~と驚いたのは男性のベリーダンス。男性の私は特に見たいとも思わないのですが、それなりの人気があるんでしょうか?

 

もらったプログラムを後でよく見ると、確かに…5番目Male Belly Dancerと書いてあった。

まァ。これも忘れられない思い出ということで。


 

 一部だけの観光地紹介でしたが、イスタンブールは見どころが多い魅力的でエキゾチックな都市だと思います。

ばってんT村でした。


飛んでイスタンブール2020/02/15

親日国トルコの話の続きで、イスタンブールへ行った時のお話をしたいと思います。


昔、「飛んでイスタンブール」という歌がありましたね(もう知らない人の方が多いか) トルコの首都はアンカラですが、知名度が高いのはイスタンブールの方です。


 1923年にトルコ共和国となりアンカラに遷都されるまではイスタンブールが首都でした。ボスポラス海峡を隔てて西洋と東洋が混在する魅惑的な都市です(このボスポラスという名称もいい響き)

 

こんな位置関係

 

スピーカーから街中に朗々と流れるアザーン(イスラム教徒への礼拝時間のお知らせ)が聞こえると異国に来た、ということを強く感じます。

 

イスタンブールには旧市街と新市街があり、見どころは旧市街に固まっています。歴史地区として世界遺産にもなっているところです。

 

旧市街


必見はブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿の3つではないでしょうか。

 

 一つ目のブルーモスクですが、正式名はスルタンアフメット・ジャーミー(ジャーミーはトルコ語でモスクのこと)と言います。オスマン帝国のアフメットという名のスルタン(王様みたいなもの)の時代1616年に建造されました。

 

 この頃は日本だと江戸時代初期ですが、トルコではこんな巨大なモスクを作っていたのですね。

 

 

 世界でもっとも美しいモスクと言われています。いわれのとおり、内部に入ってみると天井のドーム内面の模様と色彩には目を見張ります。首が痛くなるくらい長い時間見上げてしまうほど。

 


 ステンドグラスを通して入る太陽光に青い装飾タイルが映える様子からブルーモスクと呼ばれています。

 礼拝の時間以外は一般人も絨毯を敷き詰めた礼拝堂の中まで入って見学することができます。

 神社、教会、モスクなどへ入ると宗派を問わずなぜか神聖な気持ちになるものです。

 


  

次のアヤソフィアは一種独特なイスタンブールを象徴する建築物です。ローマ帝国時代はキリスト教会として、その後オスマン帝国に征服されてからはイスラム教のモスクとして使われました。

その際、モスクに改装するためキリストや天使の絵画の上に漆喰を塗るなどしてキリスト教を想起させるものは目に付かないように隠したのです。

 

1923年にトルコ共和国になってからアヤソフィアは無宗教の博物館になっています。漆喰をはがしたりして当時のキリスト教の絵画が再び見られるようになり、キリスト教とイスラム教の象徴が混在する不思議な空間になっています。

 


内部は広大で観る者を圧倒します。ここは2階へ上がることができて、そこから階下を見るのがオススメです、壮大さがより一層感じられます。

 



三つ目のトプカプ宮殿は1519世紀中ごろまで、オスマン帝国の君主が居住した宮殿です。

 

 ゆっくり見学しようと朝早めにいったにもかかわらず、このトプカプ宮殿への入り口は観光客で長蛇の列でした。長時間を覚悟で待っていると、日本語で「日本人の方、いませんか?」と言いながら行列の横を歩いている人がいました。

 

 そしてそばに来た時に私に気づいて「日本人ですか?私がガイドで日本人を団体で案内するので来ませんか?団体入り口から入るので待たなくてすみますよ」と流ちょうな日本語で誘ってきたのです。

 

こりゃ胡散臭いボッタクリガイドじゃないのか?とためらっていると見透かしたかのように「安心してください、私は公認のガイドです」と首から下げたガイドの身分証を見せるのです。

名前はアルタンさんといい名刺までくれました。

 

列を離れついていくと、日本人観光客が数人集まっている団体入り口付近に連れていかれました。

 

 さらに数人の日本人を集めてきて10人程度になったところで彼の引率で中に入りましたが、団体入り口からだと確かにほぼ待ち時間なしでした。

 

 さすがに公認ガイドでそれも日本語で話してくれるので説明がよく理解できました。ここの青いモザイクタイルの美しさも圧巻です。

 




さらに宮殿内にはあのハレム跡もあり案内してくれました。日本で言えば大奥の間みたいなものですね。

 

ガイド料はもう忘れましたが皆が支払い終わって解散した後、アルタンさんにどこで日本語を覚えたのかを聞いてみると、大阪に住んでいたことがありその頃に勉強して覚えたと言っていました。

 


 なぜ今日のような勧誘をしたのか聞くと「仕事は他にあるのですが、せっかく覚えた日本語とガイドの資格があるのでこうやって休日に時々日本人の方を案内しています」ということでした。

思わぬところで日本語に遭遇したひと時となりました。

  

さて、旅行へ行けばお土産です。知り合った別のトルコ人に「友人のお店があるから紹介するよ」と言われ、とあるおみやげ屋に連れて行ってもらいました。

あらかじめ「絨毯には興味ないから買わないよ」とことわっておきました。

 

