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落語の中の言葉遊び ― 2024/09/18
以前のブログで日本語は言葉遊びが豊富な言語ではないかという内容を書きました。
私、落語を聴きに(観に)行ったりするのですが、落語の中にもことば遊びが出てくるものがあります。
一番多いのは同音異義語を使ったものではないでしょうか。
噺家さんは本題の落語の前に「枕話」と言って客を引き付ける簡単な小話やおもしろい体験談などを喋ります。
以前聞いて、印象に残ったのはこんな内容でした。
お日さんとお月さんと雷さんがいっしょに旅に出ました。
宿に泊まり、翌朝、雷さんが目を覚ますと、お日さんとお月さんの姿が見えません。
宿の女将にどこにいるのかと聞くと
「お日さんとお月さんは朝早くにおたちになりましたよ」との返事。
雷さん
「そうか、やはり月日がたつのは早いものだな」
そして宿の女将が「雷さまはいつたたれますか?」と聞くと
雷さん
「そうだな、夕だちにでもするか」
以上
言わずもがな、旅立つ、月日が経つ、夕立ちの三つをかけたものですね。
言葉遊びをネタにした落語の中から一、二例挙げましょう。
「田楽喰い」という演目があります。
豆腐などに味噌を付けて串焼きにしたものを田楽といいますが、皆で酒を飲もうと大勢集まった酒好きの男達、リーダー格の男が肴に大量の田楽を用意した。
田楽をそのまま食べるのもおもしろくないということで男は趣向を凝らす。
「田楽ちゅうもんは、味噌を付ける、とか何とか言うてな、あんまり験がええもんやないさかい、ひとつ運がつくように『ん廻し』をやろう」
「ん」の入った言葉を言ったら、一文字ごとに田楽を一本取って食べられる、というもの。
「れんこん」や「にんじん」だったら二本取れる。
皆、「ん」がたくさん入ることばを考えるが、思いつかない者は「きゅうりん」とか「なすびん」とか無理やり「ん」を足すが、当然却下。
食べ物だけでなく何でもいい、と言うとさまざま出てくる。
「てんてん天満の天神さん」と六本もらおか。
「本山坊(ぼん)さん看板がん」で七本もらおか。
それ何のこっちゃ?
「本山の坊さんが看板にがんと頭をぶつよったんやな」
んの文字数をかせぐため、徐々に長文になってエスカレートしていく、
という筋書きです。
もうひとつ、「二人癖」という演目。
「呑める(もちろんこの場合は酒)」が口癖の男と「つまらん」が口癖の辰の二人が、お互いその口癖を言ったら一円の罰金を取ろう、というもの。
相手になんとか口癖を言わせようと考える。
「辰っつぁん、田舎の親類から大根を百本もろた、とても食いきれへんさかい漬けもんに漬けよぉと思う。家じゅ~探したら二斗樽が一つだけ出て来た。この二斗樽一つに百本の大根、詰まろぉかな?」
「入りきらん」
「無理に押し込んだら?」
「底が抜ける」
と辰は簡単には引っかからない。
「出直せ、出直せ。お前の相手してられへんねん今日は……。かかあ、おい、早いこと羽織出してぇな!」
「辰っつぁん、羽織り着て、どこ行くねや?」
「いや、兄貴とこ家増築してたやろ、それが「『出来上がった、新築祝いや』いぅて、呼ばれてんねやがな」
「兄貴とこ新築祝い! 一杯呑めるな」
と男は見事にひっかかり、1円取られてしまう。
くやしくて仕返しがしたい男は物知りの甚平はんに相談に行く。
辰が将棋好きなことを聞いた甚平はんは男に絶対に詰めないインチキの詰め将棋を教える。
詰め将棋とは、王将の詰め手を研究する将棋。与えられた譜面に基づき、一定の持ち駒を使うなどして、連続して王手をかけて詰めるもの。
男は教えてもらった通り、自宅の縁台で将棋盤をにらみ悩んでいるふりをする。
そこへ風呂入りに行こか、と誘いに来た辰が悩んでいる男を見て「ちょっとそれ、わしにやらせてみい」と考え始める。
男は「でや、詰まるかな、詰まるかな?」としつこく辰に聞く。
「うるさいなぁこいつ、もぉ。こぉこっちから行っても……、おんなじことか……、こら間違ごぉたかな」
「でや、詰まるかな?」
思わず辰は「こら、詰まらん。」とついにひかっかってしまう。
「あッ、ほなお前、あれを言わすために、こんなことやってたんか? えらい男やなぁ、こんなわけの分からん詰め将棋考えさしやがって。やぁよぉでけたぁった。感心したさかいな、倍の二円やるわ。」
「ありがたい、一杯呑めるわ。」と思わず男が言う。
「はい、一円、これであいこや」と辰。
というオチ。
「つまらない」の語源は「つまる」で、詰め将棋の場合の「詰む」とは違うのですが、そこは落語の中でも、甚平はんが
「だたいたい将棋では、『詰まる』とか『詰まらん』とかは言わんもんやが、そこは口癖じゃ、こっちが『詰まるかな?』と持っていったら『詰まらん』と、たぶん言ぅと思う」というくだりがある。
漫才やコントと違い、一人の噺だけで演ずる落語、なかなかおもしろいのです。
身近なところでも聴ける落語

ばってんT村でした。
日本文化を垣間見る ― 2024/08/17
年齢を重ねてきたためか、日本の伝統文化に徐々に興味を持つようになってきました。
うってつけに関西は滋賀、京都、奈良と古都があった地、見どころには事欠きません。
最近、3か所行ってきたところを紹介したいと思います。
今年の5月に祇園花街芸術資料館という施設がオープンし、さっそく観に行ってきました。
花見小路通りにあり、歌舞練場と隣り合わせになっています。
芸妓さん、舞妓さんと花街の文化をわかりやすく紹介している資料館です。
資料館の入口

着物や帯、かんざし、扇、化粧道具などが陳列されていて、歌舞練場の舞台や花道も見学コースになっています。


おこぼの底はくり抜いてあり、中に鈴がつけられている

別料金で芸妓さんや舞妓さんの京舞を観ることや記念撮影もできます。
芸妓さん、舞妓さんといえば縁遠い存在ですよね。実はもう20年以上前になりますが、サラリーマン時代に一度だけ祇園のお茶屋さんでお座敷遊びをしたことがあります。
もちろん自力でいけるはずはなく、まぁ、俗にいう会社間の接待ですね。
お座敷には芸妓さんと舞妓さんの2人と三味線を弾く年配の女性、料理屋から料理やお酒が運ばれてきます。
歓談したり、踊りを鑑賞したり、拳と言われる体を使ったじゃんけん遊びをしたり、扇子飛ばしをしたりと。
当時はこんなことに全く興味なく、なにがおもしろいのかわかりませんでした。
一般的には「一見さんお断り」ですが、今では気軽にお座敷遊び体験ができるお茶屋さんもあり、男女問わず外国人観光客も訪れています。
もっとも料金は「お気軽」ではないようですが・・・
話変わってお茶と言えば宇治ですが、6月に京阪宇治駅近くにある「お茶と宇治のまち交流館 茶づな」というところに行ってきました。
お茶にまつわる資料館になっていて、体験プログラムもいくつか用意されています。
この中から今回は聞き茶を体験してきました。お茶の種類や産地を飲み比べて当てる、というゲームです。
体験室


