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日本文化を垣間見る2024/08/17

 年齢を重ねてきたためか、日本の伝統文化に徐々に興味を持つようになってきました。
うってつけに関西は滋賀、京都、奈良と古都があった地、見どころには事欠きません。

最近、3か所行ってきたところを紹介したいと思います。

 今年の5月に祇園花街芸術資料館という施設がオープンし、さっそく観に行ってきました。
花見小路通りにあり、歌舞練場と隣り合わせになっています。
芸妓さん、舞妓さんと花街の文化をわかりやすく紹介している資料館です。

 資料館の入口

 着物や帯、かんざし、扇、化粧道具などが陳列されていて、歌舞練場の舞台や花道も見学コースになっています。


 おこぼの底はくり抜いてあり、中に鈴がつけられている
  
別料金で芸妓さんや舞妓さんの京舞を観ることや記念撮影もできます。

 芸妓さん、舞妓さんといえば縁遠い存在ですよね。実はもう20年以上前になりますが、サラリーマン時代に一度だけ祇園のお茶屋さんでお座敷遊びをしたことがあります。
もちろん自力でいけるはずはなく、まぁ、俗にいう会社間の接待ですね。

 お座敷には芸妓さんと舞妓さんの2人と三味線を弾く年配の女性、料理屋から料理やお酒が運ばれてきます。
歓談したり、踊りを鑑賞したり、拳と言われる体を使ったじゃんけん遊びをしたり、扇子飛ばしをしたりと。
当時はこんなことに全く興味なく、なにがおもしろいのかわかりませんでした。

 一般的には「一見さんお断り」ですが、今では気軽にお座敷遊び体験ができるお茶屋さんもあり、男女問わず外国人観光客も訪れています。
もっとも料金は「お気軽」ではないようですが・・・

 話変わってお茶と言えば宇治ですが、6月に京阪宇治駅近くにある「お茶と宇治のまち交流館 茶づな」というところに行ってきました。
 お茶にまつわる資料館になっていて、体験プログラムもいくつか用意されています。
この中から今回は聞き茶を体験してきました。お茶の種類や産地を飲み比べて当てる、というゲームです。

 体験室



 聞き茶の歴史は古く、室町時代には賭け事として盛り上がっていました。
正式名称はちゃかぶき(茶歌舞伎あるいは茶香服と書く)と言うそうです。
ここらへんはインストラクターの方が歴史を説明してくれました。

 体験では碾茶(てんちゃ、抹茶になる前の茶葉)、煎茶、玉露の3種類を当てるというものでした。
最初に3種類が分かるように表示され同時に出てくる、これらを試飲して味の差を憶えておく。それが終わったら、次は1種類づつ名前が伏せられて出てきて、種類を当てる(用紙に書く)、という手順です。

 最初に3種類の試飲、味を憶える
 見た目はみな同じ

 簡単に識別できるだろうと高を括っていたのですが、これが難しかった。
実は、3種類とも同じ湯温90度で淹れてあるので渋みや苦みが3種とも一様に出てしまって違いがわかりにくい。
 お茶は高温で淹れるほど、カテキンやカフェインが多く抽出され渋み、苦みが強くなるのです。

 インストラクター曰く「それぞれの茶葉の適温で淹れると味の特徴が出て簡単すぎるので、わざと同じ条件で淹れている」とのこと。
これは正式な茶歌舞伎でもそうらしいです。

 なんとか3種類とも当てることができました。3つとも正解は参加者6人中2人だけだったのでマァマァかなと自画自賛。

 ちなみに日本五大銘茶と言われるのは、朝宮(滋賀)、宇治(京都)、川根(静岡)、本山(静岡)、狭山(埼玉)です。
案外知られていないのですが、滋賀は銘茶の産地なのです。

3つ目はさらに話変わって、8月にあべのハルカス美術館に広重の浮世絵版画展を観に行ってきました。

 葛飾北斎とともに並び称される浮世絵師の歌川広重。東海道五十三次のシリーズ物で大ブレークしました。
滋賀にゆかりの近江八景や名所江戸百景、京都や大阪も描いています。

 撮影可の展示物

 木曽海道六十九次の1枚

 200点以上ある展示品の大半は、ジョルジュ・レスコヴィッチというパリ在住のポーランド人コレクターの所蔵品です。
江戸時代、大量に摺られた浮世絵はいわば娯楽雑誌のような消耗品で、用済み後は廃棄されたり他の用途に再利用されていました。
陶磁器などの輸出品の緩衝材や包装紙に使われたりして、その絵を観たヨーロッパ人がすばらしさに気づいた、と言われています。

 お土産に買ったトートバッグ 
 名所江戸百景の「浅草田甫 酉の町詣で」
 夕刻の吉原、妓楼の控え部屋から浅草鷲神社の酉の市に詣でる人々を眺める猫

 実は北斎や広重の木版画の浮世絵は、我々でも手に入れることができるのです。
木版画の制作技術を職人さんたちが継承して制作、販売しているアダチ版画研究所という公益財団法人が東京にあるのですが、原画を忠実に再現した復刻版をオンラインでも買うことができます。

 あべのハルカス美術館のスーベニアショップでも販売されていましたが、色鮮やか。
今残っている江戸時代に摺られた絵は当然、程度の差はあれど退色してしまっていますが、摺られた当初はこのように色鮮やかだったのだろうな、と思いました。

前期、後期で展示は入れ替えられますが、近江八景が観られる後期も行ってみる予定です。
ばってんT村でした。

イタリアはおいしい2024/05/27

  ご存じ(かな?)、大ヒットしたコミック「テルマエ・ロマエ」(古代ローマ時代の浴場設計技師が現代日本にタイムスリップし日本の風呂文化に接する姿を描いたマンガ)
の作者であるヤマザキマリさん。

 肩書は漫画家、随筆家、画家となっていますが、イタリア人と結婚され今はイタリア在住です。これまでにエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカを経て現在はイタリアと日本を拠点を置かれています。

 ヤマザキマリさんの最新のエッセイ本が出たので読んでみました。5年ほど前に「パスタぎらい」という食に関するエッセイを出されましたが、この「貧乏ピッツァ」も同じく世界各国の食に関するエッセイで興味を引く内容、たいへんおもしろい。



