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ポンペイ2021/11/09

 10月のことでしたが阿蘇山が噴火したというニュースを見て、改めて日本は世界有数の火山国だということを再認識しました。

 さて、海外に目を向けると日本とよく似た火山国と言えばイタリアです。
近年もイタリアの各地で噴火が発生していますが、歴史上よく知られているのは古代都市ポンペイを埋没させた大噴火です。

 西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火でポンペイは都市ごとそっくり火砕流と火山灰で一夜で埋もれてしまいました。
 当時、ポンペイには20,000人が住んでいたといわれています。

●ポンペイはナポリの郊外にある。両都市の間にヴェスヴィオ火山がそびえている

●ナポリから望むヴェスヴィオ火山(左側に写る2つの山)
噴火前は富士山のような山頂を持つ山だったが、噴火で中央が吹き飛んでなくなり現在のようなふた山の形になった

 ポンペイ遺跡はナポリから電車で30分ほど、駅からは歩いてすぐのところにあります。数年前、私もナポリから電車で行きました。
 朝の車内はポンペイ遺跡目的の観光客でいっぱいでした。

 目的の駅で降りて、遺跡の入り口付近に到着すると一人の初老の男性が英語で話かけてきました。
「私がガイドするので、グループに合流しませんか?人数が集まったら出発します」と勧誘の言葉。

 彼のそばにはすでに数人の観光客が待っていました。さらに追加で2~3人増えたところでガイド料を前払いして出発です。
 歩きながら聞いてみたら、彼は大学の歴史の教授で依頼されてガイドをしている、と言っていました。

 ポンペイ遺跡は広大です。
ガイドに案内してもらう方がどこにどのような建造物があるかなど教えてくれて効率よく廻ることができます。


 この自称大学教授のガイドさんは遺跡に入って早々、道路の隅の細い管を指さして「これは当時の水道管です」などと解説してくれました。
 その時代、すでに現代のような蛇口をひねれば水が出るような水道設備はあったそうです。

 大浴場、売店、神殿、円形劇場などを巡りましたが、単独の遺跡や再現ものと違い、欠損はあるものの通りや建造物が都市ごとそっくり残されているので臨場感があります。
 まさにテルマエ・ロマエの世界だ~、と思ってしまいました。

「テルマエ・ロマエ」とはヤマザキマリ著のマンガです。実写版の映画化までされるほどヒットしました(配役が日本人というのもご愛敬)

 古代ローマ人は日本人同様、たいへん風呂好きの民族でした。
そのローマ帝国の浴場設計技師ルシウスが現代日本にタイムスリップしてしまう。
日本の銭湯など風呂文化から浴場設計のヒントを得て古代ローマに戻り活躍するというストーリー。

●道路は車道と歩道に分かれていてその両側に建物が整然と並ぶ
車道に一段高く飛び石がいくつか並べてあるのは横断歩道、飛び石にしているのは馬車の車輪を通すための隙間を確保するため


●ちゃっかり遺跡の空洞にはレストランや売店が入っている


●円形劇場


●公衆浴場の内部


●残された壁画。火山灰に覆われていたため良好な保存状態だったと言われている


 さらにリアルさを強調するのが死者の石膏です。
火砕流に飲み込まれて一瞬で死亡した住民の遺体が長い年月を経て腐敗、分解され消滅、そこだけが人型になって空洞になってしまっているのです。

●発掘後、その空洞に石膏を流し込んで固めたものがこの人体の正体、ミイラではない


 ポンペイの発掘は今も続けられていて、今年も馬車が発見されたなどニュースになっていました。
 このような遺跡を巡るのもおもしろいものです。
ばってんT村でした。

出島とヒロイン2021/10/10

 江戸時代、鎖国政策の下、唯一海外に門戸を開いていた長崎。
ここに江戸幕府が造成した人工の島、1636年に完成した出島で貿易や人々の交流が行われていました。

 出島は明治になり埋め立てられたのですが、その後長崎市が復元します。
 ここを訪れると、ちょっとした江戸時代へのタイムスリップ気分が味わえます。
なかなかよく復元されていると思います。