聞き茶の歴史は古く、室町時代には賭け事として盛り上がっていました。
正式名称はちゃかぶき(茶歌舞伎あるいは茶香服と書く)と言うそうです。
ここらへんはインストラクターの方が歴史を説明してくれました。
体験では碾茶(てんちゃ、抹茶になる前の茶葉)、煎茶、玉露の3種類を当てるというものでした。
最初に3種類が分かるように表示され同時に出てくる、これらを試飲して味の差を憶えておく。それが終わったら、次は1種類づつ名前が伏せられて出てきて、種類を当てる(用紙に書く)、という手順です。
最初に3種類の試飲、味を憶える
見た目はみな同じ

簡単に識別できるだろうと高を括っていたのですが、これが難しかった。
実は、3種類とも同じ湯温90度で淹れてあるので渋みや苦みが3種とも一様に出てしまって違いがわかりにくい。
お茶は高温で淹れるほど、カテキンやカフェインが多く抽出され渋み、苦みが強くなるのです。
インストラクター曰く「それぞれの茶葉の適温で淹れると味の特徴が出て簡単すぎるので、わざと同じ条件で淹れている」とのこと。
これは正式な茶歌舞伎でもそうらしいです。
なんとか3種類とも当てることができました。3つとも正解は参加者6人中2人だけだったのでマァマァかなと自画自賛。
ちなみに日本五大銘茶と言われるのは、朝宮(滋賀)、宇治(京都)、川根(静岡)、本山(静岡)、狭山(埼玉)です。
案外知られていないのですが、滋賀は銘茶の産地なのです。
3つ目はさらに話変わって、8月にあべのハルカス美術館に広重の浮世絵版画展を観に行ってきました。
葛飾北斎とともに並び称される浮世絵師の歌川広重。東海道五十三次のシリーズ物で大ブレークしました。
滋賀にゆかりの近江八景や名所江戸百景、京都や大阪も描いています。
撮影可の展示物

木曽海道六十九次の1枚

200点以上ある展示品の大半は、ジョルジュ・レスコヴィッチというパリ在住のポーランド人コレクターの所蔵品です。
江戸時代、大量に摺られた浮世絵はいわば娯楽雑誌のような消耗品で、用済み後は廃棄されたり他の用途に再利用されていました。
陶磁器などの輸出品の緩衝材や包装紙に使われたりして、その絵を観たヨーロッパ人がすばらしさに気づいた、と言われています。
お土産に買ったトートバッグ
名所江戸百景の「浅草田甫 酉の町詣で」
夕刻の吉原、妓楼の控え部屋から浅草鷲神社の酉の市に詣でる人々を眺める猫

実は北斎や広重の木版画の浮世絵は、我々でも手に入れることができるのです。
木版画の制作技術を職人さんたちが継承して制作、販売しているアダチ版画研究所という公益財団法人が東京にあるのですが、原画を忠実に再現した復刻版をオンラインでも買うことができます。
あべのハルカス美術館のスーベニアショップでも販売されていましたが、色鮮やか。
今残っている江戸時代に摺られた絵は当然、程度の差はあれど退色してしまっていますが、摺られた当初はこのように色鮮やかだったのだろうな、と思いました。
前期、後期で展示は入れ替えられますが、近江八景が観られる後期も行ってみる予定です。
ばってんT村でした。
あいまいな日本語 ― 2024/07/05
最近、と言っても去年のことですが大いに笑った内容で、今も記憶に残っているものがあります。以下、X(旧Twiter)から原文をそのまま抜粋します。
#イオンシネマ岡崎 にて
2/17(金)~2/22(水)
炊いた肉
レイトショーは最・大・スクリーンをご用意しておりますよ!!
2/17、2/20-2/22【20:35】
2/18-19【20:10】
お待ちしております!
【お詫びと訂正】
こちらのツイートにて
映画「タイタニック」の事を「炊いた肉」と誤変換してしまいました。
お詫びして訂正いたします。当館では炊いたお肉はご用意しておりません。
タイタニックを上映しております。
以上、原文抜粋
発信する前に確認すれば気づきそうなものですが、誰もがやりがちなパソコン上の誤変換です。もちろん笑いを取るための故意ではないでしょうが、日本語はけっこう言葉遊びができる言語ではないかと思います。
ダジャレなどが最たる例で、格言やことわざをもじったもので最近面白かったのが
「行列を見たら並ぼうと思え」、
元の格言は容易に想像がつきますよね。
これはずいぶん昔にさかのぼるのですが、嘉門達夫の替え歌メドレーという歌がありました。歌謡曲やコマーシャルソングのイントロ部分だけを替え歌で次々歌っていくというもので今でもYouTubeで見られます。
たくさんある中でインパクトが強く、憶えているのが
「キャ~ラメルひろたら(拾たら)箱だけ~」
北島三郎のヒット曲「函館の女」のイントロ部分「は~るばる来たぜ 函館へ~」の替え歌なのですが、元歌を知っていないと笑えませんね。
何々とかけて何々と説く。その心は、という「謎かけ」になると聞く方もちょっと想像力が必要になってきます。
謎かけは書かれたものを読む機会より、落語やお笑い番組などで聴くことの方が多いので、頭の中で同音異義の単語を連想しなければなりません。
謎かけの名人である某お笑いタレントが落語で聴いて最も印象的だったと言うのが以下です。耳で聴いたままを書くとこうなります。
「ちょうかん とかけて おぼうさん ととく。そのこころは けさ きて きょう よみます」
漢字まじりで書くと
「朝刊とかけてお坊さんととく。その心は、今朝来て(袈裟着て)今日(経)読みます」
こんなの創る人、天才的だと感心します。
さて、お笑いならよいのですが、時に日本語のあいまいさは誤解を招いたりします。
こんな本が発刊されたのを知って読んでみました。