 まず冒頭で、フィレンツェでの貧乏留学生時代に死ぬほど食べたパスタやピザを今はもう食べたいとはあまり思わない、トラウマでしょうかと書いています。

 本書の「素晴らしき日本の食文化」という章の、エピソードを一つ、二つ紹介します。
イタリアの夫の実家で「日本の食事をしてみたい」という姑のために素麺をゆでた時の話。
日本料理のスキルもなく、とりあえず日本から持ってきた素麺を使った。

 茹でている素麺を見て姑が「日本にもカペッリーニがあるのね」と言った。
カペッリーニとは細いパスタのこと。髪の毛を意味する「capelli(カペッリ)」が名前の由来。
ゆでた素麺をザルに入れて水で冷やすと、再び姑が「だめよ、パスタを水で洗ったりしちゃ!」
と。
 できた素麺をテーブル上に盛り、「見てください、素麺はこうやって食べるんですよ」と
箸ですくった麺をつゆにつけてズズズと啜り上げて見せた。

 それを見た家族全員、予想通り表情が固まった。
「そんな食べ方はできない」と姑ら家族はフォークに巻き付けた素麺をつゆにつけて食べるのであった。
食べるや「味がしない。茹でるときに塩を入れ忘れているよ」と指摘される。

 そこで日本の料理方法や素材そのものを味わう、というような説明をした。すると舅が
「さすが。日本では味覚にも禅のスピリットを稼働させているわけだ」と深く感心するのです。
しかし、素麺は不評で「日本の麺には味がない」と結論づけられてしまった。
という内容。

もう一つは
二十年ほど前、イタリアの親戚と友人で構成される十一人のオバちゃんグループを引率して日本旅行をしたとき、彼女たちが一番興奮したのは、いわば食の博覧会場であるかのようなデパ地下の食品売り場だった。
 帰国後もデパ地下の思い出話で盛り上がり、名所巡りよりまたデパ地下へ行ってみたい、と好評だったのだ。

 もちろん、イタリア料理の話も出てきます。
本書内のこのイラストは生ハムメロンですが、イタリアはメロンの消費量が世界の十指に入るほど多いらしい。


それもデザートではなく、ハムなどの加工肉といっしょに食材として食べるのです。

 カットしたメロンの上に生ハムをのせた生ハムメロンは前菜として食されます。
日本ではメロンは高級デザートというイメージで普段食べるものではありませんが、イタリアではスーパーで一玉3ユーロ程度で売ってあるとのこと。

 過去に出張やプライベートで何度かイタリアへ行ったことがありますが、私もこのメロンの甘さと生ハムのしょっぱさの混じった味わいが大好きで、よく注文していました。

   フィレンツェのレストランにて。生ハムがメロンを覆いつくしている


 この生ハムメロン以外に私個人で思い出に残っているイタリアでの食体験がいくつかあります。

 初めてイタリアへ行ったのは30年ほど前、仕事の出張で単独行でした。
現地で予約してもらったミラノ郊外の小さな街に宿泊しましたが、ホテルは家族で経営している小さな宿で朝食、夕食がついていたのです。

 夕食時になると、ホテルの主人が部屋をノックしてきます。
ドアを開けると、「マンジャーレ」(食べるの意味)と言って右手指先を口に持っていく仕草で食事ができたことを知らせに来るのです。
 メニューみたいなものはなく、おまかせのその日の料理が出てくるというスタイルでした。
料理の内容はもう忘れましたが、この時、食べ物を口にもっていくジェスチャーは万国共通なんだな、と思いました。

 このホテルから仕事先の工場へ通ったのですが、お昼は工場内のカフェテリアで食べました。複数の飲み物が置いてある中にワインの小瓶があり、ワインを取っている人もいます。
「ワイン飲んでもいいんですか?」と同行の人に聞くと「仕事にさしつかえなければOKさ」という返事でした。
なんとおおらかな、と当時思ったものです。

 イタリアにはbar(バール)という軽食も取れるコーヒーショップがいたるところにあります。
バールはイタリア人の食習慣に根付いたカフェ文化と言えるもので、このためスターバックスのような外国のコーヒーチェーン店が進出する余地はこれまでありませんでした。
(その後、2018年にやっとイタリアへ初上陸したらしいですが)

 私も旅行中、バールへはよく立ち寄りました。もっぱらカウンターでエスプレッソを立ち飲みというパターン。
 エスプレッソ1杯がだいたい1ユーロ(100円ちょっと)ほどでしたが、同じ店で飲む場所によって料金が違うのです。カウンター立ち飲みが一番安く、次に店内のテーブル席、店の外のテラス席の順で高くなっていきます。

 ベネチアのサンマルコ広場にはフローリアンというヨーロッパ最古のカフェがあります。
ガイドブックに必ず載っているくらい超有名で私も一度行ってみました。

    サンマルコ広場

フローリアンでは数名で構成されるオーケストラが店先で生演奏をしているのです。
それをBGMに屋外席で広場を眺めながらコーヒーを飲む、という至福のひとときが味わえます。

   タダではない生演奏

 しかし、お勘定の時に現実に引き戻されることになります。
レシートを見て知るのですが、コーヒー代金の他に音楽チャージ代なるものが請求されていたのです。BGMはタダではなかった…
日本円で合計2,000円近くしたと思いますが、いい思い出です。

 ベネチアと並んで名だたる観光地のフィレンツェですが、観光地ゆえレストラン、特に夜は高いのでできるだけ切り詰めました。
 ホテルのフロントで「近くに安いレストランはないですか?」と臆面もなく聞くと「レオナルドと言う、セルフサービスのカフェテリアがあるよ」と言って場所を教えてくれたのです。

 行ってみると、店の入り口に数か国語で書かれたメニューが貼ってあります。もちろん日本語もありました。
店内で食べたいものをトレイに取って会計しテーブルに着きます。パスタがちょうど茹であがったところだったのでこれを選択。
写真で合計11ユーロ、当時のレートで1,200円くらいでしょうか。

  ブルスケッタ、サラダ、パスタ、ミネラルウォーター


 ナポリと言えば、ナポリピッツァが有名ですよね。
地図を頼りに超有名なピッツェリアへ行ってみたら、行った時期が夏のバカンスシーズンだったためか休暇中。
ガックリしながらも開いている他のレストランでピザを注文したのですが、それでも十分おいしかったです。

 日本に目を向けると、最近は日本のピザのレベルも高く、イタリアと比べても遜色ないと思うのです。前述したヤマザキマリさんのイタリア人夫も来日すると、「日本のピザはおいしい」と言って足しげくピッツェリアへ行く、と書いてあったので間違いないでしょう。