グリーンに塗られた窓枠の建物にオランダ人が居住した




カピタン(オランダ貿易船の船長)の寝室


食事風景の再現ミニチュア

クリスマス時の祝宴テーブルの再現


蘭学テキストのレプリカ、蘭日辞典かな


 さて話変わって、この長崎を舞台にしたヒロインの物語が2つあります。
一つは実話、一つはフィクションです。

 実話の方はお滝とその娘イネ。
出島に赴任していたドイツ人医師シーボルト(オランダ人と偽って来日)は遊女の楠本滝との間にイネという娘を授かります。
 医療の傍ら日本の動植物や地形など日本研究もしていたシーボルトは、国外持ち出し禁止の日本地図や資料などを持ち出したことがばれて3年後に国外追放になってしまいます。

 その後、成長したイネは医者を志すようになりシーボルトの門下から医学を学び、日本の女医第一号になるのです。

ちなみにシーボルトは草津宿の本陣に宿泊した記録があるそうです。

 話は少し反れますが、現代から江戸末期にタイムスリップした医師の活躍を描いた「JIN-仁-」という漫画がありました。テレビドラマ化もされたのでご存じの方もいるでしょう。

 緒方洪庵や坂本竜馬など幕末の実在の人物も登場します。
仁がタイムスリップした先で知り合った武家の娘、咲が女医を志すようになるきっかけがこのイネとの出会いという設定になっています。

 一方、フィクションの方はイタリアオペラにもなった「蝶々夫人(マダムバタフライ)」
こちらの時代設定は明治。

 長崎に赴任したアメリカ海軍士官ピンカートンは蝶々さんと結婚します(いわゆる現地妻)
しかし結婚生活も束の間、彼はアメリカへ帰国してしまう。
 ひたすら彼の帰りを待つこと3年、ピンカートンはアメリカ人の妻を伴って再来日する。
子供を引き取りに来たことを悟った蝶々さんは悲しみのあまり自害する。
というストーリー 

 このオペラ内のアリア(劇中の肝になる独唱曲)の「ある晴れた日」は有名で聞き覚えのあるメロディだと思います。
 私がこのメロディを聞いたのは子供の頃、地元で長崎ちゃんぽん・皿うどんを作っている「みろくや」という会社のテレビCMの替え歌ででした。
これが有名なオペラのアリアだったことは後から知りました。

 こちらも少し話が反れますが、作曲はイタリアを代表するオペラ作曲家プッチーニ。
もう一つの代表的オペラ「トゥーランドット」の中のアリア「誰も寝てはならぬ」はこれもまたCMなどで聞き覚えのある曲でしょう。
 トリノオリンピックのフィギュアスケートで荒川静香さんが金メダルを獲得した時にも選ばれた曲ですね。
(サビの部分を聞くとイナバウアーを連想してしまう)

コロナで動けなかったですが、久しぶりに年末あたり帰省しようかと考えています。
ばってんT村でした。

LGBT法案2021/08/14

 個人の付き合いの中で、政治と宗教は話題にしないほうがよい、とよく言われます。
見解や考えの相違が差別や対立などを生むからというのが理由です。自分と異なる考えも尊重する、という人ばかりではないですからね。

 最近、興味深い記事がありました。
身近な問題にもなりそうなので考えるよい機会だと思い、紹介したいと思います。

 ニュースにもなったのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、国会でLGBT法案が見送られ物議を醸しました。
 LGBT法案とは「性的志向および性自認を理由とする差別は許されない」と言うものです。

 LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字を取った4文字ですが、日本語では「性的少数者」と表現されています。
 アメリカでは早くからこのLGBT法は法律としてあるのですが、逆差別という問題も生じているのです。

 こんな事例です。
 2012年、コロラド州の菓子職人フィリップス氏がゲイ・カップルからのウエディングケーキの注文を、宗教の信仰上の理由から断ったという内容。その際、既製の焼き菓子や誕生日ケーキなら喜んで売ると述べている。
 自らをケーキアーティストと呼ぶフィリップス氏は、婚約者たちからなれそめや将来の夢を聞いてそれらをイメージに作品としてケーキを仕上げていく。
 彼のホームページにも「どなたにも喜んでケーキを作ります。しかし宗教的信念と相容れない注文には応じられません」と書いているである。

 注文を断られたゲイ・カップルからの訴えを受けたコロラド州の公民権委員会は、これを差別に当たると認定しフィリップ氏にケーキの制作に応じるよう命じた。
 しかしフィリップス氏はこれを拒絶し、ウェディングケーキ事業から撤退し、このため売り上げは40%も減少したという。

 さらにフィリップス氏は、信仰に反して同性婚への祝福を強制するのは憲法違反だとする訴訟を起こす。2018年、連邦最高裁は7対2でフィリップス氏勝訴の判決を下した。
 裁判には勝ったものの、彼は6年間、好きなウェディングケーキ作りができず収入減にも耐えなければならなかったのである。
・・・以上引用要約