が、店へ入るとまずお茶が出て、やはり絨毯のセールスが始まりました。そこでも「興味ないから買わない」とはっきり言うと「OK、わかった。見るだけでいいよ。トルコの絨毯のすばらしさを説明するから」と意に介せず。

 

そして何枚か絨毯を出してきて「これどう?見る角度で光沢や色合いが違って見えるんだ」とか、「このサイズならどう。丸めれば持って帰れるよ」とかさかんに売りこんできます。


確かに光沢のある見事なじゅうたん、値段も相当…


しかし、私がまったくその気を起こさないのを見てほんとうに買う気がないと思ったのか、ついに売り込みをあきらめてその後は日本の話題も交え世間話になってしまいました。

親戚が東京でもお店をやっている、と写真も出してきます。ある1枚の写真にはその親戚数人とベ〇ツの高級車が写っていて(こりゃシコタマ儲けているな)と内心思いながら見ていました。

 

何も買わずお店を出る時には「観光の途中で疲れたら寄って休憩していいよ。また話をしよう」と言ってくれたので額面どおりに受け止めて、後日2度ほど立ち寄ってトイレを借りたりお茶をごちそうになったりしました。

何も買わずとも「日本人は友達ね」などと言いながら愛想はいいし、やはり親日家なのか、商売上手なのか?

 

さすがに悪いと思って、最後は日本で配るおみやげ(モザイクタイル模様の鍋敷きなど)をいくつか買いましたが。

 

一度に書ききれませんでしたので続きはまた次回、お話します。ばってんT村でした。

 

お茶屋巡り2019/11/09

 10月の台風で水没してしまった北陸新幹線ですが、新幹線で東京からも行きやすくなり外国人観光客にも知られるようになった金沢。京都からだと特急電車に乗れば2時間ほどで行けるので関西からだとさらにアクセスしやすい観光地です。

 

 少し前のことになりますが、今年のゴールデンウィークの最終日の1日だけ観光する機会ができたので行ってきました。

 見どころが多い金沢、限られた時間内でどこに行くか悩みました。いろいろ考えた末、当時の面影を残す茶屋街と武家屋敷跡に絞って巡ることにしました。

 

 まずお茶屋とは、一言で言うとお座敷遊びをやる場所のことです。パンフレットから説明文を要約すると

「お茶屋は、訪れる客たちに遊ぶ場所を提供する、いわば貸し座敷の役割をする。客の求めに応じて仕出し屋から料理をとり酒を供し、芸妓を呼ぶなど遊宴を支えるために様々な配慮をする」

とあります。

 

 起源は江戸時代の京都の東山周辺からと言われています。元々は神社へ参詣する人や街道を旅する人々にお茶や団子をふるまった店のことで、そこで働いていた女性が歌を聞かせ舞いを見せるようになったのが始まりです。

 

京都の東山や祇園は全国的、いや今や世界的にも知られるようになりました。

「一見さんお断り」のしきたりのためお座敷で芸妓さん、舞妓さんとかかわることは難しいですが、最近では観光客相手の体験ツアーもあって簡単にこの日本文化に触れることができます。

 

さて、金沢市内には大きく分けて3カ所の茶屋街があります。

ひがし茶屋街、にし茶屋街、主計町(かずえまち)茶屋街の3つですが、一番規模が大きく金沢を訪れる観光客のほとんどがまず立ち寄るのがひがし茶屋街です。

 

ひがし茶屋街

 

通りを散策するだけでも雰囲気を味わえるのですが、文政三年(1820年)に建てられほぼその当時のままの姿を残している「志摩」という重要文化財に指定されているお茶屋を見学されるとよいでしょう。



当時のままの姿で残っているのがすばらしいと思います。

 

 お座敷以外に、ここには食料を保存するための石室(いしむろ)や台所もそのまま残っています。


 石室への階段(中には入れません)


 帳場も当時のままで、これらを見るとまさに江戸時代にタイムスリップしたような感覚になります。 


  さらにおもしろいのは見上げて気づいたのですが、ウサギの形をした釘隠し(打たれた釘を隠すための装飾具)が要所に使ってあるのです。遊び心のあるデザインだなと思って見ました。


 スタッフの方にウサギの理由を聞くと、ウサギは子孫繁栄や幸福招来、魔除けなどの力があると言われていて使われたのではないかとのこと。

  

 また館内には茶室があって、和菓子付きで抹茶などが頂けます。庭も眺められて見学後に一服するのにいい感じです。

 

 

 私がここでのんびり休憩していると、後から若い外国人カップルが入ってきました。話しかけてみるとフランス人でして新婚旅行で日本には初めて来たとのこと。

金沢の後は高山に行くと言っていましたが、定番の東京や京都以外に地方都市も知られるようになってきましたね。

「ところで京都には行かないの?」と聞いたところ、「最後に行きます」と言われ、やはり定番も外さないようです。

 

さて、同じくこのひがし茶屋街にある「お茶屋美術館」も訪れることをお勧めします。江戸時代に建てられたお茶屋の中に化粧道具類や蒔絵を施した茶器、焼き物などが展示してあります。



