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お客様は神様? ― 2022/05/21
枕に、最近SNSで読んだおもしろい実話を。
(コピーじゃなく記憶なので一字一句同じではありません)
書店に手帳を買いに行った女性。
手帳が置いてある場所がわからなかったので店員さんに
「手帳はどこでしょうか?」とたずねた。
「少しお待ちください」と言われ待っていると、しばらくして
近くに知らない男性が立っていた。
そして「どのようなご用件でしょうか?」と聞かれた。
って確かこんな内容でした。
出てきたこの男性は誰だかわかりますよね。
店員さんが聞き間違えたとしても、普通、まず店員が「どのようなご用件でしょうか?」
と聞くでしょう。いきなり呼ばないと思いますが。
お客さんとのやりとり、難しい面もありますね。
最近、新刊の広告にあった
ご意見ご要望、
クレーム、恫喝・・・
反論せずに
お聞きします
という文章を見てこれはおもしろそうだと思い、「コールセンターもしもし日記」という本を購入し一読しました。
著者は派遣社員としてドコモの携帯電話料金コールセンターをはじめプラズマテレビのリコール受付、iDeCo(個人型確定拠出年金)の案内コールセンターなど各所のコールセンターで働かれた経歴の持ち主です。
その体験談を綴った本書ですが、電話をかけてくる顧客とのやりとりがおもしろい。
また、コールセンター内の業務の流れなども記されていて、見聞きすることがない内面も知ることができて興味深い内容です。
まず、かかってきた電話はコールセンターのオペレーター側から切ってはいけない規則になっているそうです。
つまり、顧客側から切らない限り、ずっと話につきあわないといけない、ということになるんですね。
客の文句やグチを1時間以上も聞かされるケースもあるそうです。 これだけでもたんへんだ、と思いました。
下記はネットの紹介記事に書かれていた本書の一部の抜粋です。
「携帯電話が使えないんですけど! どうなってるんですか!」
自衛隊員の妻だと名乗った女性は怒り狂っている。
「先月の料金のお支払いの確認が取れていないために、利用ができなくなっています」
「いつからですか! 住所見てわかりませんか! 自衛隊の官舎に住んでる人の電話をなぜとめるんですか! 日本のために海外派遣されてるんですよ! その夫が今、私に電話してたらどうするんですか! あなた、それでも日本人ですか!」
知りませんよ、そんなこと。携帯電話と自衛隊がどう関係あるんですか。金を払わないあんたが悪いんでしょう。使った分は払うのが社会のルールじゃないですか。
そう言いたい気持ちを抑え、ヒステリーに怒り狂う声を聞きながら再開の手続きを進めた。支払いの延期が初めてということもあるが、早く電話を切りたかったというのが本音だ。
「今、再開の手続きに入っておりますが、このようなことは今回限りとなりますので――」
電波が通じたのを携帯電話の画面で確認したのだろう。説明の途中で電話は切れた。
これら事例を読んでいて、このような理不尽なクレームにも決して感情は表(口)に出さずグッとこらえて、如何にして会社の契約に従ってもらうよう説得するか、というオペレーターの苦悩が感じられます。
しかし、日本ほど顧客にとにかく丁寧に接する国はないと思います。これに慣れると、金を出している方が偉い、何を言ってもいいんだ、と勘違いする顧客も多いのでしょう。
まぁ、日本の社会全体が「顧客至上主義」になってしまっていますからね。
外国人観光客が日本に来て感動することのひとつに、デパートや商店、飲食店などで、丁寧な応対を受け自分が偉くなったような気分になる、というのがあるそうです。
私自身の経験では過去にこのようなことがありました。
顧客が一般の個人消費者ではなく会社や企業なので、とんでもないクレームや要求はまずありませんが、これにはエッと思いました。
海外のとある国の取引先工場へある生産設備を納めることになり、事前に仕様書などを提出した後のことです。
こちらが納める設備につなぐ電源は顧客の工場側が準備します。
営業から「工場で準備するブレーカーは何がいいか推奨してくれと、あちらの○○さんが言ってきた。連絡してくれませんか?」とメールがきました。
ブレーカーとは一般家庭にもある、電気を使いすぎるとバシャと自動的に電源を遮断するあれです。
これが工場ともなると使用する電気が多いのででっかいものになり、使う電流容量に合った最適なものを選定する必要があります。
本来なら契約上、これは顧客側が選定する部品なのですが、参考にするくらいなら問題ないので提案してあげたのです。
するとしばらくして営業から「○○さんからこんな書類が来ました。設計者のサインをくれと言ってきた、どうしよう?」
日本もこの国の文字をお手本にした字を使うので、原文でもだいたい意味がわかりました。翻訳してもらった概要は
「××社はブレーカーで△△を推奨した。もしこれで運転中に問題が発生した場合は××社が責任を負う」という内容でした。
(××社は私が勤務している会社)
なに~、何かあった時に責任回避したいのが見え見え、と当時思いました。
筋違いの要求なので最初は断りましたが、お得意様ということで無下にもできず渋々折れてサインして返したのです。
ちなみに、広く知られている「お客様は神様です」という三波春夫さんの名セリフ、これは「顧客至上主義」のことを言っていると思われていますが、実は間違って伝わった解釈だそうです。
これはもともと三波さんの「歌」に対する心の持ち方について語ったもので、
「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです」(三波春夫オフィシャルサイト)
とあるのです。
この「何々日記」という書籍、「交通誘導員ヨレヨレ日記」から始まって「ディズニーキャストざわざわ日記」などシリーズ化されています。
この中の「派遣添乗員ヘトヘト日記」なんかもおもしろそうで読んでみたいですね。
ばってんT村でした。
言葉の話題あれこれ2 ― 2022/05/08
言葉を仕事の糧にしているお笑い芸人、ずいぶん昔テレビで見た中に印象的なものが2つあり、いまだに記憶に残っています。
カモシカのような脚
スラリと長く美しい脚のことを例えた言い方ですが、
「この言い方だとカモシカの形をした脚になる。正確には『カモシカの脚のような脚』と言うんとちゃう?」
ぞうさん
ぞうさん ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ かあさんも
ながいのよ
と誰もが知っている童謡があります。これは誰が誰に言っているのでしょうか。
幼いこどもを連れたおかあさんが動物園の象の前でこれを子供に歌っていると想像したら?