 2024年3月の一か月で訪日外国人数は300万人だったとのこと。日本の食文化の体験を目当てに来る観光客も多く、食べる楽しみは万国共通であることを感じます。
 逆に、円安と合わせ、諸外国の物価高騰で日本からの海外旅行は高嶺の花となってしまいました。昔が懐かしい~。
ばってんT村でした。

ChatGPT2023/02/24

 最近、話題になっているChatGPTというのをご存じでしょうか?
人工知能(AI)がチャット(対話形式)で質問に答えてくれるというものです。

 今でもGoogle検索など、いわゆる「ググる」で調べものはできます。
でもChatGPTの大きな特徴は、直接質問に答えてくれる、というところです。
文章の作成力は半端なく、人間の作成したものと違いがわかりません。

 アメリカのIT企業が開発したものなので表示画面は英語ですが、難しくはありません。
質問は日本語で入力し、日本語で返事が来ます(問い合わせた言語で回答が来るそうです)
パソコン上でだれでも無料で使えるので、さっそく登録して使ってみました。

こんな画面です。下の空白欄に質問を入力します。


試しに、前回のブログで話題に出した小説「老人と海」について

アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」のあらすじを400字以内で書いてください

と入力しました。

回答はこんな画面です。少し間があって(考えている?)、一文字ずつ人がタイピングしてい
るかのように表示されていきます。



回答をコピーしたものが下記。確かに400字以内に収まっています。

「老人と海」は、キューバのハバナに住む老人サンチャゴが、84日間の漁師生活で大物マグロを捕獲するまでを描いた小説である。

サンチャゴは運が悪く、何度も釣りに出ても何も捕れない日々を過ごしていたが、最後の日になってついに大物マグロを釣り上げる。しかし、彼の小さなボートはマグロの重みに耐えられず、海上で繰り広げられる激しい闘いの末にマグロを失ってしまう。

サンチャゴは疲れ切って帰路につくが、それでもマグロを失ったことを悔い、孤独な漁師の生き方や自分自身の老いを考える。サンチャゴが港に帰ってくると、周囲の漁師たちは彼を尊敬し、彼の勇気と決意を称える。サンチャゴはマグロの骨を持ち帰り、それを村に見せることで自分の釣りの成功を示し、自分自身に対する自信を取り戻す。

この小説は、人間の生きる意味や自己超越の重要性を探求した、ヘミングウェイの代表作の一つとされている。

以上ですが、次にこんな依頼をしました。
アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」の読書感想文を400字以内で書いて

返ってきたのが下記、400字は越えてしまっているが・・・

「老人と海」は、アーネスト・ヘミングウェイの代表作の一つであり、深い哲学的意味を持つ小説です。

主人公のサンチャゴは、長い間何も獲らずに漁を続けていましたが、最後の漁で非常に巨大なマグロを捕まえます。しかし、そのマグロは鮫に食われてしまい、彼は何も持たずに帰ることになります。この小説は、人生の喜びと悲しみを表現しています。

私はこの小説がとても印象的だと思います。特に、サンチャゴの孤独と忍耐力に感銘を受けました。彼は何年も漁を続けていますが、何も獲れずにいたため、他の漁師から嘲笑されていました。

しかし、彼は希望を失うことなく、続けることができました。最後に、彼は巨大なマグロを捕まえますが、それが鮫に食われてしまい、何も持たずに帰らなければならなくなりました。この出来事は、成功と失敗が人生でつねに同居していることを表しています。

また、この小説は、人生の喜びと悲しみを表現していると感じました。サンチャゴは、漁に出ることで自分自身と戦い、自己超越を求めています。彼が捕まえたマグロは、彼の成功の象徴であり、希望と喜びを表しています。

しかし、それが鮫に食われてしまい、彼は何も持たずに帰らなければならなくなりました。これは、人生がいつも完璧な結果をもたらすわけではないことを示しています。

全体として、「老人と海」は、生きることの意味や目的について考えさせる作品であると感じました。サンチャゴの忍耐力や決意を見て、私たちは自分自身も同様の精神力を持つことができるかもしれないと思わせてくれます。
私はこの小説を読んで、自分自身についても深く考えることができました。

以上ですが、これを読んだら先生、「この生徒、よく書けているな」となるでしょうね。

 これでわかるように楽して宿題がかたづけられます。
さらに同じ質問を再度すると、回答は少しずつ違う文面になっているのです。複数の生徒がChatGPTに同じ依頼をしても違う感想文が来るということです。

 実際、英米の名だたる大学では論文にChatGPTを使うことを禁止しています。
言論統制が厳しい中国ではChatGPTそのものの使用が禁止されるのではないかという記事も見ました。

 アメリカ企業が作ったものなので基本データは英語です。従い他国の言語では正確性が今一つと言われています。

 一つ、ためしに確認してみました。昨年の7月にブログでも紹介した「モンティ・ホール問題」

 これはアメリカの某テレビ番組の中で車を賞品としてプレゼントする、というもの。
3つあるドアの後ろのどれか1つに車が隠されていて、1つドアを選び当たっていたらもらえる。
1つのドアが選ばれた後、司会者が残り2つのドアの中からハズレのドアを1つ開けて「今ならあなたが選んだドアを変えてもよい」と言う。
選択を変えた方がよいか、そのままの方がよいか、という問題。
これを訊ねてみました。

モンティホール問題とは何? と質問。ChatGPTからは下記の回答が来ました。

モンティ・ホール問題とは、以下のような問題です。
3つのドアがあり、そのうち1つのドアの後ろには車が、残りの2つのドアの後ろにはヤギがいます。あなたはドアを1つ選んで、それを開けます。
この時点で、ホストは残りの2つのドアのうち1つのドアを開けて、そのドアの後ろにヤギがいることを示します。
そして、あなたにはドアを変えることができるか聞かれます。あなたがドアを変えた場合、車が当たる確率は変わるのでしょうか?

この問題は、初めてアメリカのテレビ番組『Let's Make a Deal』で出題され、モンティ・ホールという司会者の名前から名付けられました。
モンティ・ホール問題には正解があり、正解は「ドアを変えた場合のほうが、車が当たる確率が高くなる」というものです。
これは直感的には理解しにくいものの、確率論的な証明があります。

以上が返事だったのですが、読んでみると、3行目の説明が間違っています。
「あなたはドアを1つ選んで、それを開けます。」とありますが、選んだドアを開けるのは一番最後です。この時点では開けません。
それと状況の日本語表現に所々違和感があります。

そこで、英語で同じ質問をしてみました。

質問はシンプル
What is Monty Hall problem? 

返事は下記、確かに英語で質問すると英語で返ってきました。

The Monty Hall problem is a classic probability puzzle that goes as follows:

Suppose you are a contestant on a game show. The host, Monty Hall, shows you three doors. Behind one door is a valuable prize, like a car, and behind the other two doors are less valuable prizes, like goats. You pick a door, but don't open it yet. Then, Monty opens one 
of the other two doors, revealing a goat. He asks if you want to switch your choice to the remaining door or stick with your original choice.

The question is: Should you switch doors, or stick with your original choice? Intuitively, it may seem like it doesn't matter whether you switch or not, since there are two doors left, but the correct answer is that you should switch. By switching doors, you increase your chances of winning the car from 1/3 to 2/3.

The Monty Hall problem has been a source of controversy and confusion because the answer seems counterintuitive to many people. However, the problem can be explained using conditional probability, and the optimal strategy has been proven mathematically.

英語だと適格に説明されています。そして4行目
You pick a door, but don't open it yet.
(あなたはドアを選択します、しかしまだ開けません)としっかり書いてある。

うわさは本当でした。結局、英語以外の他言語だと自分で内容を最終確認する必要があるようですね。

もう一点、回答の情報量を確認してみました。
NHK「チコちゃんに叱られる」で出された「料理になぜみりんを使うの?」
を質問してみました。下記が回答

みりんは日本料理によく使用される甘味料の一つで、独特の味わいを持ちます。
一般的に、料理にみりんを使う理由は以下の通りです。

1.香りと味わいを強化する:みりんは、独特の甘みと香りを持ち、食材の風味を引き出すことができます。
さらに、みりんを使用することで、調味料やスパイスなどの他の味付けを減らすことができます。

2.風味を柔らかくする:みりんにはアルコール分が含まれており、食材の繊維質を柔らかくする効果があります。このため、肉や魚などの食材を煮たり炒めたりする際に、みりんを加えることでより柔らかく仕上げることができます。

3.色を艶やかにする:みりんを使うことで、料理に艶やかな色合いを与えることができます。
特に、照り焼きや甘酢あんなどのソースにみりんを使用することで、料理に光沢感を与えることができます。

4.酸味を抑える:みりんは、料理に酸味を加えることなく、旨味を増やすことができます。
例えば、酢やレモン汁の代わりにみりんを使用することで、料理に酸味を加えすぎることを避けることができます。

以上のように、みりんは食材の風味を引き出し、味を調整し、料理を美しく仕上げることができるため、日本料理をはじめ、様々な料理に使われています。

ここまでが返事。

 味、香り、色合いなど一般的な答えなのですが「チコちゃんに・・・」で求められていたのは「煮崩れを防ぐ」という答えでした。
 これも理由にあげてほしかったな。でも煮崩れを防ぐ、というのはウンチクの類で元々の理由ではないのかもしれません。

 AIは学習することで知識(データ)が増えていくので、まだこれから賢くなっていくのでしょう。
それにしてもしっかりした文章になっています、機械が書いたとは思えない。そのまま使えます。

 今や、既存の法律に従って正誤が明確に回答できるような法律相談などはオンラインでAIが回答しているところもあるそうです。
コンピューターと会話する近未来の世界がもう来ている、そんな印象を受けました。

 さらに機械翻訳も進歩してきていますが、通訳者・翻訳者が要らなくなる時代も来るのでしょうか?
 でもがんばって勉強して自らの口から発した外国語が通じた喜びが感じられなくなるのはちょっと寂しい気がします。
ばってんT村でした。

落日の宴2023/01/15

前回に続けてですが、読んだ本の紹介です。

 1853年にペリーがアメリカから軍艦を連ねて開国を迫ってきたことはよく知られているところです。
 このペリー来航のわずか1か月後、ロシアからも長崎に軍艦が来航していました。これはあまり知られていないかもしれませんね。

船団を率いてきたのは海軍中将で政治家でもあるプチャーチンという人物です(プーチンではないですよ)
 もちろん、ロシアも江戸幕府にとってたいへんな脅威となりました。

 ただ、長崎だけ開港していた鎖国政策を無視してペリーは強引に江戸湾まで出てきて脅したのに比べ、プチャーチンは日本の国法を守ってまず長崎へ来たのでした。
今の無法で威嚇的なロシアとは違い紳士的だったのです。

 ただ、対応をひとつ間違えば武力にものを言わせ戦争になったり、植民地化される恐れは十分ありました。
 交渉の責任者になったのが、川路聖謨(かわじ としあきら)という勘定奉行の筆頭でした。
頭脳明晰、冷静な判断力を兼ね備え幕府から高く評価されていた人物です。

 この川路とプチャーチンの交渉を中心に描かれたのが本書です。
内容はちろん史実で日記や日露双方の記録、資料をつぶさに調べて著者はストーリー化しています。



 ロシア皇帝から全権を委任されたプチャーチンが優れた識見を持っていることを川路は見抜き、尊敬と親愛の情をいだいた、とあります。
川路の日記にも
「この人は第一の人にて眼差しただならず。よほどの者なり」
と記していました。

 一方、プチャーチンも同じように川路を高く評価していました。
同行した彼の秘書が日本渡航記に
「川路を私達はみな気に入っていた。川路は非常に聡明であった。彼は私たち自身を反駁する巧妙な弁論をもって知性をひらめかせたものの、なおこの人を尊敬しないわけにはいかなかった。彼の一言一句、一瞥、それに物腰までが・・・」
と書いているのです。
川路はユーモアのセンスもあったそうです。

 1回目の来日で交渉はまとまらず、翌年プチャーチンは再訪、交渉の場は伊豆の下田に移ります。
でも、到着後そこでロシア船はえらい目に遭うのです。
安政の大地震による下田を襲った大津波で滞在中に船が損傷、最後には沈没してしまいます。
 しばらくしてロシア側の設計の元、日本から大勢の宮大工が新しく帰国用の船を造ったそうです。

 これら万難を排した交渉の末、日露和親条約が結ばれますが、この時に北方領土の国境も定められ択捉島まで四島は日本領土と定められたのです。

 ちなみに交渉はオランダ語で行われました。これは当時日本がオランダと中国としか交易していなかったためです。
 アメリカやロシアはこのことを知っていたので、必ずオランダ語と中国語の通訳を同行させていました。ロシア語-オランダ語―日本語と二重翻訳になっていたのですね。

 ロシアとの通訳を主に担ったのは森山栄之助という人です。ペリーとの交渉時の通訳の腕を買われたのです。

 オランダ人よりきれいで正確なオランダ語を話す、とオランダ人からも言われていたそうです。
この森山栄之助については昨年2月のブログで「海の祭礼」という著書で紹介しています。
 さらに森山は、漂流して日本に来たアメリカ人に英語を教わり、英語も驚くほど上達したそうで、語学のセンスがあったのですね。

 歴史の表舞台には出てこないけれど、陰で重要な責務を果たしたこのような人物の物語を知るのもおもしろく興味がつきません。
ばってんT村でした。

タイ文字を読もう2022/11/06

コロナ禍前の2019年、訪日外国人観光客数の国別順位でタイは韓国、中華圏(中国、台湾、香港)に次ぐ第5位でした。

 たしかに京都でもタイ人観光客はよく見かけました。

日本人の旅行者にもタイは常時4~6位で人気の海外旅行先となっています。


 外国へ行ったとき、言葉をちょっとでも話せると現地の人とふれあうことができます。さらに文字が読めるともっと楽しみが広がります。


 数年前ブログで簡単なタイ語の紹介をしましたが、今回は文字の紹介をしたいと思います。

 読めて、どこで使えるかって? ずばりローカル食堂です、日本と同じで地元の人が行く店は安くておいしい。タイ語のメニューしかないところも多いのでそこで役に立ちます。

(日本のラーメン屋に日本語メニューしかないのと同じです)


 また、街中やホテル、空港などで目に入った文字を読んでみるというのも一興です。読めると模様にしか見えなかった文字が意味をなしてきます。


たとえば、通りでタクシーを拾おうとして探しているとフロントガラス越しに

ว่าง

と電光表示しているタクシーを見かけます。ワーン()と読みますが「空いている」という意味で、つまり空車を示しています。


  以前、ハングル文字の紹介をしましたが、ハングル文字よりはハードルは高いです。

ハングル文字が子音14文字、母音10文字、声調記号なしに対し、タイ文字は子音42文字、母音9文字(二重母音もあるので音はもっと多い)、声調記号4種類の組み合わせです。

また、タイ文字は子音の上下左右4方向、自由奔放に母音がくっつきます。

 

 でも日本語はひらがな46文字、カタカナ46文字、漢字300~400(N3合格レベル)ですから文字としてはもっと難解ではないでしょうか?

 日本語を勉強する外国人のたいへんさがよくわかります。


 タイ語の母音は日本語「あ、い、う、え、お」とほぼ同じ発音の短母音と、「aa、ii、uu、ee、oo」と伸ばして発音する長母音や2つを組み合わせる二重母音などがあります。


例えば

า は長母音でaa 、    は二重母音でai と発音 


次によく出てくる子音をいくつか紹介すると

 は m 、    p  b、     th(hが付くと息を吐き出す有気音を示す)に相当


 、 はよく似ていますが、〇の数や棒の長さが違います。このような紛らわしい文字もいくつかあります。


 でも、日本語でも「わ」と「ね」、「ソ」と「ン」のように類似形がいくつもあるのと同じですね。


さて、これら母音と子音を組み合わせると、

例えば  m と  aa  

มา で maa マー、これは「来る」の意味です。子音の右側に母音がついています。


 同じつづりでも ม้า と上に声調記号がつくと「馬」の意味になります。

これは高い音からさらに高く発音します。


   p  と   ai で


ไป pai  パイ、「行く」の意味です。 これは左側に母音 ai がくっついています。


ไทย 国名である「タイ」はこう書きます。 

ไท これだけでthaiと読めるのですが、後ろに子音の  yが付きます。


บาท タイの通貨単位であるバーツはこう書きます。

 分解すると b と  aa  で บา  baa  

この後ろに   th が付いてbaath


 日本語でバーツと言ったり書いたりしますが、タイ語の発音では最後のツはほとんど聞こえません。


 ちなみに、タイの代表的な料理、エビのスープ料理であるトムヤムクンはこう書きます。

ต้มยำกุ้ง


これは3つの単語の合体です。

ต้ม トム  煮る、ゆでる

ยำ ヤム 和える、混ぜ合わせる

กุ้ง クン エビ


 上で紹介していない文字も入っていますが、少しずつ憶えていけば短い単語なら読めるようになります。

 メニューであれば、飲み物か料理名しか書いていないので読めない文字が混じっていても、まぁ推測がつきます。文字を読むいい勉強になるんです。


 これがメニューの一例ですが、左側の一番上はソムタムと書いてあります。青いパパイヤを使ったサラダのことでこれもタイのポピュラーな料理です。




 ドラマ、映画、ポップスなどで韓国ブームが続いていますが、ファンはやはり韓国語を勉強する動機になるそうで、オリーブに見学に来ていた中国人女性も韓国語を話せてハングルも読める、と言っていました。


 このように好きだからというきっかけで外国語を勉強するのが一番いいのかもしれませんね。

ばってんT村でした。


英仏を巡って2022/09/25

 前回、パリにあるアメリカ図書館にまつわる小説を紹介しましたが、その物語の中にダンケルクというフランスの地名が出てきます。
 聞き覚えがあり「そうだ、同名の映画があったな」と思い出しました。まだ観ていなかったのでさっそくアマゾンビデオで視聴。


 第二次大戦時の話です。
 ダンケルクはフランス北端にある沿岸都市でドーバー海峡を挟んで対岸はイギリス本土です。北フランスまで勢力を延ばしたドイツ軍がダンケルクまでイギリス・フランス連合軍を追い詰めます。

 まともに対戦したら惨敗すると判断した連合軍は対岸のイギリスへ撤退することに。
でも30万人もいる兵士を運ぶ船舶はどうするのか?
1940年の史実を基にした映画です。

次にフランスつながりで見た映画が「男と女 人生最良の日々」



一作目、1966年のフランス映画「男と女」のあらすじは、
 スタントマンの夫を事故で失った未亡人アンヌと、妻を自殺で失ったレーサーの男ジャン・ルイの二人がドゥーヴィルにあるそれぞれの子供の寄宿学校の送り迎えで知り合い、一目惚れのかたちで惹かれあう。 
 しかし突然失ってしまった愛する人への想いも未だに断ち切れず・・・という、大人のラブストーリー。

 この一作目は観ていないのですが、この題名とあの「シャバダバダ、シャバダバダ~」のテーマ音楽にはなじみがあります。

 今年の6月、ジャン・ルイ役の男優の死亡記事が新聞に載っていたのをきっかけに「男と女」を観てみようと思いたちアマゾンで検索したら、「男と女 人生最良の日々」も出てきたのです。2019年の制作。

 53年後の続編になります。老後の二人を描いているところに興味を惹かれこちらを観てみました。53年前と同じキャスト、スタッフで撮られているところが監督のこだわり、子役まで同じ俳優が演じているのです。

 ジャン・ルイは老人ホームで暮らしていて、認知症ぎみで記憶も定かでなくなってきています。この姿を見た息子は過去を思い出してもらおうとアンヌを探し出し、会ってくれるよう頼みます。

 訪問時、アンヌは名前を明かさず「いい施設を探している」という口実で彼と話しをします。
ジャン・ルイは彼女のしぐさなどを見て似ていると感じながらも本人だとは思っていません。
ほぼ会話で進行するゆったり静かな映画です。

  男優の名前は役名と同じジャン・ルイ、フルネームはジャン・ルイ・トランティニャンと言います。
私の生徒さんに映画好きのフランス人がいるので、彼にこの名前を発音してもらいました。
フランス語だと鼻に抜ける独特の発音でなんか優雅に聞こえますね。

 ちょっと蛇足、映画は最後のエンドロール(キャストやスタッフの名前の表示)まで観る習慣があるのですが、メイクは日本人でした。
Maquillage  Mina MATUMURA と出ていたのです。

マキアージュって日本の某化粧品メーカーの商品名にもなっていますが、化粧の意味のフランス語。それにしてもフランス語、読まないアルファベットが多い。

 さて話題は変わってもうひとつ、今月エリザベス女王の逝去で思い出した映画があります。エリザベス女王の父ジョージ6世にまつわる実話です。

「英国王のスピーチ」、再度観てみましたが、なかなかおもしろかった。


 ジョージ6世(即位前アルバート王子)には吃音症があり、演説などではその症状が出て聴衆をも落胆させます。
 そこで吃音症を克服するために言語療法士を雇って治療を行うことにしたのです。
この二人のやり取りや治療法がおもしろい。

 実はジョージ6世(アルバート王子)には兄がいて、その兄がエドワード8世としてすでに新国王で即位していたのです。
 ところが彼が結婚を望んでいた女性が離婚歴のあるアメリカ人、結婚を強行したためイギリス国内で国王として不適格だとされ1年ほどで退位。
それでジョージ6世に王位が回ってきたというわけです。

 1939年、イギリスはドイツに宣戦布告します。第二次大戦の始まりです。
宣戦布告の同日、開戦にあたりイギリス国民を鼓舞する演説をジョージ6世が行うのですが、これがこの映画のハイライトとなります。

 それにしても、エドワード8世のスキャンダル話って今の王室のヘンリー王子の境遇とよく似ているな~、歴史は繰り返すのか、と感じます。

 エリザベス女王はフランス語を話し、フランス料理や文化を好んだと言われています。
かつて、フランス大統領府で晩餐会の席上「女優になってみたかった」と話すと、当時のオランド仏大統領が「ご立派に女優でいらっしゃいます。」と言い、どんな国を訪れても皆の心をつかんでいる、とたたえました。
 それを聞いた女王は「そうですね、いつも同じ台本ですけれど」と答えたといいます。

 映画でその国の歴史、人物、地理などを知るのもいいものです。
「男と女」で二人が知り合ったドゥーヴィル(Deauville)という町、この映画で初めて知りました。
フランスのノルマンディー海岸にあってリゾート地らしいですが、夕日を観に行きたくなります。

ばってんT村でした。

アメリカ図書館2022/09/11

最近、図書館で借りて読んだ本です。



 私の下手な文より、本のカバー裏に書かれた紹介文がわかりやすいと思いますので転記します。

 1939年パリ。20歳のオディールは、アメリカ図書館の司書に採用された。
 本好きな彼女は水を得た魚のように熱心に仕事に取り組み、女性館長や同僚、そして個性豊かな図書館利用者たちとの絆を深めていく。
 やがてドイツとの戦争が始まり、図書館は病院や戦地にいる兵士に本を送るプロジェクトに取り組み始める。しかしドイツ軍がやってきてパリを占領し、ユダヤ人の利用者に危機が訪れ……。

 1983年アメリカ、モンタナ州フロイド。12歳の少女リリーは、“戦争花嫁”と呼ばれる孤独な隣人、オディールと知り合いになる。
 リリーはオディールの家に出入りしてフランス語を教わるようになり、二人の間には世代を超えた友情が芽生えていく。リリーは、しだいにオディールの謎めいた過去が気になりはじめ……。

人々にかけがえのない本を届け続けた、図書館員たちの勇気と絆を描く感動作!

以上、引用でした。



 原題はThe Paris Library、物語に出てくるアメリカ図書館と言うのはパリに今も実在する図書館です。

 アメリカは第一次大戦時にヨーロッパで戦うアメリカ軍隊に本国から本を送るサービスを行っていました。それらの本を元に1920年パリにアメリカ図書館は設立され、アメリカ人のみでなくさまざまな外国人が利用していました。

 2人の主人公オディールとリリー、そしてストーリーは著者の創作ですが、女性館長など他の登場人物の多くが実在だった人々で、本を送るプロジェクトという出来事も史実を基に書かれているそうです。

 パリに住んでいたオディールがアメリカに渡ったいきさつが、急展開すぎてちょっと唐突感が否めませんが(・・・あくまでも個人の感想)、読み応え十分な内容です。

 フランス語を習うきっかけとなった、リリーの視点で書かれているこんなシーンも印象的でした。

 ママは好きなだけクッキーを食べさせてくれたけど、オディールは二枚だけだった。もっと食べようとしたら、オディールは言った。「二枚でお腹はいっぱいになる。それ以上は心がほしがっているんでしょう。心を癒すのには、別の方法があるわ」
オディールは一冊の本を差し出した。「お菓子ではなく文学よ」

以上、引用

 そして読んだ『星の王子さま』、当然英語に翻訳されたものですが、原書を読みたいと思ったリリーはオディールにフランス語を教えてくれるよう頼むのです。

訳者のあとがきに

 パリのアメリカ図書館は、2020年に創設百年を迎え、今日でも多くの利用者に愛されている。
 ふたたび海外旅行を楽しめる状況になって、フランスのパリを訪れることがあったら、ジェネラル・カムー通りのアメリカ図書館に行ってみたらどうだろう。
 そこで短いあいだでも静かな時間を過ごしたら、観光名所を巡るのとはひと味ちがった、貴重な思い出ができるのではないかと思う。

 あとがきの日付けが2022年3月と書いてあったので、コロナ禍の最中。今の時期らしい表現です。
また旅心をくすぐる内容ですね。
ばってんT村でした。

沖縄と滋賀2022/08/14

 猛暑の今夏ですが、過去30年で猛暑日(35℃以上)が一番多かったのはどこかご存じでしょうか?
 確かにと思われるでしょう、京都市です。過去30年間で591日、ざっくり年間20日です。大阪市は3位でした(すべての市町村ではなく、あくまでも都道府県庁所在地という条件です)

 では、猛暑日が最も少ない都道府県庁所在地はどこか?最北の札幌市と思いきや、最も南、沖縄の那覇市です。過去30年間で札幌が7日、那覇が5日なのです。意外でした。
 これは沖縄が海洋性気候で極端に暑くも寒くもならないという理由かららしいです。
もちろん、30℃を超える真夏日になると、圧倒的に那覇市が最多、札幌は最少。

 さて3年ほど前に沖縄旅行のことをブログに書きましたが、今年は沖縄がアメリカから返還されて50周年の節目の年でもあり、この機会に加筆して再度ご紹介を。

 沖縄は1879年に沖縄県となるまでの約450年間、琉球王国として存在していました。観光スポットになっている世界遺産のあの首里城は沖縄本島を統一したときに建てられた王宮です。
 残念ながら2019年に焼失して現在再建中ですね。その前に見学できて幸いでした。

 那覇市中心部から東海岸方向に歩いていくと「波の上通り」というおもしろい名称の通りがあります。そこを海岸まで進むと「波上宮(なみのうえぐう)」というこれまた珍しい名前の神社があるのです。


 その神社からの帰路、波の上通りを歩いていた時のことでした。途中、コーヒーのいい香りがしてきて思わずその香りをたどっていくと、そこはコーヒーの焙煎所でした。

 店内におじゃましてコーヒーを飲ませてもらい、そこのご主人としばし世間話をしていました。
 私が滋賀県から来た、と言うと「そうですか、沖縄と滋賀とは意外な縁があることをご存じですか?」と問われました。全く知らないと言うと、こんな話をしてくれました。
 
 一言で言いますと、旧彦根藩主の井伊家にこの琉球王国の国王の子孫が嫁いでいたのです。
 明治政府の廃藩置県で琉球王国は沖縄になったのですが、最後の国王、尚泰のひ孫が井伊直愛(なおよし)と結婚したのです。

 調べてみると、結婚されたのは昭和12年(1937年)のことでした。ちなみに井伊直愛はあの井伊直弼のひ孫にあたります。
 1953~1989年の長年、井伊直愛さんは彦根市長でした。琉球王国の末裔で奥様となられた井伊文子さんは歌人、著作家でもありました。
  
 それにしても、これほどの関係があるのに彦根と那覇は姉妹都市あるいは友好都市の関係にはないのです。残念ですよね~、とこのことを知る沖縄の人も言っていました。

 ちなみに、沖縄を旅行するなら寒さで一番縮こまって生活している真冬の1~2月が個人的にはオススメです。この時期、沖縄だと昼間は20~25℃くらいでちょっと暑いかな程度で快適です。
 オリーブのN先生の故郷でもある北谷(ちゃたん、と読みます)はリゾート気分が味わえますよ。

ばってんT村でした。

あこがれの小堀2022/06/18

 外国に関心を持ったり、その国の言葉を勉強するようになった動機は人それぞれにあると思います。
 もう10年も前のブログに書いた内容ですが、ちょっと加筆し改めて紹介します(え~、正直に言うとネタを考えるのがけっこうたいへんなので、時々この思い出路線を活用したいと思います・・・)

 昔、タイ語に興味を持ち、週一で語学教室に通って勉強していた時期がありました。タイ語の先生をしている人達は、日本人と結婚したタイ人や日本に留学している大学生など多様でした。
 私のクラスの先生は大阪外国語大学に留学中のタイ人女性、このW先生に日本に留学して日本語を勉強しようと思ったきっかけを聞いたことがあります。

 こんな内容でした。
その昔、タイで「メナムの残照」(タイ語原題はクーカム)という小説が大ヒットしました。
 内容は、第二次大戦中にバンコクに駐留していた若き日本海軍大尉とタイ人女性との悲恋を描いた物語です。タイではこれまでにテレビドラマや映画で何度もリメイクされていて、一時は大ブームになったとのこと。

 「メナムの残照」というのは日本語翻訳後の小説のタイトルですが、メナムとは「川」を意味するタイ語で、メ―(母)とナーム(水)の合体語。タイにはチャオプラヤー川という本土を貫く大河が流れています。

     映画化された最新版は2013年、クーカムは「運命の相手」と言うような意味


 男の名前はコボリ(漢字では「小堀」)といい、男らしく誠実で女性にはやさしい軍人として描かれています。要するに凛々しい日本男児のイメージなのでしょう。
 この小説を読んだ若かりし頃のW先生はコボリのような男性がいる日本にあこがれを持つようになり、高校時代に交換留学先に日本を選択して応募しました。

 晴れて選考試験に合格し日本の高校に通うことになりましたが、日本の生活に慣れた頃、W先生にわかったのは「今の日本にはコボリみたいな男らしい人はいない~」でした。

 もちろんコボリはいなくてもW先生が日本を好きなことには変わりなく、熱心に日本語や日本文化を勉強して日本の大学まで出たのです。
 W先生は大学卒業後タイへ帰国し、この「メナムの残照」を書いた小説家の出身大学で日本語を教えています。

 習った肝心のタイ語はかなり忘れましたが、少しでも話せたり聞き取れたりすると現地で役立ちますし、現地の人とのコミュニケーションも片言ながらできたりします。

 「△△をください」「○○はありますか?」「お勧めの料理は何ですか?」「辛くしないで」など、食に関した会話は真っ先に覚えました。なにせ旅の楽しみに関わることですからね。

 現在だと有名人といえば芸能人やアニメの登場人物だったりするかもしれませんが、「メナムの残照」が流行していた当時タイで一番有名な日本人は「コボリ」だったと言われています。

 一方、私はタイで今も昔も一番有名な日本人は「アライ」さんではないかと勝手に思っています。まぁ、正確に言えば、日本人名に聞こえる、日常よく使われるタイ語という意味なのですが・・・。

 タイ語で発音する「アライ」は日本語で「なに」という意味、英語で言えばWhatです。
「名前は何ですか?」「仕事は何していますか?」とか、先ほど出した「お勧めの料理は何ですか?」、出てきた料理の素材が知りたいときは「これ何ですか?」とか。
 相手の言ったことが聞き取れなかったりした時も「アライ ナ?」と聞き返します。日本語でも「えっ、なに?」って言いますよね。

皆さんが海外に興味を持ったきっかけは何でしょうか? ばってんT村でした。

勘違いのことば達2022/06/05

 前回ブログの冒頭、本屋さんの店員が「手帳」と「店長」を聞き間違えた話をしましたが、外に出ると図らずも面白い目に合うことがあります。

 私はよい意味で、犬も歩けば棒に当たる、と勝手に解釈しています。


 初めて読む人もいらっしゃると思いますので、以前ブログで書いた同じ話もあって恐縮ですが改めて私の経験を。

 言葉に関することなので、チョット参考になるかもです。


●コピーをください

 若い頃は、仕事の出張で頻繁に韓国に行っていました。

単独で電車やバス、タクシーで移動したり、街中の食堂でご飯を食べたりする機会も多かったので、最低限必要な韓国語を事前に勉強したり、現地で憶えたりしていました。


 1980~90年代、日本に追いつけ、追い越せで韓国では日本語の勉強熱が高かった時代です。

 それもあってか、仕事先では一定の職級以上の人は日本語が問題なく話せたので業務上の会話は日本語でした。


 ある顧客の会社で打ち合わせをやっていた時のことです。使っていた資料のコピーが必要になり、近くにいた女性社員(日本語は話せない)に自分の手元の資料を指さして「コピーチュセヨ」とお願いしました。


韓国語でチュセヨ、とは「ください」の意味です。


 女性は「ネ~(はいの意味)」と言ってそのまま部屋から出ていきました。

 しばらくすると、その女性は紙コップに入ったコーヒーを持ってきて、私の前に置いたのです。

 コピーを頼んで、なぜコーヒーが出てきたのか私はわけがわかりませんでした。


 これを見て、打ち合わせに同席していた人が笑いながら「T村さん、coffeeは韓国語でコピと言います」

「では複写する意味のコピーはどう言うんですか?」と聞くと「それはカピと発音します」


 日本語と同様、韓国語では外来語をそのまま使うことが多いのですが、韓国語特有の発音になります。

 例えばスポーツのゴルフは韓国語ではコルプと発音します。これなど、さらにわかりにくいと思いますね。


●グラスをください

 これはフランスに出張した時のことです。

フランス語が堪能な日本人の商社員を含め数人でレストランに入りました。


 飲み物を含めた注文後、ガラスコップが一つ足りないことに気づき、ウェイターに「One glass please」と英語で言いました。

 しばらくしてウェイターが持ってきてテーブルに置いたのは、アイスペールに入った氷だったのです。氷をつかむトングも付いていました。


 氷は注文していないけど、と不思議に思っていると商社員の方が笑いながら

「あ~、たぶん英語のglassを誤解したのだと思います。フランス語でグラスと言うとアイスクリームや氷を意味します」

 あとで調べてみると、言われるようにフランス語にglaceという単語がありました。


●ホテルの名前はアルベルゴ

 これははじめてイタリアに出張した時のことです。

現地の商社員の方にミラノの空港でピックアップしてもらい、郊外の小さな町のホテルにチェックインしました。

 翌日、顧客先で仕事の終了後、相手をしてくれた人が「車でホテルまで送っていきますよ。ホテルはどこですか?」と聞かれました。

会話は英語です。


 ホテルの表の看板に「ALBERGO」と書いてあったのを覚えていたので「アルベルゴに泊まっています」と答えました。


  これ、しっかり記憶していたんですが



 すると「OK、それでホテルの名前は?」と再度聞いてきます。

私が困惑していると、彼がわかった、というような表情で「ホテルをイタリア語でアルベルゴと言うのですよ。」


 日本語で言えば、単に「旅館」とだけ書いた看板がかかった宿みたいなものなのでしょう。

 私が泊まったこの「アルベルゴ」は食堂もあって、夕飯時になると主人が部屋のドアをノックして知らせてくれるような小さな宿でした。


 ドアを開けると、「マンジャーレ」(イタリア語で「食べる」の意味)と言って私に向かってジェスチャーで食べるしぐさで準備ができたことを教えてくれるのでした。


●ちょっと待って

 アメリカの顧客先工場で日本人の現地駐在員と一緒に行った時のこと。

顧客と打ち合わせをやっている最中、要所要所でこの駐在員と二人で日本語だけで話すことがありました。

 相手に返事する前に見解を合わせておく時や聞かれたくない内容の時です。


 すると後から「チョットマッテ、はどういう意味ですか?」と聞かれたのです。我々の会話の中から聞き取ったみたいです。

 この「チョットマッテ」、拗音と促音が入る日本語、発音的にアメリカ人にも印象に残ったのでしょう。


 確かに会話でちょくちょく使うと思います「調べるからちょっと待って」とか「ちょっと待って、考えさせて」とか。


 意味を教えた後は、一緒に作業などしている最中、そのような場面が来たら嬉しそうに「チョットマッテ」と日本語で言ってくるのでした。


 日本に来る外国人観光客だと、「アリガトウ」の次によく聞く日本語は「イラッシャイマセ」ではないでしょうか?


 これはどこで聞かれたかは忘れたのですが、「エートはどういう意味ですか?」という質問もありました。

 うん、確かにしゃべっている合間に挟むな。「えっ~と、それはね・・・」、当時は説明できませんでした。


「え~」とか「あの~」はFiller(フィラー)と呼ばれる発話の合間に挟む、それ自体意味を持たない言葉です。

 内容を発話前に頭の中で思い出したり、整理したり、また相手にこちらが考え中だということを認識してもらうためにも有効なものです。


 多用すると聞き苦しくなるのでなるべく使うなとも言われますが、これやらないと発話の途中で沈黙ができます。

 特に顔が見えない電話の時はなにかあったのか?と思われたりします。


コミュニケーション、おもしろくもあり悩ましくもあり、ですね。

ばってんT村でした。


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