以前読んだ同じ著者(川添愛、言語学が専門の方)の「言語学バーリ・トゥード」というタイトルの本がおもしろかったのです。
松任谷由実の「恋人がサンタクロース」を引き合いに「は/が」の違いの解説を興味深く読みました。(2022年の3月のブログで紹介しています)
この「世にもあいまいなことばの秘密」では、漢字かな混じりの使い方、単語の区切り、句点の有無、漢字の読みの多様性などを題材に多くの文例を用いて解説されています。
いくつか抜粋すると
・変換ミスしそうな「おしょくじけん」 汚職事件とお食事券
・人気(にんき、ひとけ)がない 意味が全く違ってきます。
・助動詞「れる、られる」
部長が部下をのせて駐車スペースを見つけながら運転していたところ、部下から「部長、あそこに止められますか?」と言った。
すると部長は「私の運転技術を疑うのか?」と返された。
部下は尊敬の意味で言ったのに、部長は「できるのか?」と可能の意味と解釈したための誤解。
上記などは実生活で遭遇しそうな場面です。
・「~ではありませんか?」にどう答える
本書では「二十歳未満ではありませんか?」という例文が出てきます。
口頭であれば、実年齢を言ってわかってもらえますが、文書で「はい、いいえ」の2択になっている場合、大いに迷うと思います。
英語だと否定疑問文だろうが、通常の疑問文と同じ回答をすればよい、と学校で習いました。Aren’t you a teacher?と聞かれて、先生ならYes、違っていたらNo、実にシンプルなのですが。
実際、アンケートや健康診断の問診票で時々、このような否定疑問文を見かけます。
「これまでタバコを吸ったことはないですか?」と聞かれると迷ってしまいます。
混乱させないようできるだけ否定疑問文は使わない方がいいですね。
本書の内容とは外れますが、自分の体験から誤解を招きやすい表現として
・12時制か24時制か
例えば、13時集合を午後3時と勘違いされてしまう。
プライベートだと、両方の表現を目にするので注意して読むしかないですね。
ただ業務では、特に24時間稼働しているような職場だと24時制表現がルールになっているところもあります。
・日付けや曜日の相対的表現
「明日」というような表現のことです。
すぐに読むとは限らないメールで「明日」という書き方をされると、読むのが翌日以降だったら間違う可能性があります。
ましてや「明後日」というような表現は実用文では書かない方が無難でしょう。
これは、日付を書くのが間違いを防ぐ一番の方法です。
それとこれも時々やってしまいますが、日付と曜日を併記して、間違った曜日を書いてしまう。日付が正しい場合がほとんどですが、発信者に再確認しないといけないので手間です。
来週の日曜日という表現も誤解を招きます。週の初めを月曜とするか、日曜とするかで解釈が違ってくるからです。
これら日本語のあいまいさはけっして悪いものではない、日本語特有の美点もあるのだということを著者は最後に述べられています。
さて、もう一冊読んだのが、阿川佐和子さんの「話す力」。
以前「聞く力」という著書を出されましたが、その続編とでも言えるでしょうか(前書きに、二匹目のドジョウではないですが、と書かれている)

この中に「一人で入った飲食店で何を喋る」という章が阿川さんの実体験と共に書かれています。
若いころは1人で外食するのが苦手だった、そこでお店の中で目についたもの、メニューや料理について聞いたりしはじめたとのこと。
私もけっこう一人で飲食店へ入ることがあります。今はスマホをいじっていれば一人でも手持無沙汰にはなりませんが、それでは味気ない。
せっかくなので、邪魔しない範囲でお店の人と話したりします。
お昼はピーク時を外して行けばお店の人もちょっと余裕が出てきて相手をしてくれます。
料理の材料が分からないとき「赤いこれ、何ですか?」と聞くと「それビーツなんですよ」と返ってきて会話のきっかけになったり、壁に飾ってあるサインは誰なのか聞いたら「実は近所の出身なんですよ」と返ってきたり、と。
描かれている数々のエピソードが面白い一冊です。
最後に、つい最近、印象に残ったのがネット記事で見た「英国にお帰りなさい」という言葉。
これは天皇、皇后が6月の英国訪問時、チャールズ国王夫妻主催の晩さん会で国王が日本語で発したスピーチです。
「お帰りなさい」と語頭に「お」を付けると迎える時、送る時どちらでも使えますが意味は正反対、「英国にお帰りなさい」だけを単独で読むと一瞬どちらかわかりません。
前後の文脈、内容を読めばもちろんこの場合は歓迎の意味だとわかるのですが、こんなことからも日本語のあいまいさというか多様性が見られる実例でした。
ちなみに、いつも読んでいる某新聞には
チャールズ国王は「英国に『お帰りなさい』」とスピーチを切り出し・・・
とこの部分が『』付きで書かれていました。
多分このあいまいさが分かっていて、できるだけわかりやすいよう記者が『』を付けたのかな、と思わせるものでした。
ばってんT村でした。
イタリアはおいしい ― 2024/05/27
ご存じ(かな?)、大ヒットしたコミック「テルマエ・ロマエ」(古代ローマ時代の浴場設計技師が現代日本にタイムスリップし日本の風呂文化に接する姿を描いたマンガ)
の作者であるヤマザキマリさん。
肩書は漫画家、随筆家、画家となっていますが、イタリア人と結婚され今はイタリア在住です。これまでにエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカを経て現在はイタリアと日本を拠点を置かれています。
ヤマザキマリさんの最新のエッセイ本が出たので読んでみました。5年ほど前に「パスタぎらい」という食に関するエッセイを出されましたが、この「貧乏ピッツァ」も同じく世界各国の食に関するエッセイで興味を引く内容、たいへんおもしろい。

まず冒頭で、フィレンツェでの貧乏留学生時代に死ぬほど食べたパスタやピザを今はもう食べたいとはあまり思わない、トラウマでしょうかと書いています。
本書の「素晴らしき日本の食文化」という章の、エピソードを一つ、二つ紹介します。
イタリアの夫の実家で「日本の食事をしてみたい」という姑のために素麺をゆでた時の話。
日本料理のスキルもなく、とりあえず日本から持ってきた素麺を使った。
茹でている素麺を見て姑が「日本にもカペッリーニがあるのね」と言った。
カペッリーニとは細いパスタのこと。髪の毛を意味する「capelli(カペッリ)」が名前の由来。
ゆでた素麺をザルに入れて水で冷やすと、再び姑が「だめよ、パスタを水で洗ったりしちゃ!」
と。
できた素麺をテーブル上に盛り、「見てください、素麺はこうやって食べるんですよ」と
箸ですくった麺をつゆにつけてズズズと啜り上げて見せた。
それを見た家族全員、予想通り表情が固まった。
「そんな食べ方はできない」と姑ら家族はフォークに巻き付けた素麺をつゆにつけて食べるのであった。
食べるや「味がしない。茹でるときに塩を入れ忘れているよ」と指摘される。
そこで日本の料理方法や素材そのものを味わう、というような説明をした。すると舅が
「さすが。日本では味覚にも禅のスピリットを稼働させているわけだ」と深く感心するのです。
しかし、素麺は不評で「日本の麺には味がない」と結論づけられてしまった。
という内容。
もう一つは
二十年ほど前、イタリアの親戚と友人で構成される十一人のオバちゃんグループを引率して日本旅行をしたとき、彼女たちが一番興奮したのは、いわば食の博覧会場であるかのようなデパ地下の食品売り場だった。
帰国後もデパ地下の思い出話で盛り上がり、名所巡りよりまたデパ地下へ行ってみたい、と好評だったのだ。
もちろん、イタリア料理の話も出てきます。
本書内のこのイラストは生ハムメロンですが、イタリアはメロンの消費量が世界の十指に入るほど多いらしい。

