食べてイスタンブール ― 2020/03/01
前回のイスタンブール観光の続きです。
世界三大料理といえば中華、フランス、トルコと言われています。トルコ料理のことは詳しくはありませんが、現地で食べた料理を紹介します。
まず、ぜひ食べてみたかったのは鯖サンド、トルコの代表的ファストフードとも言えます。200~300円で値段も手頃です。
焼いたサバの切り身とレタス、タマネギなどの野菜をバゲット状のパンに挟んだサンドイッチです。

滞在中、毎日のように通ったのがガラタ橋と言われる有名な橋近くの広場。
ガラタ橋周辺では接岸された船の上でサバを焼いている店があって、岸側から代金と引き換えに鯖サンドを受け取ります。近くの簡易テーブルに置いてあるレモン汁をちょっとかけてかぶりつくとこれがうまい。お昼によく食べました。

なぜか船上で鯖を焼く

魚好きの日本人にも合うので日本でやっても流行ると思うのです(日本だと鯖寿司になってしまうか)
この広場には他にも屋台がさまざま出ていて、その場で果実からしぼってくれるジュース屋さん、ごまパンの店、焼き栗の屋台なども試してみました。
ゴマパン

焼き栗(うーん、これは日本、天津甘栗の方がおいしい)

このようなファストフードのつまみ食いも楽しい広場です。

さて、晩ご飯にはトルコ語でロカンタといわれる大衆食堂に通いました。
ロカンタが軒を連ねる通り

これはキョフテと言って、羊肉を玉ねぎ・パセリ・スパイスとともに練った棒状の小型ハンバーグです。 美味。

ピデ(トルコ版のピザ、イタリアのピザの原型ともいわれている)

そしてヨーグルト、トルコはヨーグルト発祥の国で「ヨーグルト」の語源もトルコ語なのです。当然、消費量も多く、デザートと言うより料理の一部になっています。
飲むヨーグルトでちょっと塩味。何も入れないプレーンや甘いヨーグルトに慣れた日本人だと「なに、これ?」って予想外の味に感じます。

酒類を飲まないイスラム教のトルコですから、食事中の飲み物代わりにもなっているようです。
海沿いですから魚もあります。
魚フライの定食

食後はチャイを注文

あるロカンタに入り注文を頼んで待っている間のこと。店員にガイドブックのその店を紹介しているページを見せて「これを見てここに来たんだ」と言うと、それを見た彼がオッ?と言う顔で「ちょっと見せて」と言って本を取り上げ奥に向かって何かトルコ語で言っています。
直後、数人が本の周りに寄ってきて嬉しそうにワイワイやっています。見ているとだいたい状況がわかりました。
「おい、おまえがガイドブックに載っているぞ」という意味のことを言っています。料理の写真と一緒にこのロカンタの料理人の男性の姿があったのです。
そして「日本にはこんな詳しいガイドブックがあるのか?」と感心していました。あの「○○の歩き方」という黄色い表紙の本です。
お互い片言の英語で会話していてトルコ語も交じっているのですが、なぜか言っていることが不思議とわかります。その場の状況や相手の表情やしぐさが言語を補っているのですね。
飲み物はチャイが一般的ですが、飲んでみたかったのがトルココーヒー。
トルココーヒーは水の中に直接コーヒー粉を入れて煮立てて作ります。従ってカップの底にはコーヒー粉が沈んでいるので、上澄みだけを飲むことになります。
濃い味です

ちょっといいお店だと、器が違うし、お菓子付き

2013年にこの「トルココーヒーの文化と伝統」はユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、これは日本の和食が伝統的食文化として無形文化遺産に登録された同じ年なのです。
食べ物の話はこれくらいにして、さらに観てみたかったものについて。まずはヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡。
アジアとヨーロッパを結ぶ橋