おっ、と思ったのは水琴窟があったことです。実は初めて水琴窟の音色を生で聞きました。水琴窟とはこの写真の解説のとおりのものです。地中に埋めてあるので瓶は見えませんが水を落とすと涼しげな音がします。 

 

 

次に訪れた主計町(かずえまち)茶屋街は川沿いに立地していて落ち着いた雰囲気があります。レトロチックで泊まるならこの風情のある通りにある旅館なぞいいな、と思います。 

 

最後に行った、にし茶屋街は3つの茶屋街の中でいちばん芸妓さんが多いといわれているところで昼間は静かで観光客も少なかったです。夜は賑わうのでしょう。 

 

実は私、ずいぶん昔一度だけ京都、東山にあるお茶屋に行ったことがあります。と言っても、俗に言う会社の接待というやつで…

当時は若かったのか、お座敷遊びもこれの何がおもしろいのか、と思ったものです。分不相応だったということなのでしょうね。

 

さて茶屋街巡りの後は、武家屋敷跡に行ってみました。

昔ながらの土塀や石垣、建物が残る加賀藩士たちの武家屋敷跡の通りですが、民家として住民が普通に住んでいらっしゃるのですね、知りませんでした。

危うく、庭先に不法侵入するところでした。

 


 

ここもこれまた江戸時代にタイムスリップできる空間でした。

 

さて金沢に到着した直後にさかのぼりますが、金沢駅前には鼓を模した鼓門が鎮座して出迎えてくれます。

 

 

主要観光地は金沢駅からおおよそ23km以内にコンパクトに集中しているため、非常に巡りやすいのです。

専用観光バスが周遊していて500円の一日乗車券で乗り降り自由、さらに通常の路線バスもこれで乗れるのでこれまた便利。

 

もし足に自信があれば、ぶらぶら歩いて巡ることをお勧めします。疲れたらバスに乗ればいいですから。

 

私は金沢駅からひがし茶屋街まで道草を食いながら歩いて行きました。

道中、入らないと一生後悔する交流館(入って金沢のことを聞いていたら、ご主人は以前滋賀県の守山に住んでいたことがある、という話が聞けたり)や明治時代に建てられた和洋折衷の銀行を見つけたり(内部見学は無料)

 


 昔の銀行


 

 

やはり、最後はおいしいお鮨でも思い、適当にあるお店に入り、のどぐろと白エビを注文したらのどぐろには金箔が乗っていた。金沢と言えば金箔の工芸品でも有名ですが、お鮨にわざわざ載せなくても…高かった。この二貫だけ食べてお店を出ました。 


 旅館にでも最低一泊して他も観てみたいな、と思う金沢でした。京都ほど混雑していないのでゆっくり観光できる古都だと思います。

ばってんT村でした。


ムラーノとブラーノ2019/07/20

前回のベネチア観光体験の続きです。

 ベネチア本島の周囲にはいくつもの島々が点在しています。そのうちムラーノ島とブラーノ島の2島には観光客を引きつける魅力があります。

 

こんな位置関係

 

前回紹介したヴァポレットと言う乗り合い水上バスでも行けるのですが、この2島(ムラーノ島→ブラーノ島)を巡るツアーで行くのが時間のムダなく楽ちんでこれを利用しました。

 

 まずムラーノ島。ベネチアといえばベネチアングラスが有名ですが、ムラーノ島はそのガラス職人の島です。

 中世の頃、ベネチア共和国に莫大な利益をもたらしたのが輸出品であったこのベネチアングラスでした。

 その製作技術を門外不出にするため、このムラーノ島にガラス職人とその家族を強制的にこの島に移住させたのでした。

 

 従って島内には今でもたくさんの工房やショップが点在しており、工房見学もツアーに組み込まれています。見学の後はお土産にグラスを、という流れですね。

 

 実はこの工房見学→おみやげ購入の流れには私は加わりませんでした。それにはちょっとした理由がありまして。

 

 ベネチア本島でツアー船に乗り込んで出発を待っていた時のことです。座席は電車やバスのように中央の通路を挟んで両側に2~3人が座れるベンチシートが並んでいました。

 出発まぎわに若い男女のカップルが乗ってきたのですが、通路を行ったり来たりしていました。どのシートにも先客がすでに座っていて2人並んで座れるシートがなかったのです。

 

それを見て、せっかくの旅行で別れて座るのも寂しかろうと思い、シートに一人で座っていた私はカップルに声をかけ「私が移動するからここに座りなよ」と席を譲りました。

 

 そして、通路を挟んだ反対側のシートにも旅行者が一人で座っていたのでその人に「そちらに座っていいですか?」と聞いたのです。

 彼も私の行動を見ていたので「もちろん、どうぞ」と快諾してくれたのでした。

 

 一人旅同士で自己紹介しあって会話が始まりました。彼は190センチ近くあろうかと思うガタイのいいスキンヘッドの黒人で一見、格闘家のような風貌。

で、仕事を聞くと「ポーエッ」と私の耳には聞こえました。

 

 英単語でこの発音に近いのは「poet」…ん、詩人? 外見で判断してはいけないが、そうは見えんな~、饒舌でやたらジョークも飛ばすし。詩を作るってそれ仕事じゃなくて趣味じゃないのか?