おかあさんの鼻も象に負けないくらい長いのでしょう。
一方、最近の話ですがアメリカのコメディアンが絡んだこんな事件がありました。
今年3月、映画のアカデミー賞の授賞式でのこと、会場ではクリス・ロックという結構有名なコメディアンがプレゼンターで出てきました。
主演男優賞にノミネートされているウィル・スミスという俳優とその奥さんのジェイダも会場にいました。
クリス・ロックがジェイダに向かって「ジェイダ、GIジェーン2を早く観たいよ」とギャグを飛ばしたのです。
この時、ジェイダは脱毛症が原因でスキンヘッドにしていました。
1997年、「GIジェーン」という、女優のデミ・ムーアがスキンヘッドにして海兵隊員を演じた映画がありました。これに引っ掛けてジョークにしたのです。
これに怒ったウィル・スミスがステージに駆け寄り、クリス・ロックに平手打ちを喰らわしたのです。
そして席に戻ったウィルは
「Keep my wife's name out of your fuckin' mouth!」とクリスに対して叫んだのです。
「その汚い口で俺の妻の名前を呼ぶな!」というような意味ですね。
ご存じかもしれませんが、実はこのfuckという単語、テレビ放送だとピーと規制音が被さる禁止用語です。
でも授賞式は生放送だったのでこの一部始終が全米中、いや世界中に流れてしまいました。
アメリカでは妻をかばったウィルの美談にはならず、暴力を振るったことが問題視されました。
病気が原因のスキンヘッドをネタにしたジョークとそれに対する抗議の暴行、どちらもどちらだと個人的には思います。
アメリカではfuckのようなひわい語、冒とく的なことばや俗語のことを4-Letter Word(4文字言葉)といいます。
アルファベット4文字で表されるものが多いからです。
テレビは誰もが視聴できるので一律に放送禁止用語の規制がかかっています。
でも映画の中ではファ…とかシッ…とか4文字単語がそのまま乱発されているのです。
実は映画ではレイティングシステム(rating system)として観る側に規制がかかっています。
アメリカでは性的、暴力・残虐シーン、汚い言葉、喫煙、銃器、ドラッグが出てくるような映画は子供は観ることができません。
(類似の規制は日本や各国でもあり)
これがアメリカでは特にきびしい。以下のような分類です(ウィキペディアから要約)
G(General) だれもが観られる
PG(Parental guidance suggested) 子供に観せる前に保護者が内容を検討して判断。なんとあの「E.T」はPG指定
PG-13(Parents strongly cautioned) 13歳未満の子供については保護者の厳重な注意が必要。
ハリーポッターシリーズやスターウォーズシリーズの一部も該当している。
R(restricted) 17歳未満は保護者の同伴が必要。
NC-17 17歳以下は全面禁止。日本の18禁に相当。
二十数年前、アメリカ出張中の日曜日、暇だったので映画を観に行ったことがあります。
今でも覚えていますが観た映画は「ジュラシックパーク」でした。
複雑なあらすじでもなく、まあ英語のセリフが分からなくても楽しめるだろう、ということで選びました。
太古の琥珀に閉じ込められた恐竜のDNAから遺伝子工学で恐竜たちを蘇らせて、大富豪が孤島にアミューズメントパークをつくった。
しかしそこで事件が・・・というストーリー。ヒットしたため、その後シリーズ化されています。
映画館で入場する客を見ていると、やたらと親子連れが多いのに気づきました。
中学生くらいの年齢になると友達同士で映画を観に行っていた私には、この光景が異様に見えたのです。
この時、この映画は保護者同伴でないと観られない制限付きの映画に違いない、と初めて気づきました。
恐竜が人間を襲う残虐シーンがありますからね。
ちょっと映画の方に話がずれてしまいました。
やはりジョークはお上品に行きたいものです。まぁ、私にはダジャレかおやじギャクしか思い浮かびませんが。
ばってんT村でした。
言葉の話題あれこれ ― 2022/04/24
最近、目にした言葉に関わるニュースで印象深かったものをいくつか取り上げてみました。
まずアメリカ野球のメジャーリーグ。昨年、年間最優秀選手など複数の賞を獲得して大活躍の大谷翔平選手ですが、ある試合の実況放送で解説者の発言が批判を浴びた事件がありました。
実況アナウンサーに「オオタニに対してはどう投げたらいいでしょうか?」と問われた解説者が、非常に慎重にという意味で、ベリー・ベリー・ケアフル(Very very careful)と答えました。
これをわざとアジア人特有の発音をまねて言ったのです。これが「アジア人をバカにしている」とSNS上で炎上しました。
もちろん、件の解説者は謝罪しました。
大谷選手が日本人であることから、日本人の話す英語を真似たものと思います。YouTubeでこの場面の動画を見ると、確かにわざとたどたどしい発音で「Very very careful」と言っていました。
解説者はジョークのつもりで言ったのでしょうが、まったく迂闊です。今、アメリカで性や人種をネタにした差別的ととられる言動は間違いなく叩かれます。
ご存じのように日本人はRとLの発音の区別が苦手で、VとBの区別も怪しいものです。
思い出すと学生時代、英語の授業でやらされました。カセットテープ(の時代)で英単語を聞いて、Right とLight どちらでしょう?というような問題。
大谷選手がらみでもう一つ、別のコメンテーターが「英語が話せないで通訳を付けなければならないような選手がメジャーリーグを代表する顔と言うのはいかがなものか?」
という意味の発言をしました。
もちろん、この人もその後に謝罪に追い込まれています。
外国語を発音するとどうしても自分の母語の癖やなまりが出ます。英語を母国語にする国々ですら違いが見られます。
ご存じの方もいると思いますが、オーストラリアでは、例えばdayをデイではなく、ダイと発音します。aの発音がアあるいはアイとなるんですね。
昔、「クロコダイルダンディー」という映画があり日本でもヒットしました。主人公はオーストラリア人の設定で実際ポール・ホーガンという主役俳優はオーストラリア人。
劇中、あいさつにグッダイ(Good day)って連発していました。
同様にTodayはトゥデイではなくトゥダイと発音されます。
これをネタにしたジョークもあって、I go to the hospital today.(私は今日、病院に行きます)が、I go to the hospital to die.(私は死ぬために病院に行きます)と聞こえる。
ひと昔前なら笑っておわりのこんなジョークでも、今だと同じようにバッシングを受けるかもしれませんね。
次は某週刊誌で読んだ記事です。
NHKのニュースで、ウクライナから日本に避難してきた女性にインタビューしている映像が流れました。ウクライナ女性が話した内容が画面下に日本語字幕で「今は大変だけど平和になるように祈っている」と表示されました。
これを観ていたロシア・ウクライナに詳しい青山学院大学のある教授が違和感を持ちます。
実はこの部分を直訳すると「私たちの勝利を願います。勝利を。ウクライナに栄光あれ」と言っていると指摘したのです。
「NHKの訳は意訳でもなく、意図的な改変ではないか」と感じたとのことです。
映画の字幕では字数制限などがあり意訳されることはよくありますが、上記は確かに意味が大きく違っています。
後日、このNHKの字幕問題についてネットで続報が出ていました。
指摘を受けたその5日後にNHKは見逃し配信で「いまは大変ですが勝利を希望しています。ウクライナに栄光を」という字幕に変えたとのこと。
ほぼ原語に沿った翻訳に直りました。番組制作者の「意図」で故意に言葉の「意味」を変えてはいけませんよね。
このように外国語がわからないと(だから通訳を介するのですが)、正確に訳されているのかどうか確認しようがありません。
私自身、数年前にこんな経験をしました。
中国のお客さんの工場にトラブル調査に出張した時のことです。通訳で陳さんという年配の中国人に同行してもらいました。
何回も依頼していたので、日本語が達者であることもよく知っていました。
さっそく客先の担当責任者に「問題の原因を調査したいので機械を止めてほしい」と陳さんを通じて依頼しました。
これを聞いた担当責任者と陳さんが何か話してやり取りしています。最後に担当責任者は了解したらしいのですが、中国語に明るくない私には何をやりとりしたのかわかりません。
後で「陳さん、何を話していたの?」と聞きました。
陳さんは「生産が忙しいからすぐ止められないと最初断ってきたので、我が社と御社の今後のよい関係のためにも協力しないとだめです、と言いました。」
「彼は若くて仕事のことがよくわかっていません。だから説教したのです」
これを聞いて、「せっ、説教?そんなことしていいの?」と言うと「問題ありません」と返ってきました。
こちらが頼んでもいないことを勝手に(いや自発的に)付け足して仲介してくれたことに(でも相手はお客さんだよ・・・)と複雑な思いでした。
ばってんT村でした。
ポリコレ ― 2022/04/10
最近、やたらと外来語由来の略語が増えているなと感じます。SDGs、LGBT、DXなどよく目にするのではないでしょうか?
