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日本語の発音はどう変わってきたか ― 2023/04/11
新刊紹介の記事を見て、さっそく図書館にリクエストして購入してもらいました。
こんな本、 日本語の発音はどう変わってきたか

奈良時代⇒平安⇒鎌倉⇒室町と順を追って発音の移り変わりが述べられています。
引用や抜粋、要約などで一部紹介しましょう。
室町時代のなぞなぞに
母とは二度会ったが父とは一度も会わないものは何?
(答え:くちびる)
室町時代、ハはファと発音されていて「母」はファファと言っていました。
このような冒頭から始まる本書、まず奈良時代を一例にしていくつか発音の違いを挙げていきましょう。
奈良時代にはハ行音はHではなく、Pのような両唇破裂音でした。
つまり母はPAPAと発音されていたことになります。これが平安時代以降、ファ、フィ、フ・・・に変化していきます。
また、サはTsaつまりツァに近い音だったらしいのです。
これだと、「笹の葉」は奈良時代だとツァツァノパと言っていたのでしょうか。
母音のオは現代語に近いオと、オとウの中間のようなオの2通りが使い分けられていました。
本書では前者を甲類(奥舌音)、後者を乙類(中舌音)と書かれています。舌の位置を表しているようです。
甲類は くろ(黒)、さと(里)、はと(鳩) など
乙類は しろ(白)、いろ(色)、とも(友) など
また奈良時代には母音は8つあったことがわかっています。
あいうえおの5音に加え
aの口の形でeを発音する、英語で言うとcatのaですね、うまいの名古屋弁「うみゃー」
uの形でiを発音する音
oの形でiを発音する音
ひらがな、カタカナがなかったこの時代、すべて漢字で文字を書いていました。
中国から漢字を輸入し、読みを当てたので当初漢字は表音文字として機能していました。
本書から引用、万葉集にある歌
敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓伎可勢牟
冒頭は「ふたかみの」と読みます。これは二上山と言う固有名詞です。漢字かな交じり文に直すと
二上の 山に籠(こも)れる ほととぎす 今も泣かぬか きみに聞かせむ
この読みの注釈なくても何とか予想しながら読めそうですよね。
「よろしく」を夜露死苦と当て字で書くようなヤンキー漢字が思い出されます。
さて、平安時代になると、ひらがなができて日本語特有の表音文字が完成することになります。いろはにほへと・・・のいろは歌ができたのもこの時代。
漢字ばかりで書いていた歌も今度は一転してひらがなで書かれることになります。
本書から引用した古今和歌集にある歌
よにふれはうさこそまされみよしのゝいはのかけみちふみならしてむ
ひらがなの連続でさっぱりわかりませ~ん。以下のように解説されていました。
漢字かな交じり文に直すと
世に経れば 憂さこそまされ み吉野の 岩のかけ道 踏みならしてむ
漢字かな交じりの現代文がいかに読みやすいかわかりますね。
当時は句読点も文節の区切りも会話文を示すカッコなどもなく、ひたすらひらがなの羅列だったのです。
解釈は
長く生きていると嫌なことが多くなってくる。いっそ吉野山の険しい岩道を踏んで山に入ってしまいたい。
すでに鎌倉時代の人も平安時代の和歌や文章が理解できない状態になりつつありました。
そこで漢字かな交じり文に直すことに着手したのが「小倉百人一首」を編集した歌人の藤原定家だったのです。
以上、読んでおもしろかった部分を一部紹介しました。
専門的に掘り下げて書いてある章が多いですが、学校の勉強じゃないので、まぁその部分は斜め読みで。
録音機もない時代の発音がなぜわかるのか?という疑問に対する解説などもおもしろいと思います。
これを一読した後は、タイムマシンがあれば、その時代に行ってどんな日本語だったのか聞いてみたいという気持ちになります。
(ちなみに「ん」という音は奈良時代にはなかったらしく、いつごろから「ん」を使うようになったのかなど聞いてみたいですね)
ばってんT村でした。
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