それもデザートではなく、ハムなどの加工肉といっしょに食材として食べるのです。
カットしたメロンの上に生ハムをのせた生ハムメロンは前菜として食されます。
日本ではメロンは高級デザートというイメージで普段食べるものではありませんが、イタリアではスーパーで一玉3ユーロ程度で売ってあるとのこと。
過去に出張やプライベートで何度かイタリアへ行ったことがありますが、私もこのメロンの甘さと生ハムのしょっぱさの混じった味わいが大好きで、よく注文していました。
フィレンツェのレストランにて。生ハムがメロンを覆いつくしている

この生ハムメロン以外に私個人で思い出に残っているイタリアでの食体験がいくつかあります。
初めてイタリアへ行ったのは30年ほど前、仕事の出張で単独行でした。
現地で予約してもらったミラノ郊外の小さな街に宿泊しましたが、ホテルは家族で経営している小さな宿で朝食、夕食がついていたのです。
夕食時になると、ホテルの主人が部屋をノックしてきます。
ドアを開けると、「マンジャーレ」(食べるの意味)と言って右手指先を口に持っていく仕草で食事ができたことを知らせに来るのです。
メニューみたいなものはなく、おまかせのその日の料理が出てくるというスタイルでした。
料理の内容はもう忘れましたが、この時、食べ物を口にもっていくジェスチャーは万国共通なんだな、と思いました。
このホテルから仕事先の工場へ通ったのですが、お昼は工場内のカフェテリアで食べました。複数の飲み物が置いてある中にワインの小瓶があり、ワインを取っている人もいます。
「ワイン飲んでもいいんですか?」と同行の人に聞くと「仕事にさしつかえなければOKさ」という返事でした。
なんとおおらかな、と当時思ったものです。
イタリアにはbar(バール)という軽食も取れるコーヒーショップがいたるところにあります。
バールはイタリア人の食習慣に根付いたカフェ文化と言えるもので、このためスターバックスのような外国のコーヒーチェーン店が進出する余地はこれまでありませんでした。
(その後、2018年にやっとイタリアへ初上陸したらしいですが)
私も旅行中、バールへはよく立ち寄りました。もっぱらカウンターでエスプレッソを立ち飲みというパターン。
エスプレッソ1杯がだいたい1ユーロ(100円ちょっと)ほどでしたが、同じ店で飲む場所によって料金が違うのです。カウンター立ち飲みが一番安く、次に店内のテーブル席、店の外のテラス席の順で高くなっていきます。
ベネチアのサンマルコ広場にはフローリアンというヨーロッパ最古のカフェがあります。
ガイドブックに必ず載っているくらい超有名で私も一度行ってみました。
サンマルコ広場

フローリアンでは数名で構成されるオーケストラが店先で生演奏をしているのです。
それをBGMに屋外席で広場を眺めながらコーヒーを飲む、という至福のひとときが味わえます。
タダではない生演奏

しかし、お勘定の時に現実に引き戻されることになります。
レシートを見て知るのですが、コーヒー代金の他に音楽チャージ代なるものが請求されていたのです。BGMはタダではなかった…
日本円で合計2,000円近くしたと思いますが、いい思い出です。
ベネチアと並んで名だたる観光地のフィレンツェですが、観光地ゆえレストラン、特に夜は高いのでできるだけ切り詰めました。
ホテルのフロントで「近くに安いレストランはないですか?」と臆面もなく聞くと「レオナルドと言う、セルフサービスのカフェテリアがあるよ」と言って場所を教えてくれたのです。
行ってみると、店の入り口に数か国語で書かれたメニューが貼ってあります。もちろん日本語もありました。
店内で食べたいものをトレイに取って会計しテーブルに着きます。パスタがちょうど茹であがったところだったのでこれを選択。
写真で合計11ユーロ、当時のレートで1,200円くらいでしょうか。
ブルスケッタ、サラダ、パスタ、ミネラルウォーター