 「仕事で詩を書いているの?」と聞くと「そうだよ。小説も書いていて数か国語に翻訳されている。日本にも何度も行ったことがあるよ」と。

 

 名前をカマンダさんと言い、コンゴ出身でルクセンブルグ(かベルギーだったか?)に住んでいて、休暇でイタリア旅行をしている、と言っていました。

 

 

帰国後ネットで調べてみると、確かに多数の著書も出して日本語を含む数か国語に翻訳もされて、賞もいくつも受賞していました。その業界ではけっこう有名なんだ、と後で知ったのです。

 

 ツアー船がムラーノ島に着いたとき、「俺はガラス工房と土産には興味はないんだ。のんびり何もしないのが一番いい。工房見学はパスして島内を散歩しないか?」と誘ってきたのです。

私もどちらかというとブラつくのが好きなので集合時間まで二人で島内を散策することにしました。

 島にはゆったりとした現地時間が流れています。

 

 

 途中、小さなレストランを見つけた彼は「シーフードを食べよう」と言い出し、屋外テーブルに座ってさっそく注文。

 魚、エビ、タコなどを塩・胡椒だけでグリルしただけのシンプルなもの。

 

 

 彼が旅行した国々の話を聞いたり、よもやま話をしてのんびりしているうちに気づくとツアー船への集合時間まで10分を切っていました。

 

 「走らないと間に合わないよ」と言って急いで勘定をすませ、彼を急かしました。

彼は「日本人は時間に厳しいからな」と言いながら走り始めたのはよかったのですが、数分で息が切れて「先に行って船を止めといてくれ。せっかくバカンスに来たのに俺はもう走りたくない」と言い出す始末。

 

 でも、なんとか二人とも出発までには間に合い、ツアー船は次のブラーノ島へ向かいました。

 

ブラーノ島は漁業とレース編みが盛んな島です。中世時代はレース編みのハンカチーフなどがベネチアングラス同様、ヨーロッパの王侯貴族の間で大流行しました。

 

 同じく技術を門外不出にしていましたが、いつのまにか流出し技術も追い抜かれてしまったのです。レース編みの学校を設立したりして、今では復興して再び主要なおみやげ品にもなっています。

 

 何といってもカラフルな街並みが必見です。漁師が漁から戻ってきた時、自分の家がすぐ見分けられるようにペイントしたのが始まりと言われています。

 


 自宅の表にイスを出して何をするでもなく腰かけているおばあさんなどを見るにつけ、ここにもゆったりとした特有の島時間が流れているのを感じます。

 


 観光客で込み合う見どころの多いベネチア本島もいいですが、30分ほどで行けるこれらの島々をのんびり巡るのも目先が変わっていいものです。

 これでイタリア語が少しでも話せたりするともっと楽しみが拡がるのですが…やはり外国語は憶えておけば損はないと思います。

 ばってんT村でした。

 

ベネチアのバスと船2019/07/07

イタリアを題材にした前回のエッセイ「パスタぎらい」のちょうど続きという感じでイタリアを旅行した時の体験について書いてみます。

 

これまで仕事の出張やプライベートで訪れたのは

ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ポンペイ、バーリ、プロチダ島、地名忘れた(ヴェローナの近く、ガルダ湖湖畔の町)、バチカン市国(正確には別国ですが)、

というところです。

 


  イタリアは見どころがたくさん、料理はおいしい、人は気さくだし、家族のきずなも強く日本人の感性に合うと思います。

 日本同様、海に囲まれシーフードも豊富でお米も食べる。

 

 イタリアの中で、ほとんどの人が行きたいところ候補の上位にあげるのはベネチアではないでしょうか?

 

 ご存知のように運河を縫ってつくられた水の都で多数の島々からなっています。車は走っておらず、交通手段は船のみ。行ってみて非日常が味わえる別世界だと感じました。見方によっては巨大なテーマパークとも言えます。

 


 ただし、ベネチアの島内のホテルや観光客向けレストランなどはツーリスト価格で非常に物価が高く、この点でも非日常的です。


 ベネチアまでは鉄道が通っていて、私はベネチアの一駅手前にあるメストレというところにホテルをとりました。ベネチアを離れればホテル代はベネチアの半額以下です。

 例えれば、京都観光に来たけれどホテル代が高いので大津駅近くのビジネスホテルに泊まるようなものです。

 

黄色のこじんまりした駅前ホテル、近所に中華料理屋もあり食事面でも助かった


  ホテルは駅前でしたが、ベネチアまでは鉄道よりバスのほうが本数が多いのがわかったのでバスで行くことにしました。

朝、フロントにいた年配の女性に停留所の場所を英語で聞いたところ、英語が通じません。「ホテルなのに英語が通じないのか…」

 

こちらもイタリア語は話せないし、そこでベネチアの方角を指さして「ベネッチア、ブス、ブス」と連呼したらわかってくれてちゃんと教えてくれました。


英語をローマ字読みすれば大体当たらずとも遠からずのはずと思い、BUSをブスと言ったのです。

正確にはイタリア語でAUTOBUS(アウトブス)と言うらしく、この時はブスだけで通じましたが女性に対し何度「ブス」を連呼したことでしょう。

 

バスは普通の路線バスなので地元の人が通勤や日常の足に利用しています。このような機会に自国と比較したり、地元の日常生活を観察できるのもおもしろいものです。

 