クルーズ船が出ていてこれに乗りました。折り返し地点で接岸し、ツアー客は上陸して小高い丘を徒歩で登ります。
上からの眺めは絶景です。

アジアとヨーロッパを隔てるこの海峡、フェリーや道路橋で行き来できていましたが、2013年からは完成した海底トンネルに鉄道が開通しました。
このトンネルの建設工事には日本の建設会社が2004年から関わってきましたが、このようなところにもトルコと日本の深い関係が垣間見えますね。
次に視点を変えて、中東、北アフリカのアラブ文化圏と言えば一度は観てみたいベリーダンス。
市内にあるHodja Pasha Culture Center(ホジャパシャ文化センター)というところで観ました。ダンス専門の劇場でベリーダンスだけでなく、トルコ各地や周辺国の民族舞踊などバラエティに富んだ内容で見応えがありました。
円形の劇場の周りを観客が囲む

妖艶かつダイナミック

途中、エッ~と驚いたのは男性のベリーダンス。男性の私は特に見たいとも思わないのですが、それなりの人気があるんでしょうか?
もらったプログラムを後でよく見ると、確かに…5番目Male Belly Dancerと書いてあった。
まァ。これも忘れられない思い出ということで。

一部だけの観光地紹介でしたが、イスタンブールは見どころが多い魅力的でエキゾチックな都市だと思います。
ばってんT村でした。
パンデミックと「ロミオとジュリエット」 ― 2020/03/14
コロナウィルスの感染拡大でパンデミック(感染症の世界的流行)が宣言されましたが、過去の歴史上でも人類がパンデミックに襲われたことは何度もありました。
よく知られている最大規模のものはペスト菌によるものでしょう(ネズミなどを宿主としたノミを媒介してヒトに、その後はヒト→ヒトで感染していった)。
古代エジプトのミイラから痕跡が発見されていますから紀元前から存在していたことになります。
もちろん、エジプトの人々は原因も何もわかるわけがありませんが、伝染することはわかっていました。石切り場で大流行した時は、その場を隔離して中の者が全員死亡するのを待った、といいます。
パンデミックの1回目は6世紀の東ローマ帝国から発生しヨーロッパ、近東、アジアへ伝搬していき、3,000万とも5,000万人ともいわれる死者が出たといいます。
次の大流行は11世紀の十字軍遠征、14世紀のモンゴル軍の大移動が引き金といわれています。
特に14世紀の2回目のパンデミックでは全世界で8,000万の人口が失われ、ヨーロッパだけで2,000万から3,000万人が死亡したと推定されています。
この当時、貿易船が行き来するベネチア共和国では、この疫病が東方から来ることに気づき、すぐ乗員を下船させずに潜伏期間の40日間、強制的に船を停泊させる法律をつくったのです。
空港でよく目にする表示「検疫」は英語でquarantineと書かれていますが、これはイタリア語のquarantenaおよびquarantagiorna(40日間の意味)が語源となっています。
横浜港やサンフランシスコ冲でクルーズ船内に乗員乗客を留めおいたのはベネチアのやり方とまったく同じです。医学的な検査方法があったか、なかったかの違い。
歴史は繰り返されるのですね。
その後もペストは何度も流行するのですが、1665年イギリスでのこと。リバプールから80kmほどのところにあるEyam(イーム)という村に悲劇が襲います。ロンドンから届いた布地に付着したノミのペスト菌によって村中に感染が拡がりました。
事態を重く見た2人の牧師の指示の下、村人がやったことは自発的に村を封鎖することでした。「村の外に出て行かず、外からは誰も入れない」としました。