ナポリと言えば、ナポリピッツァが有名ですよね。
地図を頼りに超有名なピッツェリアへ行ってみたら、行った時期が夏のバカンスシーズンだったためか休暇中。
ガックリしながらも開いている他のレストランでピザを注文したのですが、それでも十分おいしかったです。
日本に目を向けると、最近は日本のピザのレベルも高く、イタリアと比べても遜色ないと思うのです。前述したヤマザキマリさんのイタリア人夫も来日すると、「日本のピザはおいしい」と言って足しげくピッツェリアへ行く、と書いてあったので間違いないでしょう。
2024年3月の一か月で訪日外国人数は300万人だったとのこと。日本の食文化の体験を目当てに来る観光客も多く、食べる楽しみは万国共通であることを感じます。
逆に、円安と合わせ、諸外国の物価高騰で日本からの海外旅行は高嶺の花となってしまいました。昔が懐かしい~。
ばってんT村でした。
心の友 ― 2024/02/23
2月3日のオリーブ新年会は盛り上がりましたね。
各国の紹介の中で、インドネシアチームは歌を歌われましたがこれが日本語でした。
今回はこれをブログネタに。
あの曲は五輪真弓の「心の友」という1980年ごろの歌なのです。
1983年、日本での五輪真弓のコンサートでこの曲を聞いて感銘を受けたインドネシアのラジオ関係者が、アルバム(レコードの時代)を持ち帰りインドネシアのラジオで流しました。
これが大ヒット、インドネシア中に普及し、第二の国歌といわれるほどになったのです。
その後インドネシア語歌詞もできましたが、日本語で普及しているので世代を超えて多くの人が日本語で歌えるそうです。インドネシアは親日国でもあります。
サビの部分はこのような歌詞です。
愛はいつもララバイ
旅に疲れた時
ただ心の友と
私を呼んで
以下、wipipediaから引用
評判を受けた1986年、五輪がジャカルタでコンサートを開催し、1987年には日本での知名度は低いままだったが、第38回NHK紅白歌合戦で歌唱している。
2004年スマトラ沖地震の被災者たちが口ずさみ、心の支えになったと言われる。
2005年には、スマトラ沖地震チャリティ・シングルとして、五輪とDELON(インドネシア語版) がデュエットし日本で発売された。
2014年、駐日インドネシア共和国大使館公邸にて開かれたTV番組「Kokoro No Tomo POP!」の記者発表会で五輪とCHEMISTRY川畑要がデュエットで披露した。同発表会には安倍昭恵総理大臣夫人が来賓として出席した。
2015年には、ジャカルタで行われた第7回ジャカルタ日本祭り閉幕式で、五輪とロックバンドJ-Rocks(インドネシア語版)と学生による日本語ミュージカル劇団「en塾」の共演で披露された。
2023年6月、天皇・皇后の即位後初となる国際親善訪問としてインドネシアに国賓訪問した際、6月19日の午後にボゴール宮殿で開かれたジョコ大統領夫妻主催の昼食会において、インドネシア伝統の弦楽器ササンドゥによる演奏が披露された。
以上引用でした。
YouTubeで検索すれば、聞くことができます。口ずさみやすいメロディーで、いい歌詞です。
五輪真弓と言えば「恋人よ」がよく知られていますが、抜群の歌唱力ですよね。
話変わって、新年会の最後に日本チームをはじめ皆で歌った坂本九の「上を向いて歩こう」ですが、時代はさらにさかのぼり1961年の曲です。
これは日本だけでなくアメリカで「SUKIYAKI」という曲名で大ヒットし、当時ビルボードヒットチャートで一位を取りました。
他人が発表した曲を歌ったり演奏することをカバーと言いますが、「SUKIYAKI」は世界中でカバーされたもっとも有名な日本の曲となりました。
契約に来日したレコード会社の社長は原題の「上を向いて歩こう」の意味が分からず、またそのままだとタイトルが長すぎるということもあり、会食した時に出たすき焼きが印象に残ったたため、それを曲名にしたと言われています。
まあ、ネーミングが安易すぎると思いますが、フジヤマと合わせ、おかげでスキヤキは昔からよく知られる日本語となりました。
英語歌詞を調べてみると、こんな内容です。オリジナルとは違い、失恋か別れの歌になっていますね。
It's all because of you
I'm feeling sad and blue
You went away
Now my life is just a rainy day and I love you so
How much you'll never know
You've gone away and left me lonely
カバーといえば、韓国の歌だと1983年頃、チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」がヒットし、日本でも日本語版で大ヒットしました。
韓国語のオリジナル歌詞は港で兄弟を待つ話なのですが、日本語歌詞では帰ってこない男を待つ女性の心情を描いたものに替えられています。
日本語はこんな歌い出しです。
椿咲く 春なのに
あなたは 帰らない
…
今でこそK-POPや韓流ドラマなどで韓国も身近になりましたが、多分1988年のソウルオリンピック前後の1980年代が小さい波ながらも最初の韓国ブームだったのではないかと思います。
NHKのテレビ、ラジオの語学講座で「ハングル講座」という名称で初めて韓国語が登場したのが1984年でした。
個人的なことですが、仕事で韓国出張が多くなったこの頃、テキストを買ってちょっとだけ独学で韓国語をかじりました。
勉強ついでに「釜山港へ帰れ」やいくつか韓国の曲を発音が合ってるかなど無視して丸暗記で韓国語で覚えたこともありました。
ハングル文字を憶えて役立ったのは、現地でバスや電車などの地名や駅名、店の看板、食堂のメニューなどが読めたこと、韓国の人とカラオケに行ったときに画面上の歌詞が読めたことです(意味はほぼ分からず、歌詞を読むのも遅いので曲についていけないことが多かったですが)
残念ながら会話の方はあまり上達しませんでした。
というのも、1980年代の韓国はオリンピックを契機にした高度成長期で日本をお手本にしていました。
そのため日本語学習が盛んで出張先の会社でも始業前や就業後に従業員が日本語を熱心に勉強しているところが多かったのです。
日本語の習得が昇格の条件になっているところもありました。
従って、出張先の仕事ではほぼ日本語で事足りていて不自由することはありませんでした。お昼休みも、勉強している日本語を試そうという若い社員がやってきて日本語でよく話しかけられました。
今は日本のアニメや文化がインバウンドや日本語ブームをけん引している状況ですが、どのような動機にせよ日本語に興味を持ってもらうのはいいことだな、と思います。
ばってんT村でした。
お寺の掲示板2 ― 2024/01/29
滋賀県は寺社が多く、実は京都よりも総数は多いのです。門前に掲げられた掲示板を見る機会も多いことと思います。
3年ほど前のブログで紹介した「お寺の掲示板」という本、続編がでていたのを知って借りてきました。ついでに前回のものも借りてきて再読。

2018年から「お寺の掲示板大賞」という企画を、僧侶であるこの書籍の著者が始められたのです。
ネット上のSNSを布教に活用できないかと考えられたのがきっかけとのことです。
いくつか掲載されていた写真を挙げます。



もし隣にレジがなければおそらく何も思わずに順番を待ち、普通に買い物をすませたことでしょう。比較することを通して苦しみが発生してしまうのです。自分の振る舞いにできるだけ意識を集中させましょう、と著者は書いています。
車を運転中も、隣の車線が進んでいるとイライラしてしまう。なかなか言われるような心境には達せないですね。
レジに関しては、セルフレジができて待ち時間が短くなったという別の意味でイライラ感が解消しましたが・・・


これら以外にも印象に残ったのは
「人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪」
「あんたが悪いと指さした 下の三本は自分を向いている」
身につまされます。
深いお言葉以外にも、ユーモラスな内容でお寺に親近感をもってもらえるような文言もあります。
「三途の川の渡し賃 値上げ見送ります」
「ひざ・こし痛みの二刀流 頑張るあなたにMVP」
ネットでも「お寺の掲示板大賞」で検索すると毎年の作品が見られますので興味ある方はどうぞ。
ばってんT村でした。
爆笑お言葉集やマンガなど ― 2023/12/12
最近読んだ本を紹介したいと思います。
前回のブログに書いたネットの記事「反実仮想」の出典元が下記の本です。
図書館にリクエストして購入してもらい、一通り読んでみました。

学生を対象に書かれた内容ですが、社会人でもなるほど、と再認識するような章もあります。例えば
・基本的にすべての意見は「否定」である
肯定したいだけなのであれば、その意見を口にする必要がないからです。
とある。
私もAmazonなどで家電品などを購入する際、選択に迷った時はいい点ではなく、★1つとか2つに書かれた批判的意見を参照にします。
「実際、使ってみてこうだった」と言うような不具合点や短所を投稿した内容におそらく嘘はないと思います。
逆に高評価のコメントには応援や売らんがためのサクラが混じっていて当てにならない場合があるのです。
巻末には、問題が付録としてあるのですが、このような問いがありました。書かれたままを抜粋します。
文法の問題
1~7の文ついて、5秒間で一文の主語と動詞を見抜いてください。
この訓練を繰り返すと、読解のスピードが劇的に向上するはずです。
1.私は彼が彼女に恋する瞬間を目撃した。
2.長時間の検証の結果、研究チームはその事件が人為的に起こされたものではないということを突き止めた。
3.昨日二人で道を歩いていたとき、古い友人に出会った彼女は明らかに動揺していた。
4.雨が降ってきても大丈夫なようにと、母は今朝、父に、この前の父の日に私がプレゼントした傘を渡していた。
5.彼女は覚えていないだろうが、記憶力のいい私は子供の頃に彼女と出会ったことを鮮明に覚えている。
6.スマホのカメラを使えば黒板なんて一瞬に撮影できてノートなんて使う必要がないと私が先生に言ったら、怒られた。
7.あの日目撃した翁ともう一度出会うために、多くの人に止められながらも私は物の怪が住むという洞穴に一人で向かうことになったのだった。
回答は
1.私は 目撃した
2.研究チームは 突き止めた
のようになります。
特別に難しい問題ではないですが、長文を読む習慣がなく、もっぱらSNS上の短文のやり取りなどに慣れた人だと回答に時間を要すかもしれませんね。
次に読んだ本は下記、タイトルに引かれて借りてみました。
新聞などで報じられたもののほか、著者が実際に傍聴して聞いた言葉も掲載されています。