バスには事前に切符を買って乗るようになっています。運転手は運転だけが仕事で、降りる乗客の定期券を確認したり切符を回収はしないのです。

日本のように降りる時に料金を現金で支払うようにはなっていません。車内に小さな刻印機があって、乗車した時乗客がそれに切符を通して打刻しなければなりません。

 

乗り降り自由でやろうと思えば無賃乗車もできるわけです。

ただし、時々、検札員が抜き打ちで任意の停留所から乗り込んできて車内で「切符を拝見」と全員を確認してまわります。違反していたら高額の罰金(日本円で7~8千円)を払わされます。

観光客も同様です。知らなかった、は通用しないのです。

 

検札員の恰好は普段着ですが、持ち物や雰囲気でわかります。途中の停留所からたまたま乗り込んできた場面に一度遭遇したのですが、その姿を見た一人の若者が猛然と出口扉にダッシュして降りてしまいました。

無賃乗車だったのでしょうね。

 

一方、ベネチアでの移動手段は「ヴァポレット」という乗り合い水上バスになります。切符の要領はバスと同じです。

 

私は72時間(3日)パスを事前に購入しました。これはホテル・ベネチア間のバスでも使えて重宝しました。

旅行者にはこのような乗り放題パスが非常に便利です。

 

何といってもベネチアではこのヴァポレットで好きなところで乗り降りして街中を散策するのが最高です。

 

真っ先に向かうのは世界一美しい広場と言われるサン・マルコ広場でしょうか。回りにあるサン・マルコ寺院や宮殿、美術館、特徴のある橋などを見てまわり、疲れたらカフェで一休み。

 


 世界最古のカフェで、カフェラテ発祥の地とも言われる有名なカフェ・フローリアンに行ってみました。夏は屋外テーブルも出ていて、生演奏もあります。



ちょうどその演奏の時間帯だったので屋外テーブルでコーヒーを注文、飲みながら生演奏を聞いてしばし心地よい気分に浸っていました。

 

 

頃合いを見てさてそろそろ行くか、とお勘定を頼んだのですが、請求書を見て驚くことになります。

 「何…?」 ウェイターが持ってきた請求書を見ると、コーヒー以外にもなにやら金額が書いてあります。

 

税・サービス込みのはずだがと思い書かれた項目の英文を読むと、どうも屋外のテーブルチャージ代と演奏代のようです。トータルで日本円換算したら1,000円以上した記憶があります。

あの演奏、タダじゃなかったんだ、だったらもっと長居すればよかった。高くついた一杯のコーヒーでした。

 

水上バスのヴァポレットは地元の人の足でもあります。バスや電車同様、優先席もあるのです。

 

 

この時期は夏のバカンスシーズンだったためか、乗るヴァポレットはいつも観光客で満員でした。ある乗り場からまさにこの図にあるような杖をついた老人が乗ってきたことがあったのですが、彼はすぐにこの優先席に向かいました。

 

しかし、すでに満席で優先席にも観光客が座っています。しばらく目の前に立っていてもいっこうに席を譲らない観光客を見て、ついに老人が杖を振り回しイタリア語で怒りを込めてまくしたてました。

 

イタリア語がわからなくても言っていることは想像できます。優先席の観光客はポカンとした顔をして、この人何を怒っているの、という表情でしたが、やっと気づいたらしくすごすごと立ち上がっていました。

 

観光客には一生に何度も味わえない非日常の空間でも地元の人にとっては毎日繰り返される日常生活なのだな、とつくづく思いました。

 

ベネチアでしか体験できないことと言えば、ゴンドラがあります。カップルで乗って、ゴンドリエーレ(船をこぐお兄さんやおじさん)に歌でも歌ってもらったら気分は最高でしょうね。

 


昼間40 分で80ユーロ、夜40分で100ユーロ程度らしいです。1ユーロ=130円とすれば最低でも1万円程度ですね。



ちょっと乗ってみたいだけなんだけど…という旅行者には、もっと安いのがありますよ。なんと2ユーロ、およそ260円です。


 渡し舟乗り場

 

もちろん安いのには理由があって、実は運河を横断する渡し舟です。でもれっきとしたゴンドラです。地元のイタリア人に交じって、運河横断23分ほどのショートショートトリップです。

 

 

私もこれ、乗ってみました。地元の人に交じって波に揺られるのもいいものです。

 

また、ベネチアにも住民がいるわけでして、当然のことながら野菜、果物、海産物などの市場もあるのです。

 

 

これら日用品や食料品のお店への運搬手段もボートになります。

 

 

ベネチアを歩いていると観光地である表の顔と生活の匂いがする素顔がすぐ隣り合っているのを感じます。これもおもしろいところです。

 

ベネチア本島から少し離れたところにも魅力的な島々があるのですが、長くなるので次回にお話ししたいと思います。

ばってんT村でした。


夜目遠目笠の内2019/06/08

夜目遠目笠の内(よめ、とおめ、かさのうち)、この意味おわかりでしょうか?