そしてもうひとつ頻出するようになった用語に「ポリコレ」と言う略語があります。Political Correctness(ポリティカル・コレクトネス)の略です。英語ではPCと略されます。
直訳すると「政治的な正しさ」とちょっと固い表現になりますが、これは「性・民族・宗教などによる差別や偏見、それに基づく社会制度は是正すべきという考え方」です。
ポリコレに関しては、以下のようなスポーツ界での実例が問題になっています。
アメリカの大学水泳界で男性から女性に性転換したトランスジェンダーの選手が圧倒的な強さで勝ちを重ねていました。彼(彼女)は2019年からホルモン療法を開始し、2021年に男子から女子チームに移行しました。。
全米の大学体育協会規約ではテストステロン(男性ホルモン)の値が1年以上一定レベル以下になっていれば女子の競技会に出場できるとなっているそうで、これをクリアしたのです。
しかしテストステロンの値が下がっても、それまで男性として造られた骨格や筋肉量、肺活量は女性を凌駕しており公平性がないことは明らかなのです。
確かに週刊誌に載っていた写真を見ると容姿は男性そのものでした。
このような男性→女性のトランスジェンダー選手の躍進現象は自転車競技や陸上競技でも起きています。
これにクレームをつけようものなら、トランスジェンダーへの差別だ、という批判を浴びることになり、不公平だと声をあげる人はなかなかいません。
以前、ブログでも紹介しましたが、同性愛者からのケーキ製作注文を宗教上の理由で断ったケーキ職人が性差別だとして注文客に訴えられた実例もあるのです。
他にも、父母のことをFather、Motherとは言わず、どちらもParentと言う。
同性結婚だと男=父親、女=母親という区別がつかないため、子供にとっては混乱の元になるというのが理由。
Black(黒人)はアフリカンアメリカンと言い換える。
など。
日本でもすでに流れは来ており、東京ディズニーランド、ディズニーシーではすでにLadies & Gentlemen (レディーズ アンド ジェントルメン)という来訪者へのアナウンスは「ハローエブリワン」にかわっています。
とにかくクレームが来る前に対策しとこうという過剰な言葉の言い換え、これがますますエスカレートしているのです。言葉狩りですね。
アメリカでは「これが正しい」となると、極端に突っ走る傾向があると思います。エッと驚くような例も書かれていました。
クリスマスシーズンに「メリークリスマス」と言ったり書いたりできない流れになっているそうです。かわりに「ハッピーホリデーズ」と言う。
クリスマスツリーはホリデーツリーという名称に変わり、これだと何の木なのかさっぱり意味が分からないのでは思ってしまいます。
「メリークリスマス」はキリスト教徒だけの宗教用語であり、イスラム教、ユダヤ教など他の宗教信者にとっては不愉快で排他的だから、というのが理由らしいです。
ただし、他の宗教信者や団体から具体的にクレームが来たりトラブルが起きたわけではないと言います。過剰な自主規制なのです。
このように「これはおかしいので正さねば」とか「これは許せない」というような性質は人間誰しもが持っている感情らしいです。
最近、脳科学者の中野信子さんの著書「人は、なぜ他人を許せないのか」を読みましたが、その中でこれを「正義中毒」と名付けていました。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。これにはまると簡単には抜け出せません。
と書いてありました。
特に今はSNSで匿名で簡単に発言できるようになり、全く自分に関係ない芸能人の不倫や不道徳行為をバッシングするなどは典型的な例です。
まったく別分野ですが、私がこれで思い出したのはIWC(International Whaling Commission:国際捕鯨委員会)からの日本脱退の理由です。脱退は2019年のことでした。
IWCはクジラ資源の保存と捕鯨業の適正化を目的として設立された国際機関で、加盟国は88か国ほどです。
当初、クジラ資源保存と捕鯨の両立だったのが、徐々にクジラの保護のみが目的になってしまい、ついに商業捕鯨が禁止されてしまいます。
この背景には理屈やデータよりも「クジラのような知能が高い動物を殺すのはかわいそうだ」とか「殺し方が残酷だ」とか「そもそもなぜクジラを食べるんだ?」という反捕鯨国の感情が上回ったことが要因です。
さらにアメリカで、海洋生物の保護のため行動するシーシェパードという環境保護団体がありました。
実体は環境テロ団体で、イルカやクジラ漁に反対していて捕鯨船への体当たりなど暴力的な手段で捕鯨を妨害するような過激な行動を長年にわたりやってきました。
このような背景があり日本はIWCを脱退したわけです。
小学校の給食に鯨肉が出ていてそれを食べていた世代としては、30年ぶりに日本近海で商業捕鯨を再開したのは喜ばしいことなのですが、今や鯨肉は高級和牛並みの高値になってしまいました。
もっとも今さら鯨肉が食べたい、という需要も少ないでしょうね。
話が飛んで、前述した著書ですが脳科学的な知見からわかりやすく書かれています。個人的には日本人特有の思考や脳の働きなど
・個人の意志より集団の目的が優先される
・「よそ者」は信用しない日本人
・加齢が脳を保守化させる
・理性は直観に勝てない
・老けない脳をつくるトレーニング
などの章が興味深かった。
脳を老けさせない方法の一つは「慣れていることとは少し違うことをやってみる」です。
時には違う店に行ってみる、違うメニューを頼んでみるということでいいらしい。旅行なんてうってつけなのですよね。
ばってんT村でした。
第二の大津事件 ― 2022/03/26
世界中から非難を浴びているロシアの一方的なウクライナへの侵攻ですが、日本から見ても遠い国の出来事ではないことを実感します。
ご存じのように海を隔てていますが日本から見てもロシアは隣国で、実は距離的に一番近い外国なのです(韓国、台湾、中国よりも近い)
その距離わずか43Km、フルマラソンの距離ほどです。
ロシアがらみで最近、興味深い記事を読みましたので引用して紹介したいと思います。
大津事件に関わることですが、大津事件は日本史の授業でも習ったのでご存じの方も多いと思います。
1891年(明治24年)、ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ロマノフ(後の皇帝ニコライ2世)が日本を訪問、その滞在中に京都から琵琶湖へ日帰り観光に来ていました。