 いかにも訴訟社会のアメリカらしいできごとです。
 またアメリカは州ごとに法律が異なりますが、LGBT法に対しLGBT者の権利を制限するような法律を作った州もあるのです。
例えば未成年のトランスジェンダーに性的に必要な医療を施すことを禁じる法律を成立させた州や、自認する性別で学校スポーツに参加することを禁じる州などです。

 アメリカで起きたことは遅かれ早かれ日本でも起きるのが常です。もし法案が成立したならば、似たような問題が生じることは予想されます。

 私見交えず事実のみ書きましたがデリケートで難しい課題ですね。
以上、今回はちょっとまじめな話題、ばってんT村でした。

滋賀のトリセツ2021/06/26

今回は、滋賀県にまつわる話題を2つ紹介したいと思います。

 滋賀県外の人との雑談時、ネタとして私がよく出すのは「琵琶湖の面積は滋賀県の何%を占めていると思いますか?」という質問です。
 「1/3くらい」「半分くらい」とか「ほとんど琵琶湖だろう」とか、だいたい大きめな答えが返ってきます。
 実は16%だと言うと、「たったそれだけ?」と意外に思われます。

 つまり琵琶湖の占める割合は滋賀県の1/6しかないのです。
 これを面白く例えた人がいて、雪印6Pチーズ(丸い箱に6等分した扇状のチーズが入っている)の箱を滋賀県に例えて、この中に1個だけチーズを入れるとそれが琵琶湖の占めるサイズ、というもの。
 視覚的にわかりやすいですね。

 またよく使われる冗談に、京都に対し「琵琶湖の水止めたろか」
でもこれをやってしまうと困るのは滋賀県。水を止めたら琵琶湖周辺はあふれた水で没してしまいます。
 また、京都からは毎年2億円ほどの感謝金をもらっているのですから実際は不可能ということですね。

 このような話題を含めた5月に発刊されたばかりの「滋賀のトリセツ」という本を購入してみました。

 これは都道府県別に地形、歴史、交通、産業、文化などの分野を取り上げた企画本で、道路地図でおなじみの昭文社という出版社が出しています。
 だからなのか、地図や図形が多用されています。

興味深かったのは
・琵琶湖周辺に「津」がつく地名が多い理由

・明治の一時期、滋賀県は海に面していた


・琵琶湖周辺は近江と呼ばれる一方、遠江と呼ばれた地方があった
・たった5年だが、都があった大津宮
・仏教は滋賀から拡がった

・意外な滋賀の都道府県別日本一
 *男性の平均寿命1位(ちなみに女性は4位)
 *人口10万人当たりの寺院数1位
 (単純に絶対数だと、愛知、大阪、兵庫、滋賀、京都、・・・で4位)
 *マキノ町は全国初のカタカナ地名
 
 戦国時代は主戦場となり、街道が行きかい宿場町が賑わった交通の要所、日本三大商人発祥の一つでもあり、非常に魅力的な県だと思います。







 さて、もう一つは「極主夫道」というマンガです。
ヤクザ稼業から足を洗って専業主夫になった主人公の日常を描いたもので、けっこうおもしろい。


 昨年テレビドラマにもなり、今年はアニメ化されNetflixで世界配信もされています。

 実は作者のおおのこうすけさんは草津市出身。マンガの日常風景のあちこちに草津の街並みが出てきます。
 マンガの中で場所を特定しているわけではないので、草津在住者以外の人にはわからないのではないでしょうか。

 近所でもあり、いくつか実物と比較してみました。連載開始が2018年ですからちょっと風景は変わったところもあるようです。
 これらの描写を見ると、作者は現在も草津在住ではないか、と推測します。

これは草津駅前の近鉄ですね




この三角屋根は草津駅に違いないでしょう




Aスクエア内のアヤハDIOの入口に間違いない




草津駅東口の平和堂、今はもう商店街アーケードの屋根はなくなっている



HOPカードを忘れた時のお約束ね


ダイソー草津上笠店、近くに住んでいないとここまで酷似して描けないと思う



そのうち、キラリエも出てくるかもしれませんね。
ばってんT村でした。

発酵食文化2021/05/12

 日本は発酵食品が多い国ではないでしょうか。それも珍味や嗜好品だけでなく、味噌、醤油、漬物、納豆など日常食になっている点が特徴だと思います。

 あまりなじみがないと思いますが、魚を発酵させて作ったものとして魚醤があります。日本にはハタハタなどが原料のしょっつる、ベトナムにはヌクマム、タイにはナンプラーがあり、どちらもイワシが原料です。
 中国、フィリピン、ラオスにも似たような魚醤があるそうです。