今やほとんど聞きません。

 

夜見る時、遠くから見る時、あるいは笠からちらりと見える顔を見る時、女性が実際より美人に見えるという意味です。女性には失礼なことわざかもしれません。

 傘ではなく笠なので発祥は古いのでしょう。

 

数年ほど前の正月休みにタイのスコータイというところに行きました。

 タイの観光地としてアユタヤは有名ですが、そのアユタヤ王朝の前、13世紀ごろに存在したのがスコータイ王朝です。

 それまでクメール帝国の支配下にあった国土を取り戻したタイ族による最初の王朝と言われています。

 あのクネクネしたタイ文字ができたのもスコータイ王朝の頃です。

 

スコータイには遺跡群がたくさん残っていて見どころも多く、ユネスコの世界遺産にも指定されています。

 

 こんな遺跡がたくさん




スコータイ市の中心部に泊まっていたのですが、ちょうど滞在中に大晦日のカウントダウンイベントを見る機会がありました。

 イベントの一つにニューハーフコンテストがあるようで、夕方から大勢の出場者が集まってきました。

 

 タイではこのニューハーフ(あるいはレディーボーイ?)に対して社会の寛容度は高く、バンコクなどでは普通に見かけます。

 レストランのウエイトレス、ホテルのフロント、コンビニをはじめ店舗などの店員、空港職員など当たり前のように存在します。

 ただ「夜目遠目笠の内」でなくとも一見ではほとんど男性だとはわからないと思います。

 

 夕方、屋台で食事が終わった後ぶらついていたとき、偶然にも食事中の出場者を見かけました(衣装を着ていたので判別できた)



 コンテスト前の腹ごしらえをしていたようです。

 せっかくだから話しかけていっしょに写真を撮ってもらいました。夜目ではいっそう男性だとはわかりません、美人です。マァ、そのうちの一人には「マツ〇・デラ〇クスか?」というような人もいて。

 

 

 屋外ステージでのコンテストでは各人が順番にスピーチをして、その後歌などの特技を披露していました。理解できたタイ語は冒頭の自己紹介の名前と出身地、好きなことや物を言ったところまで、後は何を言っているか理解不能。


 最前列では子供も興味津々


ゃんと審査員のテーブルもあり


最後はワイで一礼

 

タイのおおらかさとふところの深さを見た一夜でした。

 

さらに個人的に思うのですが、もうひとつ美人に見える条件で後ろを振向く姿もそうではないでしょうか?

 「見返り美人図」という日本絵もあるし、絵画でもフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」も後ろを振り向いた姿で魅力的です。

 

それら振向く姿でさらに思い出しました。

シニア世代の人ならご存知でしょう、昔シャンプーかリンスのテレビコマーシャルで日本中の街中でロケをし、後ろ姿(髪)の美しい女性を見つけ声をかける、というのがありました。

 

泣いているのか 笑っているのか

後ろ姿のすてきなあなた

ついてゆきたい あなたのあとを

ふり向かないで~○○の人  


という歌とともに。○○に銀座や大阪、名古屋などロケ地の地名が入っていました。

 

 さて、アルバート・メラビアンというアメリカの心理学者の研究によると、話し手が聞き手に与える影響のうち、

「話の内容」が7%

「話し方」が38%

「見た目」が55%

だと言うのです。(メラビアンの法則)

 

 つまり人は、どんな話の内容や話しぶりより「見た目」で相手を判断することが多い、ということなのです。

 

長く接するのであればまた話は別かもしれませんが、男女問わず見た目の第一印象はやはり大事なのですね。

 ばってんT村でした。


イサーンの旅22019/04/13

前回の続きです。

 別の年に同じイサーン地方のナコン・ラーチャシーマー(通称名コラート)というところに行きました。コラートはイサーン地方最大の都市で、人口ではバンコクの次に多いのです(位置は前回の地図を見てください)


バンコクからバスで4時間ほどで到着します。位置的にもイサーン地方の入口と言えるところです。

 

到着後、まず予約したホテルを探したのですが、地図上では近くに来ているはずなのに見つかりません。同じ通りを何回も行ったり来たりしたのですが、看板が見当たらないのです。

もう聞くのが早いと思って、近くの商店にいたおじさんにホテルの名前を言ってどこにあるか聞きました。

 

すると「ついて来なさい」という素振りで、わざわざホテルまで連れて行ってくれたのです。

 こちらの下手なタイ語を聞いて、言っても通じないだろうと思われたのかもしれません。ここでも親切な人に当たりました。

 

 ホテルは市内中心部にあり、歩いてすぐのところの広場に銅像があり大勢の人がお祈りをしています。

この像の女性はタオ・スラナリーと呼ばれ、200年ほど前に隣国(現在のラオス)が攻め込んできた時、奇襲でラオス軍を撃退した英雄だそうです。

 タイのジャンヌ・ダルクと言われています。

  


また、そのすぐ近くに小さな舞台があり、数人の男女が民族衣装を着て踊りの練習をしています。タイの音楽に合わせゆったりした動きで、練習を見ているだけで雰囲気を味わうことができました。

 

 

 さて、コラートからバスで1時間ほどのところにピマーイ遺跡があります。翌日はそこへ行くことにしました。

翌朝、遺跡方向へ行くバスに乗り込み、遺跡の最寄りで数人のタイ人に混じってバスを降りたのですが、欧米系の若い女性も一人降りてきました。

 遺跡の方へ歩いていると同じ方向だったので「ピマーイを見に来たのですか?」と話しかけるとそのとおりでした。

 