裁判官のメッセージが聞ける機会は
「補充質問」「判決理由」「付言・所感・傍論」「説諭」などがあるそうです。
主文と判決理由を読み上げた後に、被告人にあらためてアドバイスなどを言う場合がありますが、主にその内容と背景を書いたものが本書です。
いくつか実例を挙げてみました。タイトルは爆笑お言葉集となっていますが、厳しい指摘や格言めいたものもあります。
・死刑はやむを得ないが、私としては、君にはできるだけ長く生きてもらいたい。
・しっかり起きていなさい。また机のところで頭を打つぞ。
(オウム真理教の元教祖に対して。著者は本書の中で、この最終解脱者はただの居眠りオッサンだと断じている)
・刑務所に入りたいのなら、放火のような重大な犯罪でなくて、窃盗とか他にも・・・
(裁判官が犯罪を指南するのか?と著者は述べている)
・ここはあなたが裁かれる場だ。口では反省しているというが、本当に反省した態度が見られない。次回公判までに反省文を提出しなさい。
・もうやったらあかんで。がんばりや。
(スーパーで万引きを繰り返していた二人のこどもを持つ母親に。大阪地裁)
・恋愛は相手があって成立する。本当に人を愛するなら、自分の気持ちに忠実なだけではダメだ。相手の気持ちも考えなくてはいけない。
(ストーカー規制法違反の罪に問われた被告人に対して)
・吸いたくなったとき、家族を取るか大麻を取るか、よく考えなさい。
裁判官の人間味が垣間見れるお言葉集です。
さて、3冊目はマンガ(文字多いけど)、京都在住のグレゴリ青山さんが京都国立博物館(略して京博)について描かれたものです。

京博は広い敷地内に新旧2館の建物、庭やカフェまであって、けっこう楽しめる博物館、庭にあるロダンの「考える人」は世界に21体あるうちのひとつだそうです。

展示だけではなく、文化財の修理や写真撮影、説明プレートの多言語対応など裏側も描かれていて興味深い内容です。
京博の公式ウェブサイトから

例えば、多言語対応については、日本語ペラペラの英語、韓国語、中国語のネイティブが担当されています。
京博から博物館を紹介するマンガを描いて、と言う依頼に応えて描かれたもので、京博の公式ウェブサイトでもこのマンガ読めますよ。
ばってんT村でした。
言葉どおりではない? ― 2023/11/08
受験、資格を取る、仕事に必要など「ねばならない」の年齢を超えてしまうと、興味のあることだけをやればよいので、気楽に勉強できます。・・・と言うより趣味に近いでしょうか。特に最近はYoutubeなどネット上で興味あることを簡単に検索できるのでいい時代です。
英文法に着目して発信しているおもしろいYoutubeチャンネルがあって、時々そこを観ています。今はどうか知りませんが、昔、学校ではまず教わらなかった内容でおもしろいのです。
例えば、
I sent John a letter.
I sent a letter to John.
どちらも「私はジョンに手紙を送った」ですが、意味の違いは何でしょう?という回がありました。いや、同じだろう、と思っていました。
文法的に言えば上段の文はSVOOで下段はSVOの違いがありますが、結論から言うと、I sent John a letter.は「送った手紙をジョンが受け取った」という意味まで含まれる。一方、I sent a letter to John.は文字通りジョンに手紙を送った、というだけの意味。
言語学的にはSVOOの形では、一つ目の目的語Johnが二つ目の目的語letterを持つところまでを意味する、とのこと。
I bought her flowers と I bought flowers for her の違いも同様で、前者は、彼女が花束を受け取ったところまで含んでいる、後者は単に彼女のために花を買った、というだけ。時間の幅が違う、という解説でした。
こんなことは学校では教わらなかったな~
さらに上記の例文から話が発展して、I sent a letter to John.だとtoで、I bought flowers for her だとtoではなくforになる理由は?という問いもありました。
send,pay,give,tell,showなど「誰に」という相手が必ず想定される動詞の場合は to。 buy,make,cock,getなどは相手がいない(自分のため)という場合もある、これらの動詞では相手がいれば前置詞はfor。「誰々のために」という意味合いになる。
という解説でした。
このように表に現れない言い方はもちろん日本語にもあって、なるほどと思ったのはネット上で見た「国語ができない社会人」というタイトルで中学・高校の教諭の方が書かれた記事でした。
社会に出て困らないように学生の頃から国語の基礎は勉強しましょう、と言う主旨で書かれたようです。
例文)明日、みんなでピクニックに行くことになっています。メンバーの一人が、「晴れたらいいのになぁ」と言いました。さて、このメンバーは何が言いたいのでしょうか?
言葉通り、言っているそのままじゃないか、と思いますが、なぜ「晴れたらいいなぁ」ではなく間に「のに」が挟まれているのでしょう。
という問いでした。
ピクニックに行くのだから天気予報を確認するでしょう。「晴れたらいいのになぁ」と言う状況は、翌日の降水確率が相当高いのではないでしょうか?
「晴れてほしいけど、おそらく雨が降るだろうな」という裏側のニュアンスがある。
「晴れたらいいなぁ」の方は言葉通りです。曇っているよりできれば晴れた方が気持ちいいよね、くらいの感じでしょうか。
この「のに」を含んだ文章、国語や古文で習う、「反実仮想」と呼ばれるものです。
今の現実とは違うことを想像している時に使うもので、「現実と反する、仮の想像」という意味で、「反実仮想」と言います。
と解説してありました。
ミスの多い部下に対して業を煮やした上司が「もう、明日から会社に来なくていい!」と言ったら、解雇が簡単なアメリカなら言葉通り「君はクビだ」の意味になるでしょう。
でも日本だと猛省を促す叱責ですよね(最近だと、翌日からほんとうに会社に来なくなる若者がいたり、パワハラで訴えられたりするらしいですが)
話を戻して、同じような表現で意味が違う、ということですぐ思い浮かんだのが、似て非なる
「彼はいい人だ」と「彼は人がいい」の2つの表現です。
「君は人がいいね」と言われる状況ではまず良い意味ではないですよね。
前述のYoutubeの中で、講師はこうも言っています。
文法を勉強することも必要ですが、前置詞のような細かい部分の間違いを気にして会話をためらうのはもったいない。間違いを気にせず話しましょう、意味は通じるんだから、と。
インプット(読む、聴く)も大事ですが、アウトプット(話す)がやはり外国語に慣れる、向上させるには重要だなと感じました。
ばってんT村でした。
リーディングスキルテスト ― 2023/10/11
4~5年前に書かれた本ですが、たいへんおもしろい内容でした。著者は本来、数学者で人口知能(AI)の研究に携わっていらっしゃいます。