 このように魚醤はアジア特有の発酵食品と思っていたのですが、実はイタリアにもあるのです。これは意外でした。
 ヌクマムやナンプラーと同じくイワシを使っていて、コラトゥーラ・ディ・アリーチ(Colatura di alici)と言います。
alitiはイワシの意味のイタリア語です。
 どんなんかな~と興味があり、アマゾンで試しに一番小さな瓶詰めを購入。

  コラトゥーラ・ディ・アリーチ、イタリアだと魚醤の瓶までデザインするのか

 コルクの栓を開けると地中海の潮の香りが・・・(するわけないか)
 ヌクマムやナンプラーと同じ魚醤特有の匂いと味。若干酸味も感じられましたが、イワシの種類や発酵時間などによるものかも知れません(推測)

 イタリアではどうやって食べているのかとネットで調べてみると、やはりというかパスタソースに使っていました。レシピを見るとオリーブオイル2:コラトゥーラ1の割合で混ぜ、香り付けにちょっとニンニクを入れるだけのシンプルなもの。
 
 さっそく作って食べてみました。オリーブオイルの風味にコラトゥーラの塩味が効いています。
 コラトゥーラを生産しているイアリア南部特有のパスタメニューで、イタリア全土どこにでもあるポピュラーなものではないようです。だから知られていないのでしょう。

ちなみにコラトゥーラの代わりに味がほぼ同じヌクマムかナンプラーで十分代用できそうです。東南アジア系のほうが安くつくし。

 さて、インドネシアには大豆を発酵させたテンペがあるので魚醤の類もあるのではと思い、インドネシアの生徒2人に聞いてみましたが、ないそうです。
 でも発酵させた小エビを唐辛子に混ぜた「サンバル」というピリカラ香辛料があります。

 石山のインドネシア料理店リンドゥバリで料理に付いて出されて、それがおいしかったので、後日瓶詰めを買いました。手作りで唐辛子は滋賀県産を使っているそうです。

 単純に辛いだけでなく、発酵させたエビが入っているせいか、うま味みたいなものが感じられます。サラダに付けたり、野菜のディップソースに使ったりしました。

 まったく話は変わってチョコレート。これも意外ですが、実は発酵食品の一種です。
 チョコレートの原料になっているカカオ豆は生の状態から発酵させて使われているのです。
 このことはカカオの収穫からチョコレートの完成品になるまでの過程を描いたドキュメンタリービデオで知りました。

  カカオ豆って、さやに入った豆のごとく、殻を割ると中に豆がゴロゴロ入っているものと想像していたのですが、そうではなく、白い果肉があってその中の種がカカオ豆なのです。

 カカオを割ると白い果肉が。その中にカカオ豆

 カカオは果物の一種だそうで、そう言われれば果実があってその中に種があるのは自然ですね。う~ん、知らなかった。

 白い果肉を大量に集めて適切な湿度、温度の下に置くと微生物(ある種の菌)が果肉を侵食しカカオの豆だけになります。その後、さらにカカオ豆を発酵させて熟成させるのです。
 ここでカカオの品質が決まるとのこと。

 カカオの収穫からチョコレートができるまで、ほとんどが手作業なのですから高級チョコレートの価格が高いのも納得がいきます。
 
 興味のある方は、アマゾンプライムビデオで「The Taste of Nature  世界一おいしいチョコレートができるまで」を検索、観てみてください。
 これを見た後、チョコレートを噛みしめると南米やアフリカのカカオ産地に思いが飛ぶことでしょう。

 このように食を通じて、他国の食文化を知ったり親しみを感じるのもいいものだなと思います。ばってんT村でした。

インド今昔2021/04/05

 これまでインドには7~8回行ったことがあるのですが、すべて仕事の出張でした。 
仕事とは言え、空いた時間や休日を利用して観光もしましたが、印象に残る国です。 
今でも記憶に残っている出来事を書いてみました。 

・両替でジャブ 
 最初にインドに行ったのはもう30年ほど前のこと、一人の出張でした。到着したニューデリーの空港でさっそくジャブを浴びます。 

 両替窓口で円と引き換えに出された大量のインドルピー札を、私は職員の目の前で1枚1枚数えて金額を確認していました。 
 この当時、1ルピーが5円程度だったと思います。例えば数万円を両替すると、ルピー紙幣が分厚い札束で渡されます。 

 あと少しで数え終わるぞという頃、職員が札束をもう一かたまりそっと出してきました。最初から一定額を抜いていたのです。 
 素知らぬ顔をしていましたが、ばれたかという表情でした。 

 一番最近インドへ行ったのは2018年ですが、すでに両替えに紙幣カウンターが使われていました。もう今はごまかしようがありません。 

 さてその2年前の2016年、1,000ルピーと500ルピーの高額紙幣が使えなくなったということを日本のニュースで知りました。突然だったのでインドは大混乱になったそうです。 
目的は偽札や不正蓄財などの現金を使えなくすることでした。 
 
 それまでのインド出張で残ったルピー札は再両替せず次の出張で使おうと保持していた私はえっ!と思いました。大した額ではないけれど旧札は紙屑になったのか…と。 

で、2018年に行ったとき、ダメもとで残していた旧紙幣を両替窓口で出して「新札に交換できない?」と聞きましたが、やっぱりだめでした。 

      もう使えなくなったガンジーさん 


・インドの夜明け 
 インド国内の移動に寝台列車を利用したこともありました。列車内で一夜明け、「インドの夜明けだ」と朝焼けを車窓からボ~ッとながめていたら、遠くに見える草原のあちらこちらで間隔をあけてしゃがみこみ、瞑想でもしているのかと思わせる人々が目に入りました。 
 しばらくして、あ~、朝のトイレタイムか、と気づいた次第。 
 
・駅の赤帽 
 大きな駅だと列車が到着するホームに赤帽が待機しています(チップをもらって荷物を運ぶポーター)  
 停車するなり数人の赤帽がドッと乗り込んできて、荷物を持っている乗客に寄っていきます。大きなスーツケースを押して降車しようとしている私にも、赤帽が3人ほど寄ってきました。 

 こちらの都合におかまいなく仲間内で何やら言い争って、争奪戦に勝ったそのうちの一人が勝手にスーツケースを手にして「どこまで行く?」と聞いてきます。 
 勢いに押され、いまさら「自分で運ぶからいい」とも言えない状態となるのです。 

・値切りはほどほどに 
 とある出張の時、ニューデリーで日曜日を過ごすチャンスがありました。一度は見てみたいタージマハル、この時しかないと思い、一日タクシーを貸し切ることにしました。タージマハルがあるアグラまで片道3~4時間かかる距離です。 

 ホテルで前日の土曜日、事前に交渉したのですがさすがに遠いので料金が高かった。そこで値切りたおしました。 

 だいぶ値下げに応じてきたのですが、もう少しと言うと「わかった。でもその金額だとクーラーが付いていない車になるけどいいかい?」という返し。 
 ハッタリかもしれないが、さすがに猛暑の時期のインドでは耐えられないのでほどほどの料金で妥協。 

・インド人も暑い 
 某顧客の工場で仕事したときの事。エアコンのない現場では周囲温度は40℃以上になっていました。 
 いっしょに仕事をしながら見ていると暑くてつらそうな表情。そして数十分ごとに「暑いから休憩しよう」と言ってきます。インド人が必ずしも暑さに強いわけではないことがこの時わかりました。 

 そしてクーラーの効いた部屋で涼んでいると、出てきたのは熱くて甘~いチャイ。どうせなら冷たい飲み物がほしいな、と思った休憩時間でした。 

・VIP待遇 
 ニューデリーで、お土産にカシミアのマフラーかショールでも買っていこうと思い専門店に立ち寄りました。買いたかったのはパシュミナという、越冬するヤギのあご部分の極細毛だけで編んだ高級品。 
 普通のカシミアより高価だけど、それほどでもないだろうと高を括っていました。 

 店内を一通り見てもそれらしきものが見当たりません。そこで店員に「パシュミナはありませんか?」と聞くと、急に丁寧な態度になり「こちらへどうぞ」と奥へ案内されました。 
 案内されたのは別室。テーブルとソファがあり「お座りください」と言われ、紅茶が出てきました。 

 すぐに細長い木箱をいくつか携えた店員が入ってきました。おもむろにその木箱を開け「パシュミナです。どうぞご覧ください」と見せてくれました。 

 一つを手に取り真っ先に値札を見ました。正確な金額は忘れましたが、日本円換算で5万円以上したと思います。   

 とても気軽におみやげとして買える価格じゃないなと思案していると、気に入らなかったと思われたのか、「では、これはいかがですか?」とさらに他の柄のものを薦めてきます。 

 もう正直に言うしかないと思い「こんなに高いとは知らなかった。申しわけないが買えません」と謝って早々に店を出たことがあります。冷や汗ものでした。 

・ボンベイのシーク教徒運ちゃん 
 ボンベイ(現ムンバイ)で宿泊していた出張中の日曜日、市内観光しようと思い立ち、ホテルの前で客待ちしていた1台のタクシーの運転手と交渉し一日貸し切ることにしました。 

 運ちゃんは頭にターバンを巻きひげを蓄えた、日本人が想像するであろう典型的インド人の風貌そのものでした。 
 実際は、ターバンを頭に巻いているのはインド全人口の2%しかいないシーク教徒なのですが、インド人のイメージとして強く定着しています。 
 ちなみにインドのタクシー運転手にはシーク教徒が多いらしいです。 

 やはり地元地理をよく知っています。普通の観光だったら行かないようなところも行きました。 

 「昼食はあなたが日頃行くような食堂に連れて行って」と頼みました。連れて行ってくれたのは、彼がよく通っているという地元の大衆食堂、そこでカレーの定食。皆、器用に指先を使って食べています。 

 彼から食べ方を教わり指ですくって食べてみましたが、ボロボロこぼして難しかったので、あきらめて途中からフォークとスプーンをもらいました。 

 一通り観光地を巡った後、 「ゾロアスター教の墓地も行ってみるかい?」と言われて行った所は市街中心部から少しはなれた小高い丘にありました。 

 ゾロアスアー教の葬送方法は鳥葬です。敷地内は教徒しか入れないのでゲートの外から眺めるだけで中の様子は見えませんでしたが、上空には鳥が多数舞っていました。 

・インドのお弁当 
 インドにもお弁当があります。丸い形のアルミ製でお重になっています。 

 この写真のような形です。 
       (インド映画「めぐり逢わせのお弁当」から)
 

  お弁当を作る食堂もあるのでしょう。あるお客さんのところでお昼にこのお弁当が出てきました。初めて見たので物珍しくもあり、興味深い体験ができました。
 メニュー内容はもう憶えていませんが、おいしかった記憶があります。 

 レストランで誤って生水を飲んでお腹を壊したり、路上の物乞いやお土産売りにしつこくつきまとわれたりしたこともありましたが、ハプニングも含めインドはいい思い出として残っています。  

 もし観光で行くなら、ピンクシティと呼ばれるジャイプール、18禁じゃないかと思われる彫刻に覆われた寺院遺跡群があるカジュラホでしょうか(それにしても、宗教は奥が深い) 
ばってんT村でした。 

グレゴリ本で旅気分2021/03/13

 ブログなのに、今回は手抜きして文章はほぼありませんのであしからずご容赦を。

コロナ禍のため、国内ですら移動がままならない日が続きますね。せめて映像や書物で旅した気分になろうと思います。

 そんな時にピッタリのマンガを紹介しましょう。
グレゴリ青山という京都在住の女性漫画家ですが、旅好きでネタも自身の体験から描かれたものです。

例えば京都もののこの本






山科の商店街通り、商店や民家の軒先に飾ってあるキャラクターの風船、ここを通った時、これ何?

山科なすびをモチーフにした「もてなすくん」という名前とのことをこの本で知りました。

海外を旅された体験談はこのような本に。

ベトナムとか


台湾とか


国内もあちこちに出没されたようです

  独特の描写とエピソードは読んでいて楽しくなります。
  地元のことになってしまいますが、草津の図書館にもグレゴリさんのマンガやエッセイが20冊以上あります。これらを繰り返し借りて読んでいます。

  ペンネームの由来は映画「ローマの休日」の男優グレゴリー・ペックから取った、と書いてありました。オードリーにはしなかったんですね。
ばってんT村でした。

漂流2021/02/02

帰省もできずステイホームとなった今年の正月休みでしたが、事前に図書館から大量の本を借りて読んでいました。

 

その中で「漂流」という小説が非常におもしろかった。

吉村昭 著(故人)、読んだ版は50刷のものですが、実は初版はもう40年ほども前です(著者をご存知の方なら何を今頃と言われるかもしれませんね)



これは史実を基にしたノンフィクション小説です。

 江戸時代、日本国内の物資の輸送には千石船が活用されていましたが、シケに弱く遭難も多かったのです。

 大半の遭難者は漂流中に溺死か餓死するか、どこかの島に流れ着いても餓死や病死するかでした。

運よく外国に流れ着いたり、救助されたりして異国で日本語の教師や通訳になった者もいたという話は以前のブログ「蚕と戦争と日本語」で紹介したとおりです。

 

 「漂流」の主人公は長平(ちょうへい)という青年。長平24歳の天明5年(1785年)、米俵を積んで4人で土佐(高知)の赤岡村から出帆します。ところが途中、嵐のため遭難、十日以上漂流して無人島の鳥島(とりしま)に流れ着きます。

 

鳥島の位置は図の下から2番目。東京から約800Km離れている 

 

 日本沿岸には太平洋に向かって黒潮が流れていて、漂流地点によっては伊豆諸島付近を通過するため運よくこの辺の島々にたどり着く漂流者もいたのです。

 

鳥島は火山島で岩が主体の無人島ですが、アホウドリの産卵地として知られています。このアホウドリとわずかに獲れる魚貝や海藻で長平は生き延びます。

そしてなんと12年後に故郷に生還を果たすのです。それも救出されてではなく、自力で。

 

自力で脱出するには船しか手段はありません。

彼は、数年後に鳥島に漂着した遭難者らと協力して船を造ることを決断したのです。後から来た漂流者が船から大工道具類を持ち出せたことがきっかけとなりました。

 

 でも、材料となる木材は? 釘は? 帆は? 造船場所は? これらにどうやって対処するのか。総勢15名が乗り込む船ですから結構なサイズになります。

実際、船を完成させるまで数年を要しています。この間の描写が読んでいておもしろい。

 

さて、長平のように遭難した後に生還した者は、その間の苦労をねぎらってもらえるのかと思いきや、逆に幕府のきびしい取り調べを受けたそうです。

キリスト教が禁教の江戸時代、異国に救われキリスト教徒になって帰国したのではないかという疑いが晴れるまで拘束されたそうです。

 

当時の詳細な記録が残っていたため、このような小説も描けたものと思います。著者の吉村昭の小説は記録小説とも言われ、記録をつぶさに調べて小説のベースにしています。

ロシア領に漂着して10年後に帰国を果たした「大黒屋光太夫」も吉村昭の小説です。

 

 さて、漂流者で最もよく知られているのは長平と同じ高知県のジョン万次郎ですよね。

江戸も時代は下って天保12年(1841年)、14歳の万次郎は5人で漁船に乗っていて遭難し、同じこの鳥島に漂着します。

彼らは運よく、約半年後にアメリカの捕鯨船に救出されました。

 

 話は脱線しますが、当時アメリカは捕鯨大国でした。灯油やろうそくの原料、機械の潤滑油となる鯨油が目的です。クジラの体内から油を搾取してしまうと後は廃棄していました。

(日本が肉、内臓、皮、歯などほとんどを無駄なく活用していたのとはえらい違い)

 

ジョン万次郎についても過去に何人もの作家が題材として書いていますが、一番詳しく描かれているのは山本一力の「ジョン・マン」でしょう。アメリカそして帰国後の幕末の日本で波乱万丈の一生を送ったジョン万次郎。



なにせ複数巻に分かれていて今も現在進行形で、1年1巻のペースで出版されています。これまでにたぶん7巻まで出ているはずですが、いまだ完結していません。

 

記録の確認やアメリカ現地取材など時間をかけ丁寧にやられているので、このような長期に渡る分冊になっているようです。

 

これ、全巻買っていくと相当な出費になるので、私は図書館でその都度、借りて読んでいました。

が、次の巻が出るころには前巻までのストーリーを忘れていたりするので、一旦読むのを中断。完結後に最初から一気読みしようと思っています。

 ばってんT村でした。 

関の山2020/12/12

日本古来の文化である祭礼の際に繰り出される山車(だし)ですが、曳山、祭屋台、だんじりなどと地方により呼称はさまざまです。

 

京都の祇園祭りの山鉾行事、岐阜の高山祭の屋台行事、滋賀の長浜曳山祭りの行事など33件がユネスコの無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」として登録されています。

 

そこまでの規模でなくても滋賀県内にも大津祭り、日野祭り、高島の大溝祭りなど山車が出るお祭りがいくつもあります。


これは水口にある山車の格納庫


  

特に大津祭りは最寄りで開催され、知人も山車を曳いたりしていたので毎年観に行っていました。

規模ではかなわないものの京都の祇園祭りと違い、秋で快適な季節であること、観光客もそう多くないこと、間近で曳かれる山車が見られるのが魅力です。

 


 

巡行の途中で一斉に休憩があるのもおもしろく、休憩中に差し入れを食べながら一杯やるのも地方のお祭りらしいところです。


ちょっと一服 

 

昨年はその休憩中に曳き手の人と話をする機会がありました。聞くと一日中曳いて歩くので相当疲れるらしいです。確かにお腹も空くし、のども乾くでしょう。


複数の外国人もいて、中学で英語を教えている教師の方々でした。また曳き手は地元の人だけとは限らず、話をした一人は福井県から朝早く来たと言っていました。

 

さて、日野祭りは実際には観たことはないのですが、山車を見る機会はありました。これも昨年ですが、桟敷窓アートというイベントを見に行ってきた時のことです。

 

桟敷窓というのは日野祭りの時だけ開けられる窓です。参道沿いの民家にある独特の造りで、日野祭りの巡行を自宅に桟敷を敷いて居ながらにして観るために板塀に窓を設けてあるのです。日野独特のものらしい。

 

桟敷窓


近くで見ると… 逆に外からも中が丸見えということに


この桟敷窓アートの時、山車が格納庫から出されて公開されていたのです。中に入ることもできる山車もありました。

 


眺めよさそう


 

京都や大津の曳山は催事日までに組み立てる工程があるのですが、そのような舞台裏が見られるのも地元ならではのよさですね。

 

 精一杯やってもここまで、という意味で使われる「関の山」

三重県の宿場町だった関(現在の亀山市)のお祭りでも山車が出るのですが、ここが語源となっているそうです。知らなかった。

 

 

 コロナ禍のせいで、今年は軒並み祭事が中止になってしまいましたが、来年は再開してほしいですね。

ばってんT村でした。

泰緬鉄道2020/10/31

 以前書いたラッピング電車ネタの鉄道つながりでタイのことを書いてみました。

 

タイのバンコクから北西へ130Kmほど行ったところにカンチャナブリという県があります。バンコクから日帰りでも行ける観光コースでアユタヤと並んで人気のスポットです。 


今でこそ観光地になっていますが、ここは第二次大戦中、日本軍がタイからビルマ(ミャンマー)までの鉄道を敷いた拠点になったところです。ビルマ戦線への物資輸送が目的で、泰緬(たいめん)鉄道と当時呼ばれていました。 

 

 連合軍の捕虜やタイ、ビルマ、マレーシアなどの現地人合わせて20万人ほどを動員し400Kmほどの距離を14か月ほどで完成させました。


これを題材にした「戦場にかける橋」という映画でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。 


 「戦場にかける橋」のシンボルとして観光で真っ先に行くのが市内の近郊にあるクウェー川に架かった鉄橋ですが、この橋は戦後に再建したもので、実際の捕虜収容所や映画の舞台になった橋があったのはもっと奥のミャンマー側になります(今は跡地だけで残っていませんが)


 この写真はネットから引用


線路は切り立った断崖ぎりぎりに建設されたり、岩場を切り開いたりして敷設されています。建設機械もろくにない戦時中、相当困難な工事だったとのことです。 

 


さらに奥まで行くと当時敷設された鉄道路線の跡地や枕木、レールなどが所どころに残っています。 




その後、別の年にこのカンチャナブリ市からさらに200Kmほど奥にあるミャンマーと国境を接しているサンクラブリーというところに行きました。

ここにある全長450mほどの世界で二番目に長い木造橋を見に行く、という他愛ない目的です(ちなみに世界一長い木造橋は日本にあります) 


この辺にはミャンマーのモーン族が移り住んでいて、橋はモーン・ブリッジと呼ばれています。橋を渡ると民族衣装の巻きスカートを着用したミャンマー人も見かけます。 


ピンクの僧服を着て托鉢しているのは、ミャンマーの女性修行僧。この日は元旦でした。 


そのサンクラブリーから乗り合いバスに乗って、さらにミャンマーとの国境まで行ってみました。


 シンボルのスリーパゴダ


国境の検問所のすぐ横で偶然見つけたのですが、そこにも泰緬鉄道建設時の線路が一部残っていたのです(展示用に移設されたものかもしれません) 

 

この国境の検問所ではタイ、ミャンマー人以外の外国人は行き来できないらしいのですが、念のため職員に聞いてみたがやはりダメ。

ちょっとした歴史を知って行ってみるのも旅のおもしろいところです。

ばってんT村でした。

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