10世紀ごろ、現在のタイの国土はクメール王朝(現在のカンボジア)に占領されていました。従ってその当時造られたこの遺跡もアンコール遺跡とおなじ様式なのです。

 そういえばアンコールワットと形がよく似ています。

 

 

 いっしょに遺跡や博物館を見学したのですが、道々聞いた話や休憩中に聞いた話から、彼女は東南アジアを旅行中のスイス人でした。

 


 


多分と思い「何ヶ国語話せるのですか?」と聞いてみると「母語はドイツ語。他に英語、フランス語が話せます。スペイン語とイタリア語も少し話せます」

やはりマルチリンガル。

「だからヨーロッパを旅する時に言葉で困ったことはないけど、アジアに来たら英語が通じなくて困ります」と言っていました。

 

 昼時になったので、いっしょにごはんを食べましょうとなったのですが「私、ベジタリアンなのです」と言ってきました。

 シーフードもダメと言われ(エッ… 肉抜き、シーフード抜きのタイ料理なんてあったか?)と内心何にするか迷いました。

 

 そこで「ではいままでタイで何を食べていたの?」と聞くと「主にフライドライスを注文して肉抜きにしてと言っています。これを英語で言ってもなかなか通じなくて」と。

 外国人も入るレストランではなく地元の人が行くような普通の食堂に行く、と言っていたので、そりゃいっそう英語は通じにくいよね、と思いました。

 

 フライドライスとはタイ料理で言うカオパット(いわゆるチャーハン。具に野菜や豚、エビ、カニなどが選べる)のことです。つまり彼女がいつも食べていたのは具が野菜のみのチャーハンなのですね。

 

結局、彼女には肉抜きのカオパットと唐辛子・エビ抜きのソムタム(パパイヤを使ったサラダ)を注文してあげました。食の好みや考えは人それぞれですが、旅の楽しみがひとつ減るようでなんかもったいないな、と思いました。

 

 さて、ピマーイ遺跡からコラートへの帰りも当然バスなのですが、停留所や目印らしきものが見当たりません。

 

実はこれ、地方へ行くとありがちなのです。

 ローカルバスだと、決まった停留所以外でも道中に待っている人を見かけると停車してピックアップします。

 降りる時も同様。降りたい人は自宅に近いところで降ろしてもらっているのでしょう。

 

 これはもう聞くしかない、と近くのお店のおばちゃんに聞くと、これまた親切にも連れていってくれました。

 そして「ここで待っていればバスが止まるから」というような意味のことを身振りを交えて言ってくれました。

 

 このようにウボン・ラーチャターニーやコラートで二度三度と親切な行為に接すると、助かってありがたい、という思いと同時に、日本で逆の立場になったら来日者には親切に接してあげようという気持ちに自然となります。

 

 どの国も同じで地方へ行くほどやさしさが感じられます。これも旅の効用でしょうか。

ばってんT村でした。  

イサーンの旅12019/03/30

今年の日本語スピーチ大会で、タイ人の発表者がいらっしゃいました。

彼は自己紹介で「イサーンから来ました」と言っていましたが、このイサーンとはタイの東北地方のことを指す地方名です。

 

タイは日本の都道府県のように行政区で分かれていて1都76県あります。1都は首都のあるバンコクです。

 

さらにいくつかの県がくくられて地方名で呼ばれたりします。日本で関東地方や近畿地方というような感じです。

 

  この辺です


私が行ってみたい、と思ったのは何年か前にこんな本を見つけて買ったからでした。

スロー・カントリー、イサーンでのんびりと、というのに惹かれて。

 


  最初に行ったのはウボン・ラーチャターニーというところ。

イサーン地方の中でも、ウボンラーチャターニーはタイの最西端にある県でラオス、カンボジアと国境を接しています。

寺院や遺跡などの歴史的観光地や自然豊かな国立公園がありますが、外国人向けの観光地としてはあまり目立ちません。

 

バンコクから飛行機で1時間ほどで到着。着後、さっそく市内を散策しました。やはりにぎわっている露店・屋台通り、どんなものがあるのか見ながらうろうろするのは現地の雰囲気がわかっておもしろいものです。

  

 日本食ブームはタイの地方にも及んでいて、屋台にも「寿司」の提灯を掲げたものもありました。

 

 

おっ、そしてやっぱりありました、虫の屋台。

その場で揚げたり炒めたりしています。日本でも蜂の子など食用にする地方はありますが、イサーン地方でも食用にしています。

 

 

 物珍しそうに見ていると、おじさんが「食べてみるかい」と試食を勧めてきました。買ってまで食べるつもりはないが試してみたい気もあったので、かっぱえびせん状のもの(この表現でわかりますかね)を手のひらにもらって食べてみました。

 サクサクしてこれだったら食べられるかな、という感じです。さすがに原形のままのものは断りました。

 虫は、中国でセミ(原形そのまま)を揚げたのを食べて以来でした。

 

けっこう歩いたので休憩してコーヒーでも飲みたいな、と思い探していたところ、1軒のみやげ屋兼喫茶店を見つけたのでそこに入りました。

 テーブル席で日本から持ってきた「イサーンの旅」を読みながらコーヒーを飲んでいると、一人のタイ人のおじさんが近づいてきました。

 

 

そして私が見ている本を指さして「その本を見てこの店に来たんですか?」と英語で話しかけてきました。そして「私も持っています」とニッコリ笑って手に持った同じ本を見せてくれたのです。

 

話を聞くと、彼はこの店のオーナーだったのです。この本の取材陣が日本から店に来たらしく、お礼に出版された本を送ってくれたとのことでした。

私はこの店が掲載されていることは知らずに偶然に入ったのですが、オーナーは非常に嬉しそうでした。

 

さて地方に行くと交通手段が限られ、また乗り場などが地元の人しかわかりません。そこで行動範囲を拡げるためレンタサイクルを借りることにしました。この本で日本人がやっているレンタサイクル店があることを知ったのです。

 

店に行くと確かに日本人女性が出てきました。

3日借りたいんですが」と言うと「最後に返す時までずっと持っていていいですよ。夜はホテルの前に止めておいてください」と。

 

 当然、自転車に鍵はついています。でも夜中に盗まれないか心配でしたが「ここでは大丈夫」という返事。まぁ何とおおらかなこと。

 

 食べ物の話に戻って、イサーン地方はソムタムとガイヤーンの本場でもあります。

ソムタムとは千切りにした青いパパイヤと干しエビ、沢蟹、ピーナッツ、ミニトマトなどをあえて作ったサラダです。唐辛子が効いています。甘みや酸味もあるのでそれらが混じり合い単に辛いだけではないのです。

でも「辛くしないで」と最初に言っておかないと、情け容赦なく辛い(地元では普通)のが来ます。

 

ガイヤーンは焼き鳥のことです。ナンプラーや甘辛いタレに漬け込んだ鶏肉を焼いたもの。たいてい、カオニャオ(もち米)とセットにして注文します。

 

 レンタサイクルでちょっと遠出ができるようになったので、翌日さっそく足をのばして食べに行きました。

 

 大きな鶏が目印

 

 ソムタムとガイヤーン、竹籠に入っているのがカオニャオ(もち米) 甘い、辛い、酸っぱいが混じり合い、カオニャオを指でつまんで食べて舌をニュートラルにする、この組み合わせは食が進みます。呑める人ならビールがあれば最高でしょう。


ウボン市内からソンテウ(トラックの荷台を座席に改造したバス)やバイクタクシー(バイクの後部に客を乗せる)で少し走ればのんびりした田舎に行けます。

 一度ソンテウを使った時、私が外国人と気づいた運転手が身振りでこっちに乗れと助手席に乗せてくれました。

 やはり地方へ行くと親切な人に当たるのも多いですね。


 

市内とその周辺をのんびりぶらぶらして、ホント何もしない数日間でした。

それにしてもタイの寺院は派手ですな。

 


次回はイサーン地方でもう一カ所行ったところについて書いてみます。

ばってんT村でした。

滋賀と沖縄の意外な関係2019/02/16

まだまだ寒い日が続きますね。実は2月最初の週末に沖縄に行ってきました。

沖縄の気温は20℃前後で快適、真昼で晴天だと25℃ほどになりエアコンが要るほどでした。この寒い時期に沖縄は旅先としていいかもしれません。

 

写真で気分だけでも初夏の雰囲気をどうぞ。

 



さて、地元の方か相当な歴史通の方であればご存知かもしれません、沖縄と滋賀の意外な関係。

この旅行の時、偶然のきっかけで地元の人に聞いて私は初めて知りました。

 

 沖縄は1879年に沖縄県となるまでの約450年間、琉球王国として存在していました。観光スポットになっている世界遺産のあの首里城は沖縄本島を統一したときに建てられた王宮です。

 

 滋賀との関係を簡単に言いますと、旧彦根藩主の井伊家にこの琉球王国の国王の子孫が嫁いでいたのですね。

 

 この話を聞いて、ヘェ~と思い少し調べてみました。

 明治政府の廃藩置県で琉球王国はなくなったのですが、最後の国王、尚泰(琉球王国の王の名前は代々、「尚」が付きます)のひ孫が井伊直愛(なおよし)と結婚されたのです。

結婚されたのは昭和12年(1937年)のことです。

 

ちなみに井伊直愛はあの井伊直弼のひ孫にあたります。

 19531989年の長年、井伊直愛さんは彦根市長だったので名前はご存知の方も多いでしょう。琉球王国の末裔で奥様となられた井伊文子さんは歌人、著作家でもあったので書籍を通じてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 

 「犬も歩けば棒に当たる」ということわざは、思わぬ幸運に当たる、という意味もあります。私は旅行先でこの棒に当たるのを期待して知らない街を散策するのが好きなのですが、今回もそのケースでした。地元のことは地元の人に聞くのが一番ですね。

 

 それにしても、これほどの関係があるのに彦根と沖縄の都市(この場合は那覇?)は姉妹都市あるいは友好都市の関係にはないのです。

 残念ですよね~、とこのことを知る沖縄の人も言っていました。

 

最後にどうでもいいことで余談ですが、これも地元の人に聞きました。実は沖縄にはセブンイレブンはなく、コンビニはローソンとファミマだけです。

ばってんT村でした。

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