★オリーブホームページはこちらからどうぞ!

第二の大津事件2022/03/26

 世界中から非難を浴びているロシアの一方的なウクライナへの侵攻ですが、日本から見ても遠い国の出来事ではないことを実感します。

 ご存じのように海を隔てていますが日本から見てもロシアは隣国で、実は距離的に一番近い外国なのです(韓国、台湾、中国よりも近い)
その距離わずか43Km、フルマラソンの距離ほどです。

 ロシアがらみで最近、興味深い記事を読みましたので引用して紹介したいと思います。
大津事件に関わることですが、大津事件は日本史の授業でも習ったのでご存じの方も多いと思います。

 1891年(明治24年)、ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ロマノフ(後の皇帝ニコライ2世)が日本を訪問、その滞在中に京都から琵琶湖へ日帰り観光に来ていました。
 人力車に乗って大津付近を通過中、警備を担当していた巡査にいきなりサーベルで斬りつけられた、という事件です。ニコライは頭部に傷を負いましたが命に別状はありませんでした。

 巡査が斬りつけた動機は、皇太子の来日は日本侵略の準備だという噂を信じたという説があります。

 泡を食ったのは日本政府です。その後の顛末は省略しますが、心配していた賠償要求や武力報復はありませんでした。
 このニコライ2世はロシア革命勃発により、ロシア帝国の最後の皇帝となってしまいます。

  旧東海道にある事件現場を示す碑

   碑の横にある説明パネル


ここからが、新聞記事で読んだ内容の要約です。

 時代は下って百年後の1991年。ソビエトが崩壊しロシア連邦となりました。この時、新しいロシア政権は旧王族の遺骨を探し出してあらためて手厚く弔おうという作業を行います。
 ニコライ2世の骨も見つかったのですが、本人のものかどうか見極めがつきません。それを聞いたモスクワ在住のある日本人が、日本の大津市が骨のDNA鑑定に役立つ資料を持っている、ということを示唆しました。

 ニコライが斬りつけらた時、止血につかったハンカチが大津市に保存されている。そのハンカチに残された血を調べて骨のDNAと比較すれば判定できるのではないか、というアドバイスをしたのでした。

 当時、琵琶湖文化館がハンカチを保管していました。日本政府は親善のためにもハンカチの一部提供を要請しますが、大津市は歴史資料が破損する、という理由で要請を断ります。
 資料の保全か、国際貢献か?結局、要求圧力をはねつけられず琵琶湖文化館はハンカチを一部切断して提供することになったのです。
 同館はこれを百年後に繰り返された「第二の大津事件」と呼んだそうです。

 しかし、このハンカチはDNA鑑定に使えませんでした。事件後、このハンカチに幾人ものロシア人が接吻をささげたものらしく、その唾液も混入していてDNA型が読み取れなかったのです。
(以上、産経新聞記事「第二の大津事件」の要約)

 ちなみに現在、大津事件の資料(サーベルやハンカチなど約30点)は大津市歴史博物館に保管されています。
 昨年2021年、事件後130年となることで企画展として展示されたのですが、展示を知らなかったため残念ながら見逃してしまいました。
次にみられるのは10年後かな?

 話に出てきたDNA鑑定ですが、テレビドラマでは毛髪でDNA鑑定をする場面が時々出てきます。しかし抜け毛や切れ毛では鑑定は非常に難しいとのこと。生きた毛根部分が残っていないとダメらしい。
ばってんT村でした。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://olive-shiga.asablo.jp/blog/2022/03/26/9475919/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

★コメント・トラックバックは内容確認後公開しております
★オリーブホームページはこちらからどうぞ!