★オリーブホームページはこちらからどうぞ!

ポリコレ2022/04/10

 最近、やたらと外来語由来の略語が増えているなと感じます。SDGs、LGBT、DXなどよく目にするのではないでしょうか?

 そしてもうひとつ頻出するようになった用語に「ポリコレ」と言う略語があります。Political Correctness(ポリティカル・コレクトネス)の略です。英語ではPCと略されます。

 直訳すると「政治的な正しさ」とちょっと固い表現になりますが、これは「性・民族・宗教などによる差別や偏見、それに基づく社会制度は是正すべきという考え方」です。

 ポリコレに関しては、以下のようなスポーツ界での実例が問題になっています。

 アメリカの大学水泳界で男性から女性に性転換したトランスジェンダーの選手が圧倒的な強さで勝ちを重ねていました。彼(彼女)は2019年からホルモン療法を開始し、2021年に男子から女子チームに移行しました。。

 全米の大学体育協会規約ではテストステロン(男性ホルモン)の値が1年以上一定レベル以下になっていれば女子の競技会に出場できるとなっているそうで、これをクリアしたのです。

 しかしテストステロンの値が下がっても、それまで男性として造られた骨格や筋肉量、肺活量は女性を凌駕しており公平性がないことは明らかなのです。
確かに週刊誌に載っていた写真を見ると容姿は男性そのものでした。

 このような男性→女性のトランスジェンダー選手の躍進現象は自転車競技や陸上競技でも起きています。

 これにクレームをつけようものなら、トランスジェンダーへの差別だ、という批判を浴びることになり、不公平だと声をあげる人はなかなかいません。

 以前、ブログでも紹介しましたが、同性愛者からのケーキ製作注文を宗教上の理由で断ったケーキ職人が性差別だとして注文客に訴えられた実例もあるのです。

 他にも、父母のことをFather、Motherとは言わず、どちらもParentと言う。
同性結婚だと男=父親、女=母親という区別がつかないため、子供にとっては混乱の元になるというのが理由。

Black(黒人)はアフリカンアメリカンと言い換える。
など。

 日本でもすでに流れは来ており、東京ディズニーランド、ディズニーシーではすでにLadies & Gentlemen (レディーズ アンド ジェントルメン)という来訪者へのアナウンスは「ハローエブリワン」にかわっています。

 とにかくクレームが来る前に対策しとこうという過剰な言葉の言い換え、これがますますエスカレートしているのです。言葉狩りですね。

 アメリカでは「これが正しい」となると、極端に突っ走る傾向があると思います。エッと驚くような例も書かれていました。

 クリスマスシーズンに「メリークリスマス」と言ったり書いたりできない流れになっているそうです。かわりに「ハッピーホリデーズ」と言う。
 クリスマスツリーはホリデーツリーという名称に変わり、これだと何の木なのかさっぱり意味が分からないのでは思ってしまいます。

 「メリークリスマス」はキリスト教徒だけの宗教用語であり、イスラム教、ユダヤ教など他の宗教信者にとっては不愉快で排他的だから、というのが理由らしいです。
 ただし、他の宗教信者や団体から具体的にクレームが来たりトラブルが起きたわけではないと言います。過剰な自主規制なのです。

 このように「これはおかしいので正さねば」とか「これは許せない」というような性質は人間誰しもが持っている感情らしいです。

 最近、脳科学者の中野信子さんの著書「人は、なぜ他人を許せないのか」を読みましたが、その中でこれを「正義中毒」と名付けていました。 



 他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。これにはまると簡単には抜け出せません。
と書いてありました。

 特に今はSNSで匿名で簡単に発言できるようになり、全く自分に関係ない芸能人の不倫や不道徳行為をバッシングするなどは典型的な例です。

 まったく別分野ですが、私がこれで思い出したのはIWC(International Whaling Commission:国際捕鯨委員会)からの日本脱退の理由です。脱退は2019年のことでした。

 IWCはクジラ資源の保存と捕鯨業の適正化を目的として設立された国際機関で、加盟国は88か国ほどです。
 当初、クジラ資源保存と捕鯨の両立だったのが、徐々にクジラの保護のみが目的になってしまい、ついに商業捕鯨が禁止されてしまいます。

 この背景には理屈やデータよりも「クジラのような知能が高い動物を殺すのはかわいそうだ」とか「殺し方が残酷だ」とか「そもそもなぜクジラを食べるんだ?」という反捕鯨国の感情が上回ったことが要因です。

 さらにアメリカで、海洋生物の保護のため行動するシーシェパードという環境保護団体がありました。
 実体は環境テロ団体で、イルカやクジラ漁に反対していて捕鯨船への体当たりなど暴力的な手段で捕鯨を妨害するような過激な行動を長年にわたりやってきました。
 このような背景があり日本はIWCを脱退したわけです。

 小学校の給食に鯨肉が出ていてそれを食べていた世代としては、30年ぶりに日本近海で商業捕鯨を再開したのは喜ばしいことなのですが、今や鯨肉は高級和牛並みの高値になってしまいました。
 もっとも今さら鯨肉が食べたい、という需要も少ないでしょうね。

 話が飛んで、前述した著書ですが脳科学的な知見からわかりやすく書かれています。個人的には日本人特有の思考や脳の働きなど
・個人の意志より集団の目的が優先される
・「よそ者」は信用しない日本人
・加齢が脳を保守化させる
・理性は直観に勝てない
・老けない脳をつくるトレーニング
などの章が興味深かった。

 脳を老けさせない方法の一つは「慣れていることとは少し違うことをやってみる」です。
時には違う店に行ってみる、違うメニューを頼んでみるということでいいらしい。旅行なんてうってつけなのですよね。
ばってんT村でした。

第二の大津事件2022/03/26

 世界中から非難を浴びているロシアの一方的なウクライナへの侵攻ですが、日本から見ても遠い国の出来事ではないことを実感します。

 ご存じのように海を隔てていますが日本から見てもロシアは隣国で、実は距離的に一番近い外国なのです(韓国、台湾、中国よりも近い)
その距離わずか43Km、フルマラソンの距離ほどです。

 ロシアがらみで最近、興味深い記事を読みましたので引用して紹介したいと思います。
大津事件に関わることですが、大津事件は日本史の授業でも習ったのでご存じの方も多いと思います。

 1891年(明治24年)、ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ロマノフ(後の皇帝ニコライ2世)が日本を訪問、その滞在中に京都から琵琶湖へ日帰り観光に来ていました。
 人力車に乗って大津付近を通過中、警備を担当していた巡査にいきなりサーベルで斬りつけられた、という事件です。ニコライは頭部に傷を負いましたが命に別状はありませんでした。

 巡査が斬りつけた動機は、皇太子の来日は日本侵略の準備だという噂を信じたという説があります。

 泡を食ったのは日本政府です。その後の顛末は省略しますが、心配していた賠償要求や武力報復はありませんでした。
 このニコライ2世はロシア革命勃発により、ロシア帝国の最後の皇帝となってしまいます。

  旧東海道にある事件現場を示す碑

   碑の横にある説明パネル


ここからが、新聞記事で読んだ内容の要約です。

 時代は下って百年後の1991年。ソビエトが崩壊しロシア連邦となりました。この時、新しいロシア政権は旧王族の遺骨を探し出してあらためて手厚く弔おうという作業を行います。
 ニコライ2世の骨も見つかったのですが、本人のものかどうか見極めがつきません。それを聞いたモスクワ在住のある日本人が、日本の大津市が骨のDNA鑑定に役立つ資料を持っている、ということを示唆しました。

 ニコライが斬りつけらた時、止血につかったハンカチが大津市に保存されている。そのハンカチに残された血を調べて骨のDNAと比較すれば判定できるのではないか、というアドバイスをしたのでした。

 当時、琵琶湖文化館がハンカチを保管していました。日本政府は親善のためにもハンカチの一部提供を要請しますが、大津市は歴史資料が破損する、という理由で要請を断ります。
 資料の保全か、国際貢献か?結局、要求圧力をはねつけられず琵琶湖文化館はハンカチを一部切断して提供することになったのです。
 同館はこれを百年後に繰り返された「第二の大津事件」と呼んだそうです。

 しかし、このハンカチはDNA鑑定に使えませんでした。事件後、このハンカチに幾人ものロシア人が接吻をささげたものらしく、その唾液も混入していてDNA型が読み取れなかったのです。
(以上、産経新聞記事「第二の大津事件」の要約)

 ちなみに現在、大津事件の資料(サーベルやハンカチなど約30点)は大津市歴史博物館に保管されています。
 昨年2021年、事件後130年となることで企画展として展示されたのですが、展示を知らなかったため残念ながら見逃してしまいました。
次にみられるのは10年後かな?

 話に出てきたDNA鑑定ですが、テレビドラマでは毛髪でDNA鑑定をする場面が時々出てきます。しかし抜け毛や切れ毛では鑑定は非常に難しいとのこと。生きた毛根部分が残っていないとダメらしい。
ばってんT村でした。

世界の食あれこれ2022/02/27

 食べたり飲んだりすることは人生の(ちょっと大げさか)、少なくとも日々の楽しみの一つではないでしょうか。
 一人で気ままに「孤独のグルメ」も良し、家族や気の合う知人・友人とワイワイやりながら食べたり飲んだりも良し。

 また旅先ではその地の食を試すのも楽しみです。
思い出としても印象深く残るようで、これまでのブログで紹介したものもありますが、国別にエピソードをいくつか書いてみました。

●フランス
 ずいぶん昔1987年、初めてのフランスだったので今でもよく憶えています。パリで開催される国際展示会に自社製品を出展する準備と撤収、会期中の要員として2人で出張、1か月ほど滞在しました。
 
 パリ到着初日の夜、「エスカルゴを食べに行きましょう」と同行の先輩社員に提案したのです。
「えっ、なんでエスカルゴ?」と言われましたが、未体験の食べ物で日本では気軽に食べられないので、という単純な理由でした。
 適当なレストランに入って他の料理と一緒に注文しました。ガーリックバター味だったような記憶があります。格別おいしいというほどでもなかったのか、滞在中にリピートはなかったです。

 会場設営の仕事中、お昼時の近所のレストランは混むので、私が近くのパン屋に行って二人分のバゲットサンドイッチと飲み物を買い出しに行くのが日課でした。
 かみしめるほどに味わいを感じる本場のバゲット、これはおいしかった。またおやつにクレープを買いにも行きました。

 日本でクレープと言うと、もっぱら子供や女性が最大顧客ですが、欧米では男も堂々とクレープやらジェラートやドーナッツなどスイーツ類を頬張っています。
これは食後にデザートなど食べる食文化の違いだからでしょうか。

 後発で来た会社の役員や営業社員はお客さんのアテンドで高級フレンチレストランにも行ったようですが、我々二人は出張手当以内でおさまるよう大衆食堂で毎夜食べていました。

 ある小さな食堂でデザートにアイスクリームを頼んだ時のこと、オバちゃんが店内にある冷凍ケースの中から市販のアイスクリームを出してきて開封、皿に移しスプーンを添えて出してきました。
 何も客が見ているところで堂々とやらなくてもいいのにと、その簡潔さに笑ってしまいました。

●モロッコ
 エスカルゴといえば、フランスの植民地だったモロッコにもありました。
マラケシュのジャマエルフナ広場というところに出る屋台群の中で見つけて30年ぶりにエスカルゴを食べました。

エスカルゴ屋台
貝殻付きなので楊枝を使って貝殻から身を突いて出して食べる。
これ、韓国や台湾でタニシを食べるのと同じやり方。考えることは同じなんだ、と思った
 


そうそう、今ではファミレスのサイゼリヤのメニューにもエスカルゴがあるのです、最近知りました。

モロッコと言えばタジン
マラケシュで食べた羊肉の串焼きと野菜のタジン、
タジン鍋は一時日本でもブーム?になった



●アメリカ
 欧米のようにチップ制度がある国だと、レストランでの支払いはテーブルで行い、最後にチップを置いて出ていくという流れになります。

 とあるアメリカ出張の時、出張者数人で食事後、レストランを出て駐車場に向かっている途中のことです。
 レストランの店員が小走りで追いかけてきて「忘れていますよ~」と言ってきました。心当たりがないので何を?と聞くと「チップ!」と言われたことがありました。

 サービスが悪かったからチップを置かなかったのではではなく、単純に忘れていました。カード払いにすると現金のやり取りがないので忘れがちです。
 それにしても追いかけてきてまで要求する?と思いました。

 チップが要らない日本は支払い時に気を回す必要がないから楽だ、という外国人旅行者もいます。もらって当たり前というこのチップ制度が煩わしいと感じている欧米人も多いのです。

 またアメリカはご存じのようにとにかくあらゆるもののサイズが大きいですが、実際に見たらビックリです。
 ジュースや清涼飲料水などPETボトル飲料は日本だと最大でも2リットル入りですが、アメリカのスーパーに並んでいるのは1ガロン(約3.8リットル)入りがあり、取っ手まで付いています。
 アイスクリームはバケツ並みのサイズで売られているし、ポテトチップスなどのスナック類の袋もデカい。そのためか、カートもデカい。

●マルタ共和国
 イタリアの近くにある小さな島国ですが、サイズが大きいと言えばこの国もそうでした。二人で出張した時、ホテル近くで目についたイタリアンレストランに入りました。
 イタリア系住民も多くイタリア料理がポピュラーなのです。

        マルタの街並み


 二人で各々好みのパスタや肉料理を選んで注文したところ、我々が日本人と知ったウェイターが「これだと量が多すぎると思いますよ。最初は注文数を減らして、もし足りなかったら追加で頼んだらどうでしょうか?」とアドバイスをくれたのです。

 これが正解でした。大皿に盛られて出てきたパスタはゆうに二人前はありました。肉料理も同様。二人でシェアしてちょうどよい具合でした。
 周りのテーブルを見ると、地元の人たちはこの一皿を一人前として食べているようでした。

 海外主張に出て現地食が続くと日本の味が恋しくなるので、マルタにもおかきやせんべいなどがミックスされて詰め合わせになった小袋をいくつか持っていっていました。
 仕事の休憩時間中、現地の人に「日本の伝統的なお菓子です」といって話題つくりも兼ねてこのおつまみパックをあげたことがありました。

 もらった彼は、初めての醤油味においしいと言ってパリパリ食べていたのですが、途中で口に持っていこうとした手が止まりました。
 それは2cmほどの小魚でした。「魚は嫌い?」と聞くと「これは無理。頭があって目が付いている」

 「こんな小っちゃいのに」と思いましたが、原形のままというのに抵抗があるようです。
原形のままの昆虫を食べてみて、と言われているのと同じような感覚だと想像します。

●タイ
 東北地方にあるウボンラチャタニーというところに行った時のことです。タイの東北部は昆虫食の食習慣があり、揚げたり炒められたりした昆虫を売っている屋台がいくつも出ていました。

         昆虫屋台 姿揚げが多い


 ある屋台の前で物珍しそうに見ていると「どれか食べてみる?」と試食を勧められました。
さすがに足のある原形をとどめる虫は無理、せっかくなのでかっぱえびせん状のもの(これで想像つくと思います)を2つほどもらって食べてみました。
 食感もえびせんみたいにサクサクした歯ごたえで、これだと抵抗なく食べられるかな、という印象でした。

 最近、食料難時代の到来を見越して、肉に代わるたんぱく源として昆虫が見直されています。実際に日本でも食品化が試行され始めていて、近い将来タイだけの話ではなくなってくるかもしれません。

 レストランを星の数で格付けするミシュラン(本業はタイヤメーカー)はご存じの方も多いと思います。本国フランスだけでなく日本にも星付きレストランはいくつもあります。

 で、タイにはミシュランに相当する独自の「どんぶりマーク」があります。
お店の看板に出ているこんなマークです。


 ミシュランとの違いは、一度認証されたら見直しがないのでその後の味に変化はないのか?という心配です。
 そしてレストランだけでなく、屋台や食料品などの商品にも付いていて認証はけっこう大盤振る舞いなのです。

      お菓子やパンにまでどんぶりマーク


●イタリア
 昔、ユーロ導入前のイタリアリラは割安感があったのですが、ユーロになってから円換算でものすごく高くなりました。円安傾向です。 
 出張なら特別意識せずともよいのですが、個人の観光旅行となると身にしみてきます。

 観光地でない街中の普通のレストランでも、お昼だと円換算で最低2,000円、夜だと4~5,000円ほどしました。さすがに毎日だと出費がかさみます。

 フィレンツェでは節約しようと思い、ホテルにチェックインの時、「近くに安いレストランありませんか?」と聞きました。
「近くにレオナルドと言うセルフサービスのレストランがあるよ」と道順を教えてくれました。

 さっそく、夜はそこに行きました。入り口には数か国語で書かれたメニューが貼ってあり、その中に日本語もありました。
 節約したい人向けのレストランやはりあるのです、地元のことは地元の人に聞け、です。

 でもつくり置きのパスタはいやだな、と思っていたら、入った時間帯がよかったのかタイミングよく出来立てがケースに並べられている最中でした。

サラダ、ブルスケッタ、パスタ、ミネラルウォーターでトータル11ユーロ(1,300円くらい)


 ベネチアへ行ったときは、中心部だと宿泊費が高いので、バスで20分ほど(鉄道だと一駅)離れたメストレという街のホテルに宿泊しました。
 京都観光に来て市内のホテルを避け、大津駅前のビジネスホテルに泊まるようなものです。

 これでまずホテル代を節約、次にお昼を節約するのに取った手段は朝食を腹パンパンになるまで食べるというせこくてシンプルな方法。

 ホテル代は朝食込み、それもブッフェだったのでいくらでも食べられます。さすがに持ち帰るというお行儀の悪いことはしませんでしたが。
 これでお昼は売店のパンやサンドイッチなどの軽食で済ませました。

 オリーブでは、各国の生徒さん達に自国の料理を作ってもらって皆で食べるイベントを過去に何回かやりましたが、あれは楽しかったですね。私はこの時、インドネシアのテンペをはじめて知りました。

また、世界の料理を食べてみたいものです。
ばってんT村でした。

海の祭礼2022/02/13

 前回のブログは通訳や翻訳に関する話題でしたが、それに関連するような小説を読みましたので今回はそのトピックを。


 1853年にペリーがアメリカから軍艦を連ねて来航し開港を迫ってきたことは歴史の授業で習いました。
 「来年、ええ返事期待してまっせ」と去っていき、ペリーは翌年再来日します。

 このペリー来航時や前後のできごとを、交渉時に首席通訳を務めた森山栄之助という人物を軸にして書かれたのがこの小説です。実話で、出てくるのは実在の人物です。
 著者がもう一人スポットを当てた人物が、森山に英語を教授したラナルド・マクドナルドというアメリカ人です。

 ペリーが来航する以前からアメリカ船は日本に頻繁に来ていました。それらは捕鯨船です。
 石油が発見されるまで、灯火や機械の潤滑油などには鯨油が使われていました。アメリカやイギリス、フランスなどは盛んに大西洋で捕鯨を行い、そのうち乱獲で鯨が激減したため太平洋に進出してきます。

 捕鯨船は鯨が多く回遊する日本の近海にまで来るようになったのですが、その際に日本に立ち寄って食料、飲料水や薪などの物資の補給を要請してくることがありました。
 鎖国政策をとっていた江戸時代の日本でしたが、外交問題にならないよう物資を与えて早々に出て行ってもらっていたのです。

 さらに捕鯨船の難破で船員が漂流民として日本にたどり着くこともたびたびありました。彼ら漂流民も雑に扱うわけにはいきません。
 まず長崎の出島まで護送し、貿易相手国だったオランダの船に乗せて第三国経由で本国に送還していたのです。

 また中国(清)ではイギリスとの間でアヘン戦争が勃発したのもこの時期、1840~1850年代です。
 イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの強国がアジアに食指を伸ばしていた時期で、江戸幕府も欧米の脅威を感じ始めていました。

以上がこの小説の時代背景となります。

 そうだったのか~と読んで初めて知ったことがあります。
ペリー一行との交渉は当然英語だろうと思い込んでいたのですが、実は(英語―オランダ語―日本語)とオランダ語を介して行われたのです。

 長崎でオランダ相手に交易していた日本にはオランダ語を話す通詞(通訳)が元々いました。
 その中でも森山栄之助はオランダ人より正確できれいなオランダ語を話す、と出島のオランダ人も舌を巻くほどの語学の才能の持ち主でした。

 一方、アメリカは日本がオランダと清とのみ交易していることを知っていたので、オランダ語の通訳、中国語の通訳を各々1名ずつペリーに同行させていたのです。

 実は森山は英語も一応話せたのですが、国の行方を決める重要な会談なので翻訳の正確さを期すためオランダ語でやることになったというのが理由でした。
 ただ、雑談ではペリーらと英語で直接会話していたそうです。

 このペリー来航の5年ほど前に、ラナルド・マクドナルドが北海道(当時、蝦夷)の利尻島に漂流民として流れ着きます。
 彼は以前から日本にあこがれていて、乗っていた捕鯨船が日本近海まで来たときに、漂流民を装って船から離脱したのです。

 森山は長崎に護送されてきたマクドナルドに出会います。熱心にメモを取って日本語を覚えようとするマクドナルドを見て、英語を教授してもらうことにしたのです。
 小説ではここからの経緯が興味深くおもしろいシーンです。

 森山がマクドナルドのメモを見ると、例えば次のような英語と聴き取ったり教えてもらった日本語が対比して書かれていました。

Ears    Memee
Mouth Quich
Water  Meze
Hair     Kamee
Hand   Tae
Head    Adame
Paper  Kame
Pen    Fude
Lantern      Andon
Tea cup     Cha wan
Thank you  Aringodo

 全く未知の外国語で何の参考書もないのですから聞こえたままをメモしたようですね。
PenがFude(筆)やLanternがAndon(行燈)なんてその時代ならではです。

 このメモから、彼が頭をさげて「アリンゴド」と言っていたのは礼を言っていたということに森山は気づきます。
 彼の勤勉さに感心してGoodと言うと、マクドナルドは日本語で何と言うのかを聞いてきました。
「良か」と森山が答えるとマクドナルドは紙に「Youka」と書いたそうです。

 さて、森山は選抜された優秀な通詞数名を率いて座敷牢に入れられたマクドナルドのところへ日参し、牢の格子ごしに英語を学ぶ毎日が始まります。

 授業メニューを考えるのは森山の役目でした。
まず、体のパーツの英語名を覚えることとしました。頭、耳、目と指さしで発音してもらいその発音をまねて覚える。その後は周囲の身近な物に広げていく。

Headはヘートと発音を覚えていたが、マクドナルドの発音はヘッとしか聞こえない。今まで覚えていた発音がまちがっていたことに森山は衝撃を受けます。
 座って、と英語で「セット トウン(Sit down)」と言ってもマクドナルドは首をかしげるし、英語を習いたいという意味で「レルン(Learn)」と言っても通じなかったのです。

 そこで次に行ったのが、英和辞典の発音の訂正でした。この頃には6,000語ほどを収めた英和辞典はすでにあり、それにはカタカナで読みが書かれていました。

 それまでオランダ人から英語を習っていたので、辞典に書かれていたのはオランダ語なまりの発音だったのです。
例えば、体のパーツでは
Hear  ヘール
Neck  ネッキ
Hand  ハント
Finger ヒンゲル
Eye  エイ
Mouth  ムース
Nose   ノース
とカタカナで読みが書かれていました。

 これを見ると、rをはっきり発音するんですね。
それとちょっと調べてみると、オランダ語では語尾のdは無声音のtとなるそうです。なるほど、それでHeadがヘート、Handがハントになるんですか。

中には同じものもあったそうです。
Room   ルーム
Desk    デスク
Belt    ベルト
Book ブック
など。

 次に実用面では、異国船や漂流民の取り調べ時の質問事項を英語で言ってもらいそれを覚えることとしました。
どの国の船か?
船名は?
来航の目的は?
船員は何人か?
 など。

場面シラバスで練習していたのですね。

 オランダ語の文法をマスターしている森山は文法のセンスもあり、マクドナルドも驚くほどの上達ぶりだったとのことです。

 ちなみにオランダ語は語順が英語とは少し違いますが、よく似ていますね。
ネットでとちょっと見てみると、例えば
Ik kan Nederlands niet spreken.「私はオランダ語を話せません。」
 ※ Ik「私」 kan「できる(助動詞:1人称単数現在)」、niet(否定詞)、spreken「話す」

英語、ドイツ語にロシア語っぽい用語も混在しているような多様な言語だな、と思います。

 その後、アメリカとの通商交渉やイギリスとの開港交渉など通訳業務で引っ張りだこになった森山ですが、諸外国や幕府の信頼も得た森山は単なる通詞ではなく、外交官としての役割を担うようになっていくのです。

      帰国後、マクドナルドは回想録も書いています

 ハンバーガーのマクドナルドが日本に進出する遥か昔に、日本で初めてネイティブ英語を教えたマクドナルドが上陸していたとは、まだ自分が知らない歴史があったりしておもしろく読みました。

 ちなみにハンバーガー伝来の地も長崎県。佐世保の米軍基地のアメリカ人からレシピが伝わったと言われています。

ばってんT村でした。

日本人のおなまえ(ついでに食べ物も)2022/01/08

 NHKで「日本人のおなまえ」という番組があります。
 これは日本人の名前や日本各地の地名の由来やエピソードなどを紹介する番組なのですが、けっこうおもしろいのです。
時々、レア名字の特集をやったりしています。

 私、趣味でサイクリングをやっているのですが、昨年11月あるできごとがきっかけで三重県津市から自転車で来た2人組の高校生と知り合ったのです。

 名前を聞くと一人は
「ハナクマと言います」そして自分の鼻を指さして、
「漢字で、顔にあるこの鼻と動物の熊で鼻熊と書きます。実は日本に10人くらいしかいない珍しい名字なんですよ」
と紹介してくれました。

 そして、もう一人の名前を聞いたら「カランバと言います」と自己紹介してくれました。
こっちの方がよっぽど珍しい名前じゃないのと思い「漢字でどう書くの?」と聞きました。

 「漢字はありません。カタカナで書きます。僕、フィリピン人なんです」と返ってきました。
そういうことか。しかし話し方や容姿から日本人にしか見えなかった。

 そして帰宅後、「鼻熊」さんは日本にたった10人ほどなんてホンマかいな、と思ってネットで検索してみると確かにその通りでした。
 三重県津市に集中しているので、たぶん彼の家族、親族のみではなかろうかと推測します。
10/1億2千万の確率の人に出会ったレアな体験でした。

次は人名ではないですが、飲食関係でちょっと気になった名前について。

 ご存じ、カフェラテはエスプレッソコーヒーにミルクを入れた飲み物で、これはcaffe(コーヒー)とlatte(牛乳)というイタリア語を合体させた名称です。
 このカフェラテのラテ(牛乳)の代わりに豆乳を入れたものをソイラテと命名しているのが一般的でよく見かけます。

 でも、soy(ソイ)が大豆のことなので、ソイラテという名前だと豆乳+牛乳の意味になってしまうけどな、と思ったのです。
主役のカフェはどこに行ったのでしょう? 

 もう一つ、ガパオライス。
日本でも知名度が上がってこの料理名もよく見聞きします。お肉とバジルの炒め物をご飯に乗っけたタイ料理のことです。

  これは最近、昼食用に近所のスーパーで買ったガパオライス、日本で食べてもおいしい

  ガパオはタイ語で、バジルの意味です。だからガパオライスと言うと「バジルごはん」になります。名前にお肉の姿はなく、これまた肉はどこに行った?

  さらに発音上も「ガパオ」は正確ではありません。タイ語にGの音はないのでガという発音はないのです。
 タイ語の発音に近い日本語は「カプラォ」、これが「カパオ」とも聞こえます。

 ガパオライスには思い出があり、タイへ行ったときこの料理名がわからず写真付きメニューのある店か指さしで注文できるフードコートで食べていました。
 安くておいしいので、どこでも注文できるよう料理名を憶えようと「これ、名前は何ですか?」と聞いたことがありました。

 記憶力がないので忘れるたびに繰り返し聞いたのですが、その言葉の中に「カパオ」という発音が聞こえたので印象に残ったのです。
 もちろんタイ語の料理名には「ライス」のような英語はなく、豚とか鶏とか肉の名前が付きます。

 ちなみに私がタイ文字を憶えようと思ったのは、メニューの料理名が読めるようになりたいというのが動機でした。
 おいしいお店はもっぱら地元の人が行くようなところで、現地語しかメニューがないのが普通だからです。

    これが読めたら食の世界が広がる(ってオーバーな)、
    ローカル食堂の入口にあるメニュー

 せっかくなのでガパオライスが出てきたついでに、タイ文字の構成を一部紹介しましょう。

 タイ文字は日本語のローマ字表記やハングル文字のように(子音+母音)の組み合わせになります。
ガパオ(タイ語に近い発音でカプラォ)はタイ語でこう書きます。
กะเพรา

 まず、どこが文字の切れ目かもわからないと思いますが一文字ごとに分けるとこうなります。
กะ と เพรา に分かれます。
กะ は กが k、ะ が a に相当、これで ka と発音。

เพรา  はちょっと複雑で、二重子音が二重母音に挟まれた形になっています。
真ん中二つの พร が二重子音で พ が ph、ร が r に相当し合わせるとphr 。
両端 เ  า の部分が二重母音 aoに相当、
これらを合わせるとphraoとなります。

kaとphraoの二文字をくっつけると、発音は  kaphraoとなります。
p のあとに h が入っていますが、これは発音する時に息を吐きだす、という意味。
タイ文字には息を吐きださないpもあります。これは k も同様で ก は息を吐き出しません。
 タイ語はさらに声調もあり発音は難しい言語だと思います。

  以上、さぞかし知っているように書いていますが、もうほとんど読み方を忘れていて、ちょっと調べました。

  でも、このように自分が外国語を勉強(私の場合は趣味に近いですが)やっていると、日本語を勉強している外国人のたいへんさがよくわかります。
ばってんT村でした。

こんな本読んでいます2021/12/26

 分野にこだわらず面白そうと思った本を読むのが趣味なのですが、ほぼ図書館から借りています。

 最近読んでいるのは、ヤマザキマリさんの「プリニウス」
あの「テルマエ・ロマエ」の作者です。


 プリニウスは紀元1世紀のローマ帝国の博物学者で、自然界を網羅する百科全書「博物誌」を書いた実在だった人。時代はあの暴君の皇帝ネロの頃です。

  ストーリー概要は


     プリニウス

    口述筆記係のエウクレス、彼はギリシア人


     皇帝をあやつる女あり





    2,000年前のローマ人も闊歩していたポンペイの石畳


現在も継続して発刊中です。

 さらに並行して読んでいるのが「きのう何食べた?」 
これもマンガですが、図書館ではなく妻から借りて読んでいる本。
同居している弁護士と美容師のゲイカップルが主人公で、日々の出来事を描いている。


 一話完結ものですが、毎回レシピと共に調理シーンが出てくるのが特徴。料理もストーリーと関連したものになっている。料理の描写がいいです。





 過去にテレビドラマ化されましたが、ストーリーがマンガどおりで俳優をマンガのキャラクターに外観も含め似せているのもおもしろい。

 連載開始は2007年ですが、連載を重ねるのと合わせて登場人物が歳をとっていくのもストーリーの特徴です。

 マンガばかりではなく、こんなものも今読んでいます。



 観光で寺社、教会やモスク、美術館など訪れることがありましたが、対象物の意味を知って観るとより興味がわき、おもしろいのではないかと思い、拾い読みしています。




例えば仏像の部位の名称とその由来や意味


 アフロヘアのような螺髪(らはつ)、これはインド人の縮れ髪やガンダーラ地方のギリシア系住民のウェーブがかかった髪がこのような造形になったそうです。

 アフロが過ぎる京都、光明寺の阿弥陀仏


 例えば宗教画の登場人物は誰なのか


 例えばイスラム教徒のメッカ巡礼の手順

なかなか勉強になります。

 以上、脈絡のない読書形態ですが、知るということはいくつになっても楽しいものです。
ばってんT村でした。では、よいお年を。

懐かしの日本家屋2021/12/18

 木造建築物に懐かしさを感じるのは懐古の情だけではなく、昭和世代で生まれ育った環境でなじみがあるからだと思います。

 故郷の実家は大工だった母方の祖父と叔父が建てたものです。
小さい頃、目の前で徐々に木々の一本一本が組み立てられて家の形になっていく過程を珍し気に眺めていた記憶があります。

 両親の祖父母の家は土間にかまどがあって薪で煮炊きしていた時代、そういえば火鉢もありました。
小学校の校舎も田舎の国鉄(今のJR)の駅舎も木造の時代でした。

 と言うようなことを思い出したのは、前回のブログで話題にした落語の会場が、歴史ある木造建築の屋敷内だったからです。
 滋賀県守山市赤野井町の大庄屋諏訪家(おおじょうやすわけ)屋敷というところで、近くにありながら存在を初めて知りました。

 土間にパイプ椅子を並べ、座敷に高座をつくって会場とされていました。
ここは一般公開されているので屋敷や庭の見学ができます。

日本遺産の看板にあった説明の冒頭をそのまま書くと
「近世に大庄屋として活躍した諏訪家の屋敷。古くから琵琶湖に向かう水路網が発達しており、屋敷内には舟入が残り、水運盛んな往時の姿を今にとどめています。」
諏訪家という名から信州がルーツだったとの説もあります。

 屋根は葦(よし)葺きとスタッフの方が言われていました。琵琶湖を抱える滋賀県らしい。

 琵琶湖から川を伝って舟で茶室下へ。今は水路の跡だけだが、ここに舟が着いていた。

 茶室 大津の円満院から移設された江戸時代のものとされる


 場所は変わって、紅葉シーズンに見学に行ってきたのが京都の下賀茂神社近くにある旧三井家下鴨別邸です。
 豪商で財閥だった三井家の別邸で、期間限定で2階、3階が特別公開されていました。

 元々、明治13年に木屋町に建てられた主屋が移築され、玄関棟はこの敷地内に増設されたものです。
この屋敷が見どころ満載で、まず広くて迷子になりそうでした。

 右側の丸窓がある建屋は茶室、幕末以前から元々この敷地内にあったもの

 屋敷と茶室の間の渡り廊下の天井、木材を反らせている

 庭に面した広間、冬にこんなところで日向ぼっこしながら昼寝したら気持ちよさそう

 金を施した釘隠し


 2階から3階へ上がる階段の入口にある蛇腹の戸。L字に曲がるので開けたときは側面に収納されます。

3階、左に比叡山を望む


 3階は四方に窓があり眺望を妨げる雨戸の戸袋がありありません。雨戸は窓の下からせり上がってくる構造になっていました。

スタッフの方が実演すると、見学者から「オォ~」という感心の声。

庭も併せて、2時間近くもウロウロと見学しました。

 そしてつい最近、観に行ったのが日野にある鎌掛(かいがけ)小学校。
ここは、当時の姿をそのままとどめています。言い換えると、朽ちるがままになっているということです。


 到着して校舎の中に入ると、奥から「寒かったでしょう、職員室に入りませんか?」とスタッフの方が出てこられました。
職員室がスタッフ控室になっていました。

 いろいろお話しを聞くことができたのですが、学校は2001年まで使われていたそうです。
予算がなく、補修などができないとも。

 映画やテレビドラマのロケハン隊もよく来るそうで、パンフレットを見るとここ数年でロケに使われた映画、テレビドラマ、アニメの題名が書かれていました。

 まさしく昔の小学校ってこんなんだったな、と懐かしい思いに浸りながら見て回っていると時間が経つのを忘れていました。

    校長室、その奥に職員室





    教室


 スタッフさんの話も聞きつつ最後に思ったのは、もっと保存に力を入れ、存在をPRしないとそのうち老朽化して解体されてしまう、という心配です。

 我々訪問者ができるのは、入場料や寄付で貢献することでしょうか。見学に入場料は不要だったのですが、募金箱があったので、わずかながらの金額を寄付して校舎を後にしました。

日本家屋ウォッチングも楽しいものです、はってんT村でした。

ポンペイ2021/11/09

 10月のことでしたが阿蘇山が噴火したというニュースを見て、改めて日本は世界有数の火山国だということを再認識しました。

 さて、海外に目を向けると日本とよく似た火山国と言えばイタリアです。
近年もイタリアの各地で噴火が発生していますが、歴史上よく知られているのは古代都市ポンペイを埋没させた大噴火です。

 西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火でポンペイは都市ごとそっくり火砕流と火山灰で一夜で埋もれてしまいました。
 当時、ポンペイには20,000人が住んでいたといわれています。

●ポンペイはナポリの郊外にある。両都市の間にヴェスヴィオ火山がそびえている

●ナポリから望むヴェスヴィオ火山(左側に写る2つの山)
噴火前は富士山のような山頂を持つ山だったが、噴火で中央が吹き飛んでなくなり現在のようなふた山の形になった

 ポンペイ遺跡はナポリから電車で30分ほど、駅からは歩いてすぐのところにあります。数年前、私もナポリから電車で行きました。
 朝の車内はポンペイ遺跡目的の観光客でいっぱいでした。

 目的の駅で降りて、遺跡の入り口付近に到着すると一人の初老の男性が英語で話かけてきました。
「私がガイドするので、グループに合流しませんか?人数が集まったら出発します」と勧誘の言葉。

 彼のそばにはすでに数人の観光客が待っていました。さらに追加で2~3人増えたところでガイド料を前払いして出発です。
 歩きながら聞いてみたら、彼は大学の歴史の教授で依頼されてガイドをしている、と言っていました。

 ポンペイ遺跡は広大です。
ガイドに案内してもらう方がどこにどのような建造物があるかなど教えてくれて効率よく廻ることができます。


 この自称大学教授のガイドさんは遺跡に入って早々、道路の隅の細い管を指さして「これは当時の水道管です」などと解説してくれました。
 その時代、すでに現代のような蛇口をひねれば水が出るような水道設備はあったそうです。

 大浴場、売店、神殿、円形劇場などを巡りましたが、単独の遺跡や再現ものと違い、欠損はあるものの通りや建造物が都市ごとそっくり残されているので臨場感があります。
 まさにテルマエ・ロマエの世界だ~、と思ってしまいました。

「テルマエ・ロマエ」とはヤマザキマリ著のマンガです。実写版の映画化までされるほどヒットしました(配役が日本人というのもご愛敬)

 古代ローマ人は日本人同様、たいへん風呂好きの民族でした。
そのローマ帝国の浴場設計技師ルシウスが現代日本にタイムスリップしてしまう。
日本の銭湯など風呂文化から浴場設計のヒントを得て古代ローマに戻り活躍するというストーリー。

●道路は車道と歩道に分かれていてその両側に建物が整然と並ぶ
車道に一段高く飛び石がいくつか並べてあるのは横断歩道、飛び石にしているのは馬車の車輪を通すための隙間を確保するため


●ちゃっかり遺跡の空洞にはレストランや売店が入っている


●円形劇場


●公衆浴場の内部


●残された壁画。火山灰に覆われていたため良好な保存状態だったと言われている


 さらにリアルさを強調するのが死者の石膏です。
火砕流に飲み込まれて一瞬で死亡した住民の遺体が長い年月を経て腐敗、分解され消滅、そこだけが人型になって空洞になってしまっているのです。

●発掘後、その空洞に石膏を流し込んで固めたものがこの人体の正体、ミイラではない


 ポンペイの発掘は今も続けられていて、今年も馬車が発見されたなどニュースになっていました。
 このような遺跡を巡るのもおもしろいものです。
ばってんT村でした。

出島とヒロイン2021/10/10

 江戸時代、鎖国政策の下、唯一海外に門戸を開いていた長崎。
ここに江戸幕府が造成した人工の島、1636年に完成した出島で貿易や人々の交流が行われていました。

 出島は明治になり埋め立てられたのですが、その後長崎市が復元します。
 ここを訪れると、ちょっとした江戸時代へのタイムスリップ気分が味わえます。
なかなかよく復元されていると思います。

グリーンに塗られた窓枠の建物にオランダ人が居住した




カピタン(オランダ貿易船の船長)の寝室


食事風景の再現ミニチュア

クリスマス時の祝宴テーブルの再現


蘭学テキストのレプリカ、蘭日辞典かな


 さて話変わって、この長崎を舞台にしたヒロインの物語が2つあります。
一つは実話、一つはフィクションです。

 実話の方はお滝とその娘イネ。
出島に赴任していたドイツ人医師シーボルト(オランダ人と偽って来日)は遊女の楠本滝との間にイネという娘を授かります。
 医療の傍ら日本の動植物や地形など日本研究もしていたシーボルトは、国外持ち出し禁止の日本地図や資料などを持ち出したことがばれて3年後に国外追放になってしまいます。

 その後、成長したイネは医者を志すようになりシーボルトの門下から医学を学び、日本の女医第一号になるのです。

ちなみにシーボルトは草津宿の本陣に宿泊した記録があるそうです。

 話は少し反れますが、現代から江戸末期にタイムスリップした医師の活躍を描いた「JIN-仁-」という漫画がありました。テレビドラマ化もされたのでご存じの方もいるでしょう。

 緒方洪庵や坂本竜馬など幕末の実在の人物も登場します。
仁がタイムスリップした先で知り合った武家の娘、咲が女医を志すようになるきっかけがこのイネとの出会いという設定になっています。

 一方、フィクションの方はイタリアオペラにもなった「蝶々夫人(マダムバタフライ)」
こちらの時代設定は明治。

 長崎に赴任したアメリカ海軍士官ピンカートンは蝶々さんと結婚します(いわゆる現地妻)
しかし結婚生活も束の間、彼はアメリカへ帰国してしまう。
 ひたすら彼の帰りを待つこと3年、ピンカートンはアメリカ人の妻を伴って再来日する。
子供を引き取りに来たことを悟った蝶々さんは悲しみのあまり自害する。
というストーリー 

 このオペラ内のアリア(劇中の肝になる独唱曲)の「ある晴れた日」は有名で聞き覚えのあるメロディだと思います。
 私がこのメロディを聞いたのは子供の頃、地元で長崎ちゃんぽん・皿うどんを作っている「みろくや」という会社のテレビCMの替え歌ででした。
これが有名なオペラのアリアだったことは後から知りました。

 こちらも少し話が反れますが、作曲はイタリアを代表するオペラ作曲家プッチーニ。
もう一つの代表的オペラ「トゥーランドット」の中のアリア「誰も寝てはならぬ」はこれもまたCMなどで聞き覚えのある曲でしょう。
 トリノオリンピックのフィギュアスケートで荒川静香さんが金メダルを獲得した時にも選ばれた曲ですね。
(サビの部分を聞くとイナバウアーを連想してしまう)

コロナで動けなかったですが、久しぶりに年末あたり帰省しようかと考えています。
ばってんT村でした。

LGBT法案2021/08/14

 個人の付き合いの中で、政治と宗教は話題にしないほうがよい、とよく言われます。
見解や考えの相違が差別や対立などを生むからというのが理由です。自分と異なる考えも尊重する、という人ばかりではないですからね。

 最近、興味深い記事がありました。
身近な問題にもなりそうなので考えるよい機会だと思い、紹介したいと思います。

 ニュースにもなったのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、国会でLGBT法案が見送られ物議を醸しました。
 LGBT法案とは「性的志向および性自認を理由とする差別は許されない」と言うものです。

 LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字を取った4文字ですが、日本語では「性的少数者」と表現されています。
 アメリカでは早くからこのLGBT法は法律としてあるのですが、逆差別という問題も生じているのです。

 こんな事例です。
 2012年、コロラド州の菓子職人フィリップス氏がゲイ・カップルからのウエディングケーキの注文を、宗教の信仰上の理由から断ったという内容。その際、既製の焼き菓子や誕生日ケーキなら喜んで売ると述べている。
 自らをケーキアーティストと呼ぶフィリップス氏は、婚約者たちからなれそめや将来の夢を聞いてそれらをイメージに作品としてケーキを仕上げていく。
 彼のホームページにも「どなたにも喜んでケーキを作ります。しかし宗教的信念と相容れない注文には応じられません」と書いているである。

 注文を断られたゲイ・カップルからの訴えを受けたコロラド州の公民権委員会は、これを差別に当たると認定しフィリップ氏にケーキの制作に応じるよう命じた。
 しかしフィリップス氏はこれを拒絶し、ウェディングケーキ事業から撤退し、このため売り上げは40%も減少したという。

 さらにフィリップス氏は、信仰に反して同性婚への祝福を強制するのは憲法違反だとする訴訟を起こす。2018年、連邦最高裁は7対2でフィリップス氏勝訴の判決を下した。
 裁判には勝ったものの、彼は6年間、好きなウェディングケーキ作りができず収入減にも耐えなければならなかったのである。
・・・以上引用要約

 いかにも訴訟社会のアメリカらしいできごとです。
 またアメリカは州ごとに法律が異なりますが、LGBT法に対しLGBT者の権利を制限するような法律を作った州もあるのです。
例えば未成年のトランスジェンダーに性的に必要な医療を施すことを禁じる法律を成立させた州や、自認する性別で学校スポーツに参加することを禁じる州などです。

 アメリカで起きたことは遅かれ早かれ日本でも起きるのが常です。もし法案が成立したならば、似たような問題が生じることは予想されます。

 私見交えず事実のみ書きましたがデリケートで難しい課題ですね。
以上、今回はちょっとまじめな話題、ばってんT村でした。

★コメント・トラックバックは内容確認後公開しております
★オリーブホームページはこちらからどうぞ!