それ以外にも、
死亡者の埋葬は家族だけで行い、その家の敷地内にすること。
集会は教会で行わず、村はずれの広い原っぱでやる。
という3つのルールを作り、それを村人全員が犠牲的精神で守り外部への拡散を防いだのです。
事情を知った近隣の村から食料などが届けられました。村はずれの平原に救援物資を置いて立ち去り、イーム村の住民が取りに行きお金を置いていく、というやり方です。
この封鎖方式も中国でやられていたウィルスの拡散防止方法と同じですね。ここでも歴史は繰り返されています。
3回目のパンデミックは1894年、香港で発生しました。この時は細菌学者の北里柴三郎が香港に渡り、原因であるペスト菌を発見したのです。これにより予防法や治療法の確立されるようになります。
さて、話が変わり唐突ですがシェークスピアの作品に「ロミオとジュリエット」という物語があるのはご存知だと思います。
『舞台は14世紀イタリアのヴェローナ。ロミオとジュリエットの両家は敵対していて相思相愛の二人の仲は引き裂かれ、ジュリエットは他の男と結婚させられることになる。
ジュリエットの相談を受けた修道士は数時間だけ仮死状態になる毒薬をジュリエットが飲み死亡したと見せかけ、ジュリエットが目覚めた後に二人で駆け落ちする案を持ちかけた。
計画どおり、結婚式前夜に薬を飲んだジュリエットは仮死状態になる。葬儀で死亡したジュリエットを見てロミオは悲しみのあまり自殺する。その後、目覚めたジュリエットは自殺したロミオを見て自分も後を追った。』
というのが超簡単なあらすじです。
でも、なぜ死んだふりをする芝居のことをロミオは知らなかったのか?
実はこのことを書いた手紙を修道士の使者がロミオに届けに行っていたのです。しかし、途中の村で病人に出くわし使者はその家に立ち寄ることになります。
直後、病人がペストであることを知った村人たちが感染を防ぐため、病人といっしょにその使者も家に閉じ込めてしまったのです。
このことで伝言がロミオに伝わらなかったのですね。
シェークスピアが「ロミオとジュリエット」を書いた1590年ごろもペストが流行っていた時期で、この伝言が伝わらなかった部分はそこから着想を得たのではないか、といわれています。
何の偶然か、今イタリアではコロナウィルスが蔓延し都市ごと封鎖されるような事態になっています。ここでも繰り返される歴史。
さて記憶に新しいところでは、2002年~2003年ごろにSARS(サーズ)と呼ばれる感染症が流行した時期がありました。
今年のコロナウィルスほどの拡散規模ではありませんでした。医療用に使われるレベルの高性能のマスクを支給してもらい注意して出張もしていましたから。
この時期に上海出張に行った時のことです。上海か関空のどちらの空港かは忘れましたが、到着してゲートに駐機後、「降りずにしばらく座席にいてください」という機内アナウンスが流れました。
しばらくすると頭から全身を白い防護服で覆った人間が数人、機内に入って来て、赤外線式の測定器なのでしょう、それで順番に一人一人の体温を測定していったのです。
この時はドキドキしました。自分に熱はなくとも近くの乗客に発熱者がいればまとめて隔離です。
無事に出られてホッとした記憶があります。
他国ごと、他人ごととは思えない今年のコロナウィルスのパンデミックですが、もう自粛疲れやストレスが出てくる頃ではないでしょうか?
ここまで話題が暗かったので、最後に全く関係ない話に変えて。
日本語教室も長く休講が続き、引きこもり気味のこの頃、このような本でも読んで気分転換されてはいかがでしょう(まあまあおもしろい)。

ばってんT村でした。
日本語が理解できない若者 ― 2020/03/29
日本語が理解できない若者が増えているということを最近よく見聞きします。手書きしなくなったから漢字が書けない、誤変換が多い、というレベルではないらしい。
ネットの投稿記事からの抜粋、要約ですが、中学・高校・大学で若者に接している先生や会社で若い社員といっしょに仕事をしている人たちの体験談が書かれてあり、内容を読むと相当深刻だと思いました。
相手(若者)に理解してもらえなかった事例として
「9時10分前に集合」が通じなかったので8時50分と言い直した。
「この仕事は骨が折れる」を文字通りに受け取られた。
「現状にあぐらをかく」の意味が分からずキョトンとされた。
「読みづらいから改行して」と言ったら、「カイギョウって何ですか?」と言われた。
「お手やわらかにお願いしますよ」と言うと「どうしたら柔らかくなるのですか?」と聞き返された。
ある大学で「often」の意味を調べさせたところ、英和辞典に載っていた「しばしば」「頻繁に」の意味が理解できなかった。
そこで「よく~する、という意味だ」と教えたら「よく」を「良く(good)」と解釈された。
これらの事例を見ても、英語を早い時期から教えようとすることより日本語の理解力を上げることが先にやることだ、ということがよくわかります。
でも、oftenって中学で習う英単語のはずで意味を知らない大学生がいるというのも何だかな・・・、と思いました。
さらに読解力についての調査結果もあります(これは以前一度紹介したかもしれません)
問1
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
オセアニアに広がっているのは、( )である。
- ①ヒンドゥー教
- ②キリスト教
- ③イスラム教
- ④仏教
正解は②ですが、この問題の正答率は中学生が62%、高校生が72%。
しかも、この問題に解答した745人の高校生が通っているのは進学率ほぼ100%の進学校だという。
問2
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
Alexandraの愛称は( )である。
- ①Alex
- ②Alexander
- ③男性
- ④女性
正解は①ですが、正答率は中学生38%、高校生が65%だった。選択肢④を選ぶ誤答が多かったという。
この記事を書いた女性は小学校4年生から中1までアメリカで暮らし、その間日本語の教育を受けていなかったので、学生時代は日本語の語彙力が非常に乏しかった。そして、高校の現代国語のテストで長文問題を何度読んでも理解できなかった、それが非常にショックだったと言っています。
社会人になって職業柄、関連する本を理解できるまで何度も何度も徹底的に読み、論文を読みあさって語彙力を増やしてきた、コラムや本を書けているのはこの経験があったからだとも言っています。
やはり読解力や語彙力を増やすには、活字を読むこと、これに尽きるということですね。でも現代人は老若問わず活字を読まなくなってきていると思います。
語彙力が乏しいのは若者だけとは限りません。私自身の経験です。
ある飲み会の時、アルコールがダメな私は周りに向かって「私、実は下戸なんですよ」と言ったところ、数人から「ゲコってなんですか?」と聞かれたことがあります。そのときは下戸、上戸はもう死語なのか、と思いました。
一方こんなこともありました。
年末休暇で実家に帰る特急電車内のことですが、私の座席の通路を隔てた向こう側に4人連れの家族が乗ってきました。30半ばくらいの夫婦とその子供でしょう、小学生くらいの2人の男の子でした。
しばらくしてこの二人が鞄から取り出したのはスマホでもゲーム機でもなく、本でした。そして静かに読書を始めたのです。
オオ、これは珍しい光景だな、と思って見ていました。多分ご両親も読書好きなのでしょう。時々、本の内容について楽しそうに親子でおしゃべりしているのです。
将来、この子供さん二人は日本語の理解には問題のない青年に育つことでしょう。
さて、話を先ほどの2つの例題に戻して。
実はこの2問を日本語能力試験の読解の練習問題のつもりでやってみてと言って、私が教えている生徒DさんとTさんにやってもらいました。2人ともN3は合格しています。「愛称」の意味を知らなかったのでそれは事前に説明しました。
結果、Dさんは2問とも正解し、Tさんは2問とも間違えました。後で聞くと、正解したDさんの方は文章の意味をしっかり理解していました。
不正解だったTさんに、どこがわからなかったのかを聞くと、1問目の「何々は~に、何々は~に、何々は~に」の連続している文の切れ目がわからない、と言っていました。
「広がっている」という動詞が3つの「~に」のすべてにかかっていることも理解できていないようでした。
問2は、④女性と誤答しました。あとで説明すると、「あ~」と合点がいったように言っていたので、問題文の意味を正確に理解していないようでした。
案外、日本の中高生も同じ理由で間違えているのではないでしょうか。「愛称」の意味がわからない学生もいたかもしれませんね。
おもしろいのは2問とも正解したDさんは紙の辞書(日-インドネシア語辞典)をいつも持ってきていて、授業中、わからない日本語は辞書で調べています。
今やほとんどの人がスマホを辞書替わりに使っているようですが、画面を指先でスライドするよりも、紙の辞書のページを同じ指先でパラパラとめくった方が手間がかかる分、記憶に残りそうな気がします。
…とは言え自分自身も、もうページをめくり単語を探すなど面倒くさいことはやりたくなく、スマホやパソコンの便利さに流されています。
でも、時にはスマホの代わりに本を片手におもしろい小説でも読みましょう。
ばってんT村でした。
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