著者は某AIの開発プロジェクトディレクターで、AIの性能を測定するためのベンチマーク(比較のために用いる基準や指標)として思いついたのが日本語の短文問題でした。
具体的にはリーディングスキルテスト(RST)という方法を考えられました。これは難解な文章ではなく、教科書や新聞に見られる一般的な文章を読んで理解度を測るというものです。
日本人への大規模な調査の結果、わかったのは中高生の多くは教科書に書かれた文章を正確に理解できていない、という驚愕の実態でした。
これは中高生だけの問題ではなく、そのまま成長した大学生、社会人にも言えることらしいのです。
仕様書や安全マニュアルが読めない、ビジネス文書が書けない、個人情報保護法などを勉強させても最終テストにパスできない、などと言う企業も増えているそうです。
これまで小学6年生から一流企業のホワイトカラーまでのべ18万人がこのRSTを受検したとのことです。従って結果の信ぴょう性は非常に高いということですね。
リーディングスキルテスト(RST)には
係り受け: 文の基本構造を把握する力
照応解決: 代名詞などが指す内容を認識する力
同義文判定: 2つの文の意味が同じかどうかを判定する力
推論: 基本的知識と常識から、論理的に判断する力
イメージ同定: 文と非言語情報(図表など)を正しく対応づける力
具体例同定: 定義を読んでそれと合致する具体例を認識する力
の6種類があります。
著書の中にたくさん例題が載っていましたのでいくつか紹介したいと思います。
係り受けの問題
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから一つ選びなさい。
Alexandraの愛称は( )である。 ①Alex ②Alexander ➂男性 ④女性
正解は①Alexですが、中学生の正答率38%、高校生は65%の結果でした。ちなみにAIに問うと、正答を選びました。
同義文判定の問題
幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
上の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。
1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。
当然、正解は「異なる」ですが、中学生の正答率57%、高校生の正答率71%だったとのことです。
著者はこれらの正答率に愕然としたそうです。
著書には懸念内容がデータや推論と共に詳細に書かれているのですが、一言で言うと、「文章の理解能力によってその後の人生が左右される、将来AIに仕事を奪われる」ということらしい。
ではいくつか実際にやってみましょう。回答は最下段に書いています。
・難レベル(と書いてあった)係り受け問題
Q1.アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから一つ選びなさい。
セルロースは( )と形が違う。
①デンプン ②アミラーゼ ➂グルコース ④酵素
受検した人数は書かれていませんでしたが、日本人大学院生は全員不正解、唯一正解したのは中国からの留学生だったといいます。
某新聞社の論説委員、経産省の官僚まで間違えたそうです。
・超難レベルの係り受け問題
Q2.江戸時代の天皇と朝廷は、幕府に完全に統制され、財政的にも幕府に支えられていた。幕府は朝廷に3万石を与え、その中から皇族や公家は家格に応じた禄高を得ていた。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから一つ選びなさい。
公家は( )から家格に応じた禄高を得ていた。
①天皇 ②幕府 ➂皇族 ④朝廷
照応解決の問題
Q3.宇宙から飛来するいん石が高速で衝突すると、月面だけでなく、ときには地球上にも、巨大なくぼんだ地形ができる。いん石でなくても、運動している物体がほかの物体に当たって、その物体を変形させたり、運動の状態を変えたりすることは、身のまわりでよく見られることである。
この文章において、「その物体」とは何を指すか、最も適当なものを1つ選びなさい。
①地球 ②いん石 ➂運動している物体 ④ほかの物体
Q4.穀類・いも類・砂糖の主な成分は炭水化物である。穀類・いも類には炭水化物のうちでんぷんが多く、砂糖はそのほとんどがしょ糖である。
この文章において、「そのほとんど」とは何のほとんどを指すか、最も適当なものを1つ選びなさい。
①穀類・いも類 ②炭水化物 ➂でんぷん ④たんぱく質
いかがでしょうか? けっこう難しいですよね、じっくり読まないと間違えそうです。
具体例同定には、以下のような問題もありました。レベルは難~超難です。私は間違えました。
Q5.比喩の方法で、「ように」「ような」などのことばを使ってたとえる表現の方法を直喩といい、「ように」「ような」などのことばを使わないで、たとえるものとたとえられるものをじかに結び付けて表現する方法を暗喩という。
「直喩」がもちいられている例を選択肢の中からすべて選びなさい。
①君のように暗い人は芸能界には不向きだね。
②いつも明るい母は我が家の太陽だ。
➂5年前の夏を昨日のように思い出す。
④いつものように部屋を真っ暗にして眠った。
Q6.動物の音声や物体の音響を言語音によって表した語を擬音語、事物の状態や身ぶりなどの感じをいかにもそれらしく音声にたとえて表した語を擬態語という。擬音語には「ワンワン」「ガサゴソ」などがあり、擬態語には「わくわく」「ポカン」などがある。
「擬態語」がもちいられている例を選択肢の中からすべて選びなさい。
①彼女はいつもテキパキと仕事をこなす。
②母親が亡くなったあと、彼はしばらくぼんやり時を過ごした。
➂熊よけの鈴がコロコロ鳴った。
④彼がやってきたのは、じとじとした梅雨の夕方のことだった。
ちなみに、 AIは文章の意味を理解して回答しているのではありません。人間が膨大な文章をAIに読み込ませることでデータを蓄積して、統計と確率を基に選択しています。
例えばGoogle翻訳で英訳
「先週、山口と広島に行ってきました」は Last week I went to Yamaguchi and Hiroshima.
「先週、田中と広島に行ってきました」は Last week, I went to Hiroshima with Tanaka. と出ます。
一応、都道府県名と人名は判別しているようですが、山口さんといっしょに行ったのであれば、「先週、山口さんと広島に行ってきました」とか「先週、山口といっしょに広島に行ってきました」と書いてあげないと正しく翻訳してくれません。
AIが原文を理解していれば、2つの訳文を出してくるか「山口は県名か名前のどちらですか?」と問い返してくるでしょうね。
最後に、これはRSTの問題ではないですが、本書「AIに負けない子どもを育てる」に書かれていた中に
「誰もが、誰かをねたんでいる」を受身形にするとどうなりますか?という問いがありました。
答えは受動態文はない、というものです。
「誰もが、誰かからねたまれている」とか「誰かは、誰もからねたまれている」という文を思いつきましたが、確かに同じ意味にはなりません。
「誰もが」はすべての人の意味ですが、「誰か」はすべての人とは限らないところがポイントです。
書かれていた詳細説明は長くなるので省略します。興味のある方は本書で。
回答
Q1、①デンプン
Q2、④朝廷
Q3,④ほかの物体
Q4,②炭水化物
Q5,➂5年前の夏を昨日のように思い出す。
Q6,①②④ 「ぼんやり」は擬態語だったのか・・・
ばってんT村でした。
海外旅行は高嶺の花? ― 2023/09/12
コロナ禍後の観光旅行が復活し、日本も外国人観光客であふれかえっている状況がニュースでたびたび報道されています。
特に最近は円安で、外国からの観光客にとっては「安い日本」も追い風になっているようです。
一方、日本人から見るとこの円安と物価高から海外旅行をためらうような昨今ではないでしょうか?海外旅行が昭和時代のような高嶺の花となったような感があります。
バカンスシーズンは終わりましたが、8月にこんなイタリア国内の観光地に関する記事を読みました。
「物価高による航空機、宿泊施設、パッケージ旅行の値上がりが、イタリア人の休暇の習慣を変えさせた」というものでした。
観光地での値上げがこれまでの2~3倍になっているとのことです。
細かい事例がいくつか載っていて
・コモ湖を訪れたカップルはサンドイッチを半分にカットする代金として2ユーロ(約300円)を支払った
・サルディニアのホテルで、コーヒー2杯、ミネラルウォーターボトル2本に60ユーロ(約9,500円)を支払った
・ポルトフィーノ近郊のレストランでは取り皿1枚に2ユーロ取られた
・ビーチでサンベッド(あの寝そべるやつ)2台とパラソル1本をレンタルすると平日50ユーロ、週末100ユーロ(約15,000円)した。
イタリア人の多くは国内旅行をあきらめ、アルバニアやモンテネグロなど物価の安い近隣国へ出かけている、と書かれていました。
国内は無理だから外国へ、というのも地続きのヨーロッパだからできることなのでしょう。
話変わって私事になりますが、実は2012年と2013年に個人旅行でイタリア各地を回ったことがあります。やっぱりイタリアって見どころが多いのです。
10年ひと昔と言いますが、当時と比べどのくらい値上げされたか、円安の影響があるかをちょっと調べてみました。
まずユーロ:円のレートですが、2012年、関空で両替した時1ユーロ=100円でした。当時、ユーロは現地より関空で換金した方がレートがよいという話はほんとうでした。
2023年9月現在、ネットで見るとユーロ160円ほどです。お~ とんでもない円安だ。
1ユーロ100円の時代があった・・・

いくつか例をあげますと
ローマ1日乗車券(ローマ市内のバス、地下鉄が一日乗り放題)
2012年 6ユーロ(600円) ⇒ 2023年 7ユーロ(1,120円)
コロッセオ入場券
2012年 12ユーロ(1,200円)⇒ 2023年 18ユーロ(2,880円)
ローマ市内一日乗車券とコロッセオの入場半券

コロッセオの内部、なぜかブルースリーを連想する

ヴァチカン美術館入場料
2012年 15ユーロ(1,500円) ⇒ 2023年 17ユーロ(2,720円)
カンパニア州(ナポリがある州)3日券 バス、トラムが3日乗り放題
2012年 20ユーロ(2,000円) ⇒ 2023年 変わらず20ユーロ(3,200円)
ヴァポレット乗車券(ヴェネチアの運河を走る乗り合い船)
一回券 2013年 7ユーロ(700円) ⇒ 2023年 9.5ユーロ(1,520円)
24時間券 2013年 20ユーロ(2,000円)⇒ 2023年 25ユーロ(4,000円)
乗り場で初めて料金を見た時はびっくりしました。1回乗って700円・・・と思いましたが、今だと1,520円、絶句。
ヴェネチア ゴンドラを貸切ると数万円はする

ホテルに関しては当時、節約するため事前にネットで一泊1万円以下のホテルを探しまくりました。
残っていた領収書を見ると
2012年 ナポリで 一泊当たり42ユーロ(4,200円)
2013年 フィレンツェで一泊当たり69ユーロ(6,900円)
のホテルに泊まっていました。今見るとありえない安さ!
世界に名の知れた観光地ヴェネチア市内ではさすがに一泊1万円以下のホテルなどなく、鉄道で一駅離れた街で1万円以下のホテルを見つけて予約しました。
日本で例えると、京都市内のホテルを避けてJR大津駅前のビジネスホテルに泊まるようなものです。
6~7年前でしたか、とある日の夕方、京都から草津に帰る電車の中で外国人女性観光客2人連れと偶然向い合せで相席になったことがありました。これからどこに行くのか聞くと「モリヤマ」と言う返事。
守山になにかあるんですか?とさらに聞くと「京都のホテルの予約がとれなくて、守山にあるホテルにした」とのこと。
人気の美術館は長蛇の列ができます。私がヴァチカン美術館へ朝9時ごろ行ったときはすでに長蛇の行列。
周囲の歩道をぐるりと囲むように行列ができていて入口はまったく見えません。入場まで1時間以上待ちました。
ヴァチカン美術館内、地図の間

真夏の8月だったので、待っている間に具合が悪くなった人も出たのでしょう、救急車が来るほどでした。
最後尾にいた時、「ここが行列の最後ですか?」と尋ねてきたポーランド人女性と、お互いの国の話をしながら待っていたので私の場合、幸い退屈はしませんでしたが。
コロナ禍の影響と、今はオーバーツーリズム対策もあるのでしょう、イタリアに限らず博物館や美術館が軒並み事前予約が推奨、あるいは必須になっています。
海外旅行を予定されている方は、観たい美術館、博物館などがあれば出発前にオンラインで事前予約した方がよいでしょうね。組み込まれているツアーに参加するのが一番かも。
例えば、ミラノの教会内にあるあの有名なダヴィンチの「最後の晩餐」ですが、今は完全予約制になっていて、すぐいっぱいになるそうです。
20年ほど前、出張でミラノに行ったことがあり、せっかく来たからと休日に「最後の晩餐」を観るためこの教会を訪れたことがあります。当時は普通に入れたのですが、今や予約をとることすら難関な所になってしまったようです。
まだ比較的自由でゆとりのある旅行ができたひと昔、ふた昔前に戻れたら、というのは贅沢な悩みなのかもしれません。
ばってんT村でした。
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