人力車に乗って大津付近を通過中、警備を担当していた巡査にいきなりサーベルで斬りつけられた、という事件です。ニコライは頭部に傷を負いましたが命に別状はありませんでした。
巡査が斬りつけた動機は、皇太子の来日は日本侵略の準備だという噂を信じたという説があります。
泡を食ったのは日本政府です。その後の顛末は省略しますが、心配していた賠償要求や武力報復はありませんでした。
このニコライ2世はロシア革命勃発により、ロシア帝国の最後の皇帝となってしまいます。
旧東海道にある事件現場を示す碑
碑の横にある説明パネル
ここからが、新聞記事で読んだ内容の要約です。
時代は下って百年後の1991年。ソビエトが崩壊しロシア連邦となりました。この時、新しいロシア政権は旧王族の遺骨を探し出してあらためて手厚く弔おうという作業を行います。
ニコライ2世の骨も見つかったのですが、本人のものかどうか見極めがつきません。それを聞いたモスクワ在住のある日本人が、日本の大津市が骨のDNA鑑定に役立つ資料を持っている、ということを示唆しました。
ニコライが斬りつけらた時、止血につかったハンカチが大津市に保存されている。そのハンカチに残された血を調べて骨のDNAと比較すれば判定できるのではないか、というアドバイスをしたのでした。
当時、琵琶湖文化館がハンカチを保管していました。日本政府は親善のためにもハンカチの一部提供を要請しますが、大津市は歴史資料が破損する、という理由で要請を断ります。
資料の保全か、国際貢献か?結局、要求圧力をはねつけられず琵琶湖文化館はハンカチを一部切断して提供することになったのです。
同館はこれを百年後に繰り返された「第二の大津事件」と呼んだそうです。
しかし、このハンカチはDNA鑑定に使えませんでした。事件後、このハンカチに幾人ものロシア人が接吻をささげたものらしく、その唾液も混入していてDNA型が読み取れなかったのです。
(以上、産経新聞記事「第二の大津事件」の要約)
ちなみに現在、大津事件の資料(サーベルやハンカチなど約30点)は大津市歴史博物館に保管されています。
昨年2021年、事件後130年となることで企画展として展示されたのですが、展示を知らなかったため残念ながら見逃してしまいました。
次にみられるのは10年後かな?
話に出てきたDNA鑑定ですが、テレビドラマでは毛髪でDNA鑑定をする場面が時々出てきます。しかし抜け毛や切れ毛では鑑定は非常に難しいとのこと。生きた毛根部分が残っていないとダメらしい。
ばってんT村でした。
バーリ・トゥード ― 2022/03/13
川添愛さんという言語学者の著書「言語学バーリ・トゥード」を読みました。
読んでおもしろかった章について思ったことも交えて紹介します。
●AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか
この章では意味と意図の違いについて書かれています。
意味とは文そのものが表す内容、単語なら辞書に載っている意味。
一方、意図とは図ると書くくらいですから「人が考えている内容」になります。
読んで思ったのは、確かに意味=意図になるとは限らない場合があるということです。
特に日本ではストレートに表現しないという文化があるため、相手の意図(真意)を推測するという疲れる作業がついてきます。
典型的な文例が「難しいですね」ではないでしょうか?仕事やプライべートでもよく使われると思います。
ご存じのように意図はまずほとんどの場合「できません」「無理です」、これをストレートに言うと角が立ちますからね。
贈り物やお土産を渡す時に「つまらないものですけど」と言うのは謙遜の類ですが、これは時代と共に変化していると感じます。
今だと「これ絶対おいしいから」とか「気にいると思うよ」などと言って渡している場合も多いのではないでしょうか?
本に書かれていた例は、ある女性が義母から受けとったLINEだかメールで「紅葉がきれいになってきました。明日さっそく見に行きます」とあったので、
「いいですね、いってらっしゃい」と返事を返した。
あとで判明したところ、これは「明日、実家に来い」という意図があったということらしい。
そんなもの分かるわけないだろう!というオチ。
相手が義母というところが地雷みたいなもので、実母だとこんなことにはならないでしょう。
副題にもなっている AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか ですが、
これは水槽の前でかがみこんでいるお笑い芸人が「絶対押すなよ!」と後ろにいる者たちに言っているコマーシャル(もう7年ほど前)に引っ掛けてあるのですが、もちろん意図は「押してよ」なのです。
これをAI(人工知能)を搭載したロボットは「絶対押すなよ!」の意図を理解できるか?ということを問うているのです。
笑いを取るために言っていることと真逆のことをやれるのか?ということですね。
このお笑い一般を理解するAIを作るのは至難の業であろう、ということを著者は言っています。
著書ではさらに「回す」を例に挙げていました。
バトントワリングのバトンをくるくる回す、串焼きの串を炎の上で回す、扇風機を回す、命令者が言ってきたときAIは「命令者の意図どおり」にできるのかということ。
命令する側は単純な指示も格段に難しくなる、と書いています。
思うに、介護ロボットが近い将来、現実化しそうな時代です。実際に誤解は起きそうな気がします。
暑さを感じた被介護者が介護職員に「扇風機を回して」と言えば、介護職員が外国人であっても日本語が分かれば扇風機のスイッチ入れてほしいのだ、ということは判断できます。
これが介護ロボットになると、扇風機を手にもってグルグル回してしまうんじゃないか、というような光景が目に浮かびました。
「扇風機のスイッチを入れて」と正確な日本語で指示しないといけないのかもしれません。
でも将来のAI、そこまでバカではないのかな?
さて、この「回す」で個人的に思い出したことが二つほどありました。
昔、仲間内で飲み会をやっていた時、手が届かないところにある醤油瓶を指さして「ちょっと回して」と私が言ったところ、しょうもないギャグ好きの友人が「こう?」と言って醤油瓶の頭を指先で持ってクルクル回した。
最近聴いた落語「茶の湯」という話の中では、お茶の作法を知らないご隠居が、茶碗の回し方がわからず「こうやるのか?」と言いながら両手で茶碗を持って体の前で両腕を回したり、左手で茶碗を持って体の後ろに回し背中側で右手に持ち替えて前に戻してくる、などのお笑い場面があるのです。
「回す」だけでもこれだけの解釈ができるのですが、さてAI は判断できるのか?
●恋人{は/が}サンタクロース
ユーミンこと松任谷由美の歌ですが、歌詞全体を知らなくてもこのサビの部分とメロディーはよく知られています。
タイトルは「恋人がサンタクロース」、”恋人は”ではなくて”恋人が”なんですね。
この章で著者は、「は」と「が」の違いを論じています。
「A(は/が)B」という文で、「は」の場合Aは旧情報であるのに対し、「が」の場合Aは新情報であること。
ってちょっと講釈が難しい。
別の言い方で書いてあった以下の説明の方がわかりやすかった。
「AはB」というのはAとBは同じ属性・同じ性質つまり同一のものという意味、「AがB」はAがBという役割を担っているという意味。
著書に「恋人がサンタクロース」の歌詞は載っていなかったので、ちょっとここで書いてみるとピンときます。
昔 となりのおしゃれなお姉さんは
クリスマスの日 わたしに云った
今夜8時になれば サンタが家にやって来る
ちがうよ それは絵本だけのおはなし
そういう私に ウィンクして
でもね 大人になれば あなたもわかる そのうちに
恋人がサンタクロース
本当はサンタクロース つむじ風追い越して
恋人がサンタクロース
背の高いサンタクロース 雪の街から来た
・・・
確かにこの場合は「が」ですね。
私なりにちょっと考えたのですが、同じサンタで別のたとえで言うと、
子供が大きくなってプレゼントをくれるサンタの正体に気づいたとき「お父さんがサンタクロースだったんだ」と言うでしょうね。
お父さんは新情報で、サンタという役割をやっていた。
「お父さんはサンタクロースだったんだ」と言うと、お父さんの仕事は世界中を飛び回るサンタクロースだったのか、ということになってしまいます。
笑いを取ろうとする「意図」がある文面が多いのと著者の好きなプロレスからの引用がちょっとくどい、と感じましたがユーモアあふれる内容で言語に関することがおもしろく読める本でした。
ちなみにバーリ・トゥードというのはポルトガル語で「何でもあり」という意味で、ルールや反則を最小限にした格闘技の1ジャンルを指します。
出版側から何を書いてもいいですよ、と言われたことでこのタイトルにした。
と注文(ちゅうぶん)に書いてありました。
ばってんT村でした。
世界の食あれこれ ― 2022/02/27
食べたり飲んだりすることは人生の(ちょっと大げさか)、少なくとも日々の楽しみの一つではないでしょうか。
一人で気ままに「孤独のグルメ」も良し、家族や気の合う知人・友人とワイワイやりながら食べたり飲んだりも良し。
また旅先ではその地の食を試すのも楽しみです。
思い出としても印象深く残るようで、これまでのブログで紹介したものもありますが、国別にエピソードをいくつか書いてみました。
●フランス
ずいぶん昔1987年、初めてのフランスだったので今でもよく憶えています。パリで開催される国際展示会に自社製品を出展する準備と撤収、会期中の要員として2人で出張、1か月ほど滞在しました。
パリ到着初日の夜、「エスカルゴを食べに行きましょう」と同行の先輩社員に提案したのです。
「えっ、なんでエスカルゴ?」と言われましたが、未体験の食べ物で日本では気軽に食べられないので、という単純な理由でした。
適当なレストランに入って他の料理と一緒に注文しました。ガーリックバター味だったような記憶があります。格別おいしいというほどでもなかったのか、滞在中にリピートはなかったです。
会場設営の仕事中、お昼時の近所のレストランは混むので、私が近くのパン屋に行って二人分のバゲットサンドイッチと飲み物を買い出しに行くのが日課でした。
かみしめるほどに味わいを感じる本場のバゲット、これはおいしかった。またおやつにクレープを買いにも行きました。
日本でクレープと言うと、もっぱら子供や女性が最大顧客ですが、欧米では男も堂々とクレープやらジェラートやドーナッツなどスイーツ類を頬張っています。
これは食後にデザートなど食べる食文化の違いだからでしょうか。
後発で来た会社の役員や営業社員はお客さんのアテンドで高級フレンチレストランにも行ったようですが、我々二人は出張手当以内でおさまるよう大衆食堂で毎夜食べていました。
ある小さな食堂でデザートにアイスクリームを頼んだ時のこと、オバちゃんが店内にある冷凍ケースの中から市販のアイスクリームを出してきて開封、皿に移しスプーンを添えて出してきました。
何も客が見ているところで堂々とやらなくてもいいのにと、その簡潔さに笑ってしまいました。
●モロッコ
エスカルゴといえば、フランスの植民地だったモロッコにもありました。
マラケシュのジャマエルフナ広場というところに出る屋台群の中で見つけて30年ぶりにエスカルゴを食べました。
エスカルゴ屋台
貝殻付きなので楊枝を使って貝殻から身を突いて出して食べる。
これ、韓国や台湾でタニシを食べるのと同じやり方。考えることは同じなんだ、と思った
そうそう、今ではファミレスのサイゼリヤのメニューにもエスカルゴがあるのです、最近知りました。
モロッコと言えばタジン
マラケシュで食べた羊肉の串焼きと野菜のタジン、
タジン鍋は一時日本でもブーム?になった
●アメリカ
欧米のようにチップ制度がある国だと、レストランでの支払いはテーブルで行い、最後にチップを置いて出ていくという流れになります。
とあるアメリカ出張の時、出張者数人で食事後、レストランを出て駐車場に向かっている途中のことです。
レストランの店員が小走りで追いかけてきて「忘れていますよ~」と言ってきました。心当たりがないので何を?と聞くと「チップ!」と言われたことがありました。
サービスが悪かったからチップを置かなかったのではではなく、単純に忘れていました。カード払いにすると現金のやり取りがないので忘れがちです。
それにしても追いかけてきてまで要求する?と思いました。
チップが要らない日本は支払い時に気を回す必要がないから楽だ、という外国人旅行者もいます。もらって当たり前というこのチップ制度が煩わしいと感じている欧米人も多いのです。
またアメリカはご存じのようにとにかくあらゆるもののサイズが大きいですが、実際に見たらビックリです。
ジュースや清涼飲料水などPETボトル飲料は日本だと最大でも2リットル入りですが、アメリカのスーパーに並んでいるのは1ガロン(約3.8リットル)入りがあり、取っ手まで付いています。
アイスクリームはバケツ並みのサイズで売られているし、ポテトチップスなどのスナック類の袋もデカい。そのためか、カートもデカい。
●マルタ共和国
イタリアの近くにある小さな島国ですが、サイズが大きいと言えばこの国もそうでした。二人で出張した時、ホテル近くで目についたイタリアンレストランに入りました。
イタリア系住民も多くイタリア料理がポピュラーなのです。
マルタの街並み
二人で各々好みのパスタや肉料理を選んで注文したところ、我々が日本人と知ったウェイターが「これだと量が多すぎると思いますよ。最初は注文数を減らして、もし足りなかったら追加で頼んだらどうでしょうか?」とアドバイスをくれたのです。
これが正解でした。大皿に盛られて出てきたパスタはゆうに二人前はありました。肉料理も同様。二人でシェアしてちょうどよい具合でした。
周りのテーブルを見ると、地元の人たちはこの一皿を一人前として食べているようでした。
海外主張に出て現地食が続くと日本の味が恋しくなるので、マルタにもおかきやせんべいなどがミックスされて詰め合わせになった小袋をいくつか持っていっていました。
仕事の休憩時間中、現地の人に「日本の伝統的なお菓子です」といって話題つくりも兼ねてこのおつまみパックをあげたことがありました。
もらった彼は、初めての醤油味においしいと言ってパリパリ食べていたのですが、途中で口に持っていこうとした手が止まりました。
それは2cmほどの小魚でした。「魚は嫌い?」と聞くと「これは無理。頭があって目が付いている」
「こんな小っちゃいのに」と思いましたが、原形のままというのに抵抗があるようです。
原形のままの昆虫を食べてみて、と言われているのと同じような感覚だと想像します。
●タイ
東北地方にあるウボンラチャタニーというところに行った時のことです。タイの東北部は昆虫食の食習慣があり、揚げたり炒められたりした昆虫を売っている屋台がいくつも出ていました。
昆虫屋台 姿揚げが多い
ある屋台の前で物珍しそうに見ていると「どれか食べてみる?」と試食を勧められました。
さすがに足のある原形をとどめる虫は無理、せっかくなのでかっぱえびせん状のもの(これで想像つくと思います)を2つほどもらって食べてみました。
食感もえびせんみたいにサクサクした歯ごたえで、これだと抵抗なく食べられるかな、という印象でした。
最近、食料難時代の到来を見越して、肉に代わるたんぱく源として昆虫が見直されています。実際に日本でも食品化が試行され始めていて、近い将来タイだけの話ではなくなってくるかもしれません。
レストランを星の数で格付けするミシュラン(本業はタイヤメーカー)はご存じの方も多いと思います。本国フランスだけでなく日本にも星付きレストランはいくつもあります。
で、タイにはミシュランに相当する独自の「どんぶりマーク」があります。
お店の看板に出ているこんなマークです。
ミシュランとの違いは、一度認証されたら見直しがないのでその後の味に変化はないのか?という心配です。
そしてレストランだけでなく、屋台や食料品などの商品にも付いていて認証はけっこう大盤振る舞いなのです。
お菓子やパンにまでどんぶりマーク
●イタリア
昔、ユーロ導入前のイタリアリラは割安感があったのですが、ユーロになってから円換算でものすごく高くなりました。円安傾向です。
出張なら特別意識せずともよいのですが、個人の観光旅行となると身にしみてきます。
観光地でない街中の普通のレストランでも、お昼だと円換算で最低2,000円、夜だと4~5,000円ほどしました。さすがに毎日だと出費がかさみます。
フィレンツェでは節約しようと思い、ホテルにチェックインの時、「近くに安いレストランありませんか?」と聞きました。
「近くにレオナルドと言うセルフサービスのレストランがあるよ」と道順を教えてくれました。
さっそく、夜はそこに行きました。入り口には数か国語で書かれたメニューが貼ってあり、その中に日本語もありました。
節約したい人向けのレストランやはりあるのです、地元のことは地元の人に聞け、です。
でもつくり置きのパスタはいやだな、と思っていたら、入った時間帯がよかったのかタイミングよく出来立てがケースに並べられている最中でした。
サラダ、ブルスケッタ、パスタ、ミネラルウォーターでトータル11ユーロ(1,300円くらい)
ベネチアへ行ったときは、中心部だと宿泊費が高いので、バスで20分ほど(鉄道だと一駅)離れたメストレという街のホテルに宿泊しました。
京都観光に来て市内のホテルを避け、大津駅前のビジネスホテルに泊まるようなものです。
これでまずホテル代を節約、次にお昼を節約するのに取った手段は朝食を腹パンパンになるまで食べるというせこくてシンプルな方法。
ホテル代は朝食込み、それもブッフェだったのでいくらでも食べられます。さすがに持ち帰るというお行儀の悪いことはしませんでしたが。
これでお昼は売店のパンやサンドイッチなどの軽食で済ませました。
オリーブでは、各国の生徒さん達に自国の料理を作ってもらって皆で食べるイベントを過去に何回かやりましたが、あれは楽しかったですね。私はこの時、インドネシアのテンペをはじめて知りました。
また、世界の料理を食べてみたいものです。
ばってんT村でした。
海の祭礼 ― 2022/02/13
前回のブログは通訳や翻訳に関する話題でしたが、それに関連するような小説を読みましたので今回はそのトピックを。
1853年にペリーがアメリカから軍艦を連ねて来航し開港を迫ってきたことは歴史の授業で習いました。
「来年、ええ返事期待してまっせ」と去っていき、ペリーは翌年再来日します。
このペリー来航時や前後のできごとを、交渉時に首席通訳を務めた森山栄之助という人物を軸にして書かれたのがこの小説です。実話で、出てくるのは実在の人物です。
著者がもう一人スポットを当てた人物が、森山に英語を教授したラナルド・マクドナルドというアメリカ人です。
ペリーが来航する以前からアメリカ船は日本に頻繁に来ていました。それらは捕鯨船です。
石油が発見されるまで、灯火や機械の潤滑油などには鯨油が使われていました。アメリカやイギリス、フランスなどは盛んに大西洋で捕鯨を行い、そのうち乱獲で鯨が激減したため太平洋に進出してきます。
捕鯨船は鯨が多く回遊する日本の近海にまで来るようになったのですが、その際に日本に立ち寄って食料、飲料水や薪などの物資の補給を要請してくることがありました。
鎖国政策をとっていた江戸時代の日本でしたが、外交問題にならないよう物資を与えて早々に出て行ってもらっていたのです。
さらに捕鯨船の難破で船員が漂流民として日本にたどり着くこともたびたびありました。彼ら漂流民も雑に扱うわけにはいきません。
まず長崎の出島まで護送し、貿易相手国だったオランダの船に乗せて第三国経由で本国に送還していたのです。
また中国(清)ではイギリスとの間でアヘン戦争が勃発したのもこの時期、1840~1850年代です。
イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの強国がアジアに食指を伸ばしていた時期で、江戸幕府も欧米の脅威を感じ始めていました。
以上がこの小説の時代背景となります。
そうだったのか~と読んで初めて知ったことがあります。
ペリー一行との交渉は当然英語だろうと思い込んでいたのですが、実は(英語―オランダ語―日本語)とオランダ語を介して行われたのです。
長崎でオランダ相手に交易していた日本にはオランダ語を話す通詞(通訳)が元々いました。
その中でも森山栄之助はオランダ人より正確できれいなオランダ語を話す、と出島のオランダ人も舌を巻くほどの語学の才能の持ち主でした。
一方、アメリカは日本がオランダと清とのみ交易していることを知っていたので、オランダ語の通訳、中国語の通訳を各々1名ずつペリーに同行させていたのです。
実は森山は英語も一応話せたのですが、国の行方を決める重要な会談なので翻訳の正確さを期すためオランダ語でやることになったというのが理由でした。
ただ、雑談ではペリーらと英語で直接会話していたそうです。
このペリー来航の5年ほど前に、ラナルド・マクドナルドが北海道(当時、蝦夷)の利尻島に漂流民として流れ着きます。
彼は以前から日本にあこがれていて、乗っていた捕鯨船が日本近海まで来たときに、漂流民を装って船から離脱したのです。
森山は長崎に護送されてきたマクドナルドに出会います。熱心にメモを取って日本語を覚えようとするマクドナルドを見て、英語を教授してもらうことにしたのです。
小説ではここからの経緯が興味深くおもしろいシーンです。
森山がマクドナルドのメモを見ると、例えば次のような英語と聴き取ったり教えてもらった日本語が対比して書かれていました。
Ears Memee
Mouth Quich
Water Meze
Hair Kamee
Hand Tae
Head Adame
Paper Kame
Pen Fude
Lantern Andon
Tea cup Cha wan
Thank you Aringodo
全く未知の外国語で何の参考書もないのですから聞こえたままをメモしたようですね。
PenがFude(筆)やLanternがAndon(行燈)なんてその時代ならではです。
このメモから、彼が頭をさげて「アリンゴド」と言っていたのは礼を言っていたということに森山は気づきます。
彼の勤勉さに感心してGoodと言うと、マクドナルドは日本語で何と言うのかを聞いてきました。
「良か」と森山が答えるとマクドナルドは紙に「Youka」と書いたそうです。
さて、森山は選抜された優秀な通詞数名を率いて座敷牢に入れられたマクドナルドのところへ日参し、牢の格子ごしに英語を学ぶ毎日が始まります。
授業メニューを考えるのは森山の役目でした。
まず、体のパーツの英語名を覚えることとしました。頭、耳、目と指さしで発音してもらいその発音をまねて覚える。その後は周囲の身近な物に広げていく。
Headはヘートと発音を覚えていたが、マクドナルドの発音はヘッとしか聞こえない。今まで覚えていた発音がまちがっていたことに森山は衝撃を受けます。
座って、と英語で「セット トウン(Sit down)」と言ってもマクドナルドは首をかしげるし、英語を習いたいという意味で「レルン(Learn)」と言っても通じなかったのです。
そこで次に行ったのが、英和辞典の発音の訂正でした。この頃には6,000語ほどを収めた英和辞典はすでにあり、それにはカタカナで読みが書かれていました。
それまでオランダ人から英語を習っていたので、辞典に書かれていたのはオランダ語なまりの発音だったのです。
例えば、体のパーツでは
Hear ヘール
Neck ネッキ
Hand ハント
Finger ヒンゲル
Eye エイ
Mouth ムース
Nose ノース
とカタカナで読みが書かれていました。
これを見ると、rをはっきり発音するんですね。
それとちょっと調べてみると、オランダ語では語尾のdは無声音のtとなるそうです。なるほど、それでHeadがヘート、Handがハントになるんですか。
中には同じものもあったそうです。
Room ルーム
Desk デスク
Belt ベルト
Book ブック
など。
次に実用面では、異国船や漂流民の取り調べ時の質問事項を英語で言ってもらいそれを覚えることとしました。
どの国の船か?
船名は?
来航の目的は?
船員は何人か?
など。
場面シラバスで練習していたのですね。
オランダ語の文法をマスターしている森山は文法のセンスもあり、マクドナルドも驚くほどの上達ぶりだったとのことです。
ちなみにオランダ語は語順が英語とは少し違いますが、よく似ていますね。
ネットでとちょっと見てみると、例えば
Ik kan Nederlands niet spreken.「私はオランダ語を話せません。」
※ Ik「私」 kan「できる(助動詞:1人称単数現在)」、niet(否定詞)、spreken「話す」
英語、ドイツ語にロシア語っぽい用語も混在しているような多様な言語だな、と思います。
その後、アメリカとの通商交渉やイギリスとの開港交渉など通訳業務で引っ張りだこになった森山ですが、諸外国や幕府の信頼も得た森山は単なる通詞ではなく、外交官としての役割を担うようになっていくのです。
帰国後、マクドナルドは回想録も書いています
ハンバーガーのマクドナルドが日本に進出する遥か昔に、日本で初めてネイティブ英語を教えたマクドナルドが上陸していたとは、まだ自分が知らない歴史があったりしておもしろく読みました。
ちなみにハンバーガー伝来の地も長崎県。佐世保の米軍基地のアメリカ人からレシピが伝わったと言われています。
ばってんT村でした。
機械翻訳vs人間翻訳 ― 2022/01/24
この1月にNHKで「わげもん~長崎通訳異聞~」という4話完結でドラマをやっています。
わげもん=和解者=通訳者の意味で、通詞だった父の失踪の謎を追って江戸から長崎に来た若者が主人公。
長崎、出島での交易相手だった国のオランダ語以外にも捕鯨で立ち寄るアメリカの英語、ハワイ語、唐人屋敷の中国語など数か国語が取り交わされる場面が多々あり、日本への漂着民から英語を習うシーンもあります。
当時は対人で相手国の言語を習い、独自の教科書や辞書を編纂したりと苦労して生きた外国語を学んでいたのですね。
出島資料館に展示されているオランダ語入門書(複製)
さて、現在では機械翻訳も進歩して翻訳は飛躍的に簡単になりました。その機械翻訳についてですが、以前ブログで比較紹介をしたことがあります。
実際に英文を日本文に翻訳させての比較でしたが、私の主観ではDeepLという翻訳サイトが非常に優秀でGoogle翻訳と同等かそれ以上でした。
DeepLは世間でも評判がいいらしく、最近もネットでレノボ・ジャパン(パソコンメーカー)社長のベネットさんという方のブログでおもしろい記事を読みました。
ちょっと一部抜粋します。
例文として
In a single decade, from 2010 to 2019, the number of farmers in Japan dropped by nearly a million, leaving the country at a crossroads. Meanwhile, there are global challenges looming on the horizon: shrinking amounts of arable land, a growing global population, and of course, the ever-present specter of climate change.
この文章の翻訳として次の2通りが示されていました。
① 2010年から2019年までの10年間で、日本の農家は100万人近く減少し、日本は岐路に立たされています。一方で、耕地面積の縮小、世界人口の増加、そしてもちろん、気候変動という世界的な課題も迫ってきています。
② 2010年から2019年までのわずか10年ほどで、日本の農家人口は約100万世帯ほども減少し、危機的な岐路に立たされています。そしてそれと同時に、耕作可能な農地の減少、世界人口の増加、そして気候変動といった世界規模の課題にも直面しています。
①がDeepLによる機械翻訳、②が人間の翻訳です。
①の機械翻訳も違和感がなく、ほとんど人の翻訳と同じではないでしょうか?
この二つの翻訳文から「英語スキルは今後も必要か?」というのがこのエッセイのお題でした。
結論としてベネットさんは「今後も外国語のスキルは必要。むしろ重宝がられる」と書いていました。
上記2文章で特徴的な違いは
DeepL翻訳 10年間で
人間翻訳 わずか10年ほどで
DeepL翻訳 日本は岐路に立たされています。
人間翻訳 危機的な岐路に立たされています。
人間翻訳の方は「わずか」や「危機的な」という原文にはない用語を付け加えています。これは翻訳者が全文の主旨(環境問題、農業人口問題の深刻さをテーマとしている)を理解して意訳したものと言えます。
一方、DeepLのような機械翻訳では、文章の背景や目的はわかりませんので文字通り機械的に訳すわけです。AIにも学習機能はあるでしょうが、この文章で言いたいことは何か?というレベルの思考までには至っていません。
AIと違い人間翻訳の強みはここにあり、外国語のスキルはこれからも必要になる、というのが筆者の結論なのです。
さらに私が感じたのは、接続詞Meanwhileの解釈です。
DeepL翻訳 一方で
人間翻訳 そしてそれと同時に
Meanwhileは「一方で」と「同時に」の双方の意味を持つのですが、この例文の場合は人間翻訳の「同時に」の方が自然だと感じます。
それにしてもここまで機械翻訳がほぼ正確に訳してくれるのであれば、翻訳作業は機械翻訳した文章を人が推敲して加筆修正する、という流れに今後はなるだろうと想像します。
実際、会社ではマニュアルやビジネス文書ではそのような使い方をされています。ただし、機械に訳させた後の推敲には、例えば英語⇔日本語であれば自身の母国語は当然、相手側の外国語もある程度のスキルはやっぱり大事だと思います。
ところで冒頭に述べたドラマ「わげもん」では、各国語の言語アドバイザーが役者さんを指導しています。その中に長崎弁もあったのですが、聞いていて中には字幕がないと意味がわからないだろうな、というセリフもありました。
いくつか挙げると
・やぐらしか → わずらわしい、うるさい、の意味
・せからしか → やぐらしか、に似ています。面倒くさい、うるさいの意味。
福岡だと「しぇからしか」になりますね。
・くらす → なぐる、の意味。暮らすではありません。
・あいはだいか?(見知らぬ相手を見て言ったセリフ)
→あれは誰だ?
ちなみにドラマのロケは京都や滋賀県の彦根でもやったらしいです。琵琶湖と湖岸が海の設定にでもなったのかな。
ばってんT村でした。
日本人のおなまえ(ついでに食べ物も) ― 2022/01/08
NHKで「日本人のおなまえ」という番組があります。
これは日本人の名前や日本各地の地名の由来やエピソードなどを紹介する番組なのですが、けっこうおもしろいのです。
時々、レア名字の特集をやったりしています。
私、趣味でサイクリングをやっているのですが、昨年11月あるできごとがきっかけで三重県津市から自転車で来た2人組の高校生と知り合ったのです。
名前を聞くと一人は
「ハナクマと言います」そして自分の鼻を指さして、
「漢字で、顔にあるこの鼻と動物の熊で鼻熊と書きます。実は日本に10人くらいしかいない珍しい名字なんですよ」
と紹介してくれました。
そして、もう一人の名前を聞いたら「カランバと言います」と自己紹介してくれました。
こっちの方がよっぽど珍しい名前じゃないのと思い「漢字でどう書くの?」と聞きました。
「漢字はありません。カタカナで書きます。僕、フィリピン人なんです」と返ってきました。
そういうことか。しかし話し方や容姿から日本人にしか見えなかった。
そして帰宅後、「鼻熊」さんは日本にたった10人ほどなんてホンマかいな、と思ってネットで検索してみると確かにその通りでした。
三重県津市に集中しているので、たぶん彼の家族、親族のみではなかろうかと推測します。
10/1億2千万の確率の人に出会ったレアな体験でした。
次は人名ではないですが、飲食関係でちょっと気になった名前について。
ご存じ、カフェラテはエスプレッソコーヒーにミルクを入れた飲み物で、これはcaffe(コーヒー)とlatte(牛乳)というイタリア語を合体させた名称です。
このカフェラテのラテ(牛乳)の代わりに豆乳を入れたものをソイラテと命名しているのが一般的でよく見かけます。
でも、soy(ソイ)が大豆のことなので、ソイラテという名前だと豆乳+牛乳の意味になってしまうけどな、と思ったのです。
主役のカフェはどこに行ったのでしょう?
もう一つ、ガパオライス。
日本でも知名度が上がってこの料理名もよく見聞きします。お肉とバジルの炒め物をご飯に乗っけたタイ料理のことです。
これは最近、昼食用に近所のスーパーで買ったガパオライス、日本で食べてもおいしい
ガパオはタイ語で、バジルの意味です。だからガパオライスと言うと「バジルごはん」になります。名前にお肉の姿はなく、これまた肉はどこに行った?
さらに発音上も「ガパオ」は正確ではありません。タイ語にGの音はないのでガという発音はないのです。
タイ語の発音に近い日本語は「カプラォ」、これが「カパオ」とも聞こえます。
ガパオライスには思い出があり、タイへ行ったときこの料理名がわからず写真付きメニューのある店か指さしで注文できるフードコートで食べていました。
安くておいしいので、どこでも注文できるよう料理名を憶えようと「これ、名前は何ですか?」と聞いたことがありました。
記憶力がないので忘れるたびに繰り返し聞いたのですが、その言葉の中に「カパオ」という発音が聞こえたので印象に残ったのです。
もちろんタイ語の料理名には「ライス」のような英語はなく、豚とか鶏とか肉の名前が付きます。
ちなみに私がタイ文字を憶えようと思ったのは、メニューの料理名が読めるようになりたいというのが動機でした。
おいしいお店はもっぱら地元の人が行くようなところで、現地語しかメニューがないのが普通だからです。
これが読めたら食の世界が広がる(ってオーバーな)、
ローカル食堂の入口にあるメニュー
せっかくなのでガパオライスが出てきたついでに、タイ文字の構成を一部紹介しましょう。
タイ文字は日本語のローマ字表記やハングル文字のように(子音+母音)の組み合わせになります。
ガパオ(タイ語に近い発音でカプラォ)はタイ語でこう書きます。
กะเพรา
まず、どこが文字の切れ目かもわからないと思いますが一文字ごとに分けるとこうなります。
กะ と เพรา に分かれます。
กะ は กが k、ะ が a に相当、これで ka と発音。
เพรา はちょっと複雑で、二重子音が二重母音に挟まれた形になっています。
真ん中二つの พร が二重子音で พ が ph、ร が r に相当し合わせるとphr 。
両端 เ า の部分が二重母音 aoに相当、
これらを合わせるとphraoとなります。
kaとphraoの二文字をくっつけると、発音は kaphraoとなります。
p のあとに h が入っていますが、これは発音する時に息を吐きだす、という意味。
タイ文字には息を吐きださないpもあります。これは k も同様で ก は息を吐き出しません。
タイ語はさらに声調もあり発音は難しい言語だと思います。
以上、さぞかし知っているように書いていますが、もうほとんど読み方を忘れていて、ちょっと調べました。
でも、このように自分が外国語を勉強(私の場合は趣味に近いですが)やっていると、日本語を勉強している外国人のたいへんさがよくわかります。
ばってんT